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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Childhood #8(番外編)

本文でホロコーストに関する描写があります。
また戦争に関する話題については主観的なところがあり学術的ではないことをご了承ください。

ベルリン赴任4年目の春、遼太郎は社長から直々に帰国後に執行役員の席を用意すると連絡を受けた。
今まではそういった役職を会社は抱えてこなかったが、会社の規模も少しづつ大きくなり、ここ数年は組織改編も活発なためそういったポストも必要になってきたのだろう。

サラリーマンたるや、入社したら社長を目指すのは自然な目標であるものの、なかなか明言することはないだろう。しかし遼太郎は入社式の抱負で同期の前ではっきりと『俺はトップを目指す。俺が会社を動かす』と語り、ざわつかせたことがある。

次長職が長かったものの、部長になってからは次のステップがいやに早いなと思う。遼太郎の目指すトップに近づいていることは間違いないだろう。

しかし遼太郎は「他に誰が任命されるのか」と社長に尋ね、そのメンツを聞いて舌打ちした。大した奴らじゃない。そんな奴らと肩を並べるのか。
それに執行役員といえば聞こえはいいが所詮経営権を持つわけではない。ただの社員だ。

オフィスの椅子に深くもたれ込み、窓の向こうを遠く見つめる。見えるのはいつもベルリンTV塔だ。昔描いた近未来の世界をそのまま表現したような、社会主義時代に建てられた『東ドイツ』のシンボルタワーである。

手を組んでタワーを見つめながら、遼太郎は考えた。

海外に数カ所拠点を持つようになったが、最も苦戦すると思われていたベルリン支所がなかなかの好成績を残している。スタッフが優秀なことも確かだが、自分は人を動かす能力があると、自信を持っていた。
日本にいた頃も決断の速さと思い切りの良さ、部下への配慮など信頼は高かった。その思い切りの良さと、やや傲慢にも映る態度を良からず思う役職者も多かったが。

そして自分もまもなく50歳になろうとしている。ちょうどいい、節目だ。
窓の外に向けていた目をオフィス内に戻し、彼はニヤリと笑った。

***

ドイツの初等教育でホロコーストについての授業が行われるのは、日本で言う5年生にあたる頃が多いようだ。つまり梨沙も蓮もドイツ歴史の授業は受けているものの、まだホロコーストについて学校でしっかりと触れていない。

ただ高等教育機関に進むと、ほぼ全ての学生がアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を見学しに行く。日本の歴史認識においては "原爆" や "大空襲" がフィーチャーされ『被害者としての戦争認識』が強いが、ここドイツでは『加害者としての戦争認識』として教える。そして学生に徹底的に考えさせる。
ナチは民主的な選挙から、つまり国民がら選ばれて誕生し、第一次世界大戦で大きな敗北を期してからの復興と言う意味では高い支持を受けている。

それがヒトラーの「ユダヤ人への嫌悪」から「アーリア人至上主義」へと発展し、誰もが知るホロコーストへと突き進んでいくのだが、多くの国民は『傍観者』となった。声を挙げれば当然、政治犯として自分も収容所行きになることを恐れた人もいるだろう。
しかし今日こんにちではこの『傍観者の悪』を考えさせられる事態が、世界中のあちこちで起こっている。

遼太郎も『我が闘争』を学生時代に原文で読むことに挑戦したことがある。けれどあまりにも退屈だった。
大した男ではない、やはりそう思った。ある種のテクニックはあったかもしれない。ただそんなものはまかやしだ。結局最期は自殺だ。

またニュルンベルク裁判やアイヒマン裁判の書籍を読んだり映画も観てきたが、ナチの主要人物たちは皆「命令に従っただけ」と口を揃える。
確かに(遼太郎は少々特殊だが)、通常のサラリーマン、あるいは何かしらの階層の元に働く人であれば、上司・上官の指示には従うだろう。時には思考停止になるだろう。奴らは完全に間違っているわけではない。
ただやはり主要人物たちはドイツがもはや勝ち目がないとわかると自ら命を絶った。儚いもんだな、と遼太郎は思う。

