【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Father Complex #3
週明けの学校で席に着く際にElianaと目が合う。途端に昨日のことを思い出し、梨沙は嫌な気分になった。
するとElianaは梨沙をあからさまに子供扱いした上で言い放った。
「あら、おチビちゃん。昨日は随分いい歳した男と見せつけてたわね」
「何ですって?」
「あなた、蕩けたいやらしい顔して、白昼堂々とあんな場所でイチャイチャして。男の方も子供同然の女と腕組んで歩いて。あの後はどっかの宿にでもしけこんだの?」
その時の梨沙はまるでアニメーションのように、首から徐々に頭に血が昇る様子がよくわかった。顔は真っ赤である。
恥ずかしさではない。怒りだ。
「あれは私のパパよ! 何が悪いの!?」
するとElianaは目を見開き、横にいた2人の友人…おそらく昨日一緒にいたと思われる… に何かを耳打ちして嗤った。
「あれがパパですって? 正真正銘のVaterkomplex(ファーターコンプレックス。ファザコンの意味)なわけ? ますますキモい。親子共々正気なの?」
Elianaを含む3人は大きな声で笑い出した。
梨沙の握った拳がわなわなと震えているのを側にいたトルコ人のYasminが気づき、慌てて梨沙を取り押さえた。
梨沙は鼻息を荒くして歯を食いしばっていたが、Yasminに取り押さえられると何かを叫んだ。
日本語なのだろう。そこにいる皆は意味がわからなかった。
マシンガンのように梨沙は叫び、喚いた。
Yasminが「リサ、落ち着いて!」となだめながら梨沙を教室から引き摺り出した。
「離して! アイツぶん殴ってやるから!」
「だめよリサ。落ち着いて。それより一緒にいたっていうのは本当にパパなの?」
「当たり前じゃない! アイツ、パパを侮辱した!」
「Elianaはリサのパパが素敵な人だったから嫉妬してるのかも」
上気したままの梨沙は怒り心頭だった。
Yasminは必死になって梨沙をなだめる。梨沙も始めは嫌がり振り払っていたが、少しずつ落ち着きを取り戻すと吐き捨てるように言った。
「Scheiße!!(クソッという意味)アイツはパパをバカにした。絶対に許さない」
「彼女はリサのパパのことを侮辱したわけじゃないと思うよ」
「いいえ! あれは明らかに侮辱でしょう? 何でアイツにパパのことまで言われなきゃならい!? 私の事ならまだしも、パパの事言われるのは一番嫌なの!」
梨沙は涙ぐみ、Yasminはため息をつく。
「Yasminの国ではパパと腕を組むのはいけないこと?」
「どの国もいけないことないと思うわ、家族だもの。きっとElianaはパパと仲良くできるリサに嫉妬しているのよ。きっと今は家族と離れて暮らしているんだから。気にしなければいいのよ」
梨沙はElianaとは二度と口を利くものかと誓った。
***
買い物をしてアパートメントホテルに戻り、キッチンに立つ。
課題は夜寝る前に今度こそ一人でやればいいと思い、遼太郎のために料理を作ろうとしていた。無理して作らなくていいと言われているのに、母が出来ていて自分に出来ないと悔しいとも思った。
ザワークラウトとベーコンをクレイジーソルトで炒める。ジャガイモは皮をむかずスライスするが、厚さはまちまちである。それをレンジでチンして炒めものに加えたのでややベタついている。スープはクノールのインスタントでブロッコリーのクリームスープ。あとはパン。
ドイツのパンは何でも美味しかったが、梨沙は黒パンの酸味を好まなかった。実はザワークラウトもそのままで食べるのは苦手である。
簡単な料理であれば、見た目的にはどうにかこうにかなる。しかしそこに更にケチャップをかけて台無しにする。ドイツのケチャップはなぜか日本のものより数十倍美味しいと感じている。
20時近くに遼太郎が帰ってきた。入口のドアで音がしたかと思うと梨沙は駆け寄り、その胸に飛び込んだ。
「ずいぶん熱烈歓迎だな」
黙って胸に顔を埋めたままの梨沙の様子に、遼太郎は「何かあったか」と頭を撫でながら声をかける。
「今日、学校で」梨沙が顔を埋めたまま話し出す。「ファザコンだって言われた」
遼太郎は梨沙の目を見つめた。特に驚いた様子も、動揺するでもない。
「…そうか。ところでいい匂いがしてるけど夕飯作ったの?」
「うん、もう出来てる。大したものじゃないけど」
「そうか。じゃあ腹も減ってるから早いうちに食べよう。食べながら話を聞くから」
梨沙は身体を離しキッチンへ向かった。
お世辞にも美味しいとは言えないが、それでも実家では料理など全くしてこなかった娘が食材に手を加えるという行為は、遼太郎にとっては涙ぐましいと思うべきであろう。
ドイツの晩ご飯は本来質素である。
ランチでボリュームいっぱいに食べ、夜は少なめかあっさりしたものに留める事が多い。
『Kalt Essen』(カルトエッセン。直訳すると冷たい食べ物)と呼ばれ、ハム・チーズ、それにパンなどで済ませる。火を使って料理しないことからそう呼ばれている。
ザワークラウトとベーコンとじゃがいもを炒めた一皿、それにパンにスープは、それでもしっかりした方と言えそうだ。
遼太郎はケチャップをそっと避けながら口に運ぶ。多少塩分を気にしながら。
「パパ、ビール飲むよね?」
「うん、もらう」
冷蔵庫から缶ビールを1本取り出し、遼太郎の前に置く。普段はグラスに注ぐが、梨沙がそこまで気が利かないのを咎めることもなく、缶のまま3分の1ほど飲む。
梨沙は遼太郎の喉が上下するのを見つめて、ため息をついて言った。
「私も早くパパとお酒飲めるようになりたい」
「ドイツだったらあと2年だな。もう少しの辛抱だ」
遼太郎は穏やかに微笑んで言うが、梨沙は口をへの字にして椅子の上で膝を抱えた。
「それで梨沙はファザコンと言われてどうしたんだ?」
梨沙はケチャップまみれのザワークラウトをフォークで突きながら吐き捨てるように言う。
「Sie ist ein Schwein!!」(女性を侮辱する言葉)
「梨沙、そういう汚い言葉は二度と使うなよ」
厳しく言いつける遼太郎に梨沙は唇を尖らせ、ぶっきらぼうに言った。
「Yasminが仲裁してくれた」
「Yasminって?」
「トルコ人のクラスメイト。3つ上の大学生なんだけど、一番仲良いかも」
「へぇ、そりゃ大感謝だな」
「パパと腕を組んで歩いたりすることはおかしなことじゃないってYasminは言ってた。だからElianaは頭がおかしい。イカれたことばかり考えているからあんなこと言うの。パパのこともバカにした。許せない」
梨沙の中で怒りが再燃してしまった。
「Elianaって、もしかして昨日お前が嫌がってた子か?」
「…うん」
「そうだな。公衆の面前であまり親しげに振る舞うべきじゃないって教えてくれたと思い直してみたらどうだ」
「親子なのにどうしていけないのか理解できない」
「梨沙は表現がちょっと熱烈過ぎるんだ」
「外はダメで、家でだったらいいってこと?」
本当はそういうわけではないのだが…。話の落とし所をつけようと遼太郎は話を戻した。
「まぁそういう事だ。とにかく彼女のことはもう考えるな。言いたいやつには言わせておけばいいって昔から言ってるじゃないか」
「パパのことをとやかく言われるのだけは許せない。隆次叔父さんも同じこと言ってたよ? パパだってママのこと悪く言ったら、めちゃくちゃ怒るじゃない」
「わかったわかった。ありがとう、梨沙。冷めるから早く食べなさい」
梨沙の皿は既に冷めかかっており、不味そうに食事を口に運ぶ娘を見て、遼太郎はため息をついた。
ファザコンか…。
とうとう、そういう名前のつくものなってしまったのだ、と。
けれど娘なんていつか、いや、あっという間に父から離れていってしまう。だったら僅かな間のひと時を大事に大切に過ごそうと思ってきた。特に梨沙は繊細で多感な子だから。
ところが予想外に、梨沙は離れてなんかいかない。
ずっとずっと『パパ大好き』のままだった。
親に対する気持ちの範囲を超えて。
#4へつづく
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