けれど、どこか自分にも似ている。
傲慢なくせに、弱い。俺も大したことないんだろう。
俺だって…自ら命を絶とうとしたことがあるからな。

***

「梨沙」

遼太郎が声を掛けると、賢明に絵を描いていた梨沙は顔を上げた。ソファに座っていた遼太郎が手招きすると、飛び上がってその隣に座り、抱きついた。
遼太郎は蓮も呼び寄せ、梨沙の反対側に座らせ、子供たちを両腕で抱きかかえるようにした。梨沙は蓮をキッと睨む。いつものことだが。

「パパ、どうしたの?」
「お前たちに話したいことがあるんだ」

遼太郎はどこか遠くを見つめながら言う。

「日本とドイツ。俺の考える共通点がある。戦争だ」
「戦争?」

蓮がキョトンとした顔で尋ねる。

「ただその共通点の認識は正反対だ。お前たちに伝えたいのはそこだ」

遼太郎は気持ち背筋を伸ばすように、2人の子供を抱えたまま座り直した。

「被害者と加害者だ。ちょっと言葉が難しいけど、昔梨沙はよく蓮のこと叩いたりしてただろう。叩いた梨沙を加害者、叩かれた蓮を被害者とする」

梨沙は少しムッとした顔をした。蓮はフフっと笑う。

「戦争については蓮はまだ習ってないかもしれないな。梨沙は聞いたことはあるだろう」

うん、と頷く梨沙。

「戦争においてドイツは加害者、日本は被害者として教える事が多い。日本の歴史は2人ともほとんど知らないだろうけれど、日本は核爆弾を落とされた唯一の国だ」
「カクバクダン?」
「飛行機で空の高いところからヒューッと落とされた爆弾が、頭の上の方で爆発するんだ。するとその落とされた下の街…とても広い範囲が一瞬にして燃える。とても熱くて、爆弾の真下は人だって一瞬にして蒸発してしまうほどだ」

ぽかんとする2人の子供たちに遼太郎は更に言う。

「日本で夏にアイスクリームを食べた時のこと、覚えてるだろう? どんどん溶けていったじゃないか。人がね、アイスクリームみたいに溶けて一瞬で消えるんだ」
「何それ、怖い」
「昔、そういうことがあったんだ。それを "被害" として教える。そんな酷いことをされたんだよ、と。けれどそのきっかけを作ったのは日本の方だ」
「どういうこと?」
「日本が喧嘩を仕掛けたんだよ、アメリカに。梨沙が蓮にちょっかい出すみたいに。怒ったアメリカが仕返ししたんだ。どっちが悪いと思う?」
「アメリカ」
「日本」

2人の子供たちの意見は分かれた。

「今度はドイツの話だ。同じ時期の戦争中に、ドイツの当時の政府はたくさんの人を殺した」
「それも、誰かが喧嘩を仕掛けた仕返しだったの?」
「ちょっと違う。当時の政治家のトップ…ヒトラーって今後よく聞くと思うから名前を教えておくけど、ヒトラーが自分の欲望のために、そうしたんだ。嫌いな人達を殺していったんだよ」

やはりぽかんとする2人に遼太郎は顔を近づける。

「例えば、こうやって俺が話している間にいきなり怖い人達がやってきて、俺たちを無理やり連れてトラックの荷台に押し込む。他にもそんな家族が何組もいる。やがてどこかの駅に着き、椅子も窓もない列車にぎゅうぎゅうに押し込められる。座ることも出来ないし、暗くて顔もよくわからない。そんな状態で何時間も移動する。もちろんどこへ向かっているのかはわからない。やっと着いたかと思ったら、蓮と俺、梨沙とママと別々にさせられる」
「やだ!」

そう声を挙げたのは梨沙だ。

「嫌でもどうにもならない。そうして俺たちは同じ家族でも顔を合わせることは許されない。そこでは食事も1日にパンが一欠片と、薄いスープがほんの少し。そして1日に何時間も働かされる。叩かれたり蹴られたりしながら」
「そんなことされたら死んじゃう」
「そうだよ。わざとなんだ。そこで死んでしまえばそれまで。それだけじゃない。一度にたくさん殺せるように、ある部屋にやはり大勢を押し込むんだ。シャワーを浴びるんだと嘘をついて服を脱がせてな。そこでのシャワーはお湯じゃなくて、ガスだ」
「ガス?」
「吸ったら死ぬんだよ」
「え?」
「そうして沢山の人を殺した。それがドイツが犯した "加害者" としての大量虐殺だ。今こうして家族で仲良く過ごしている日々が、突然失われていった。明日もう俺たちは、二度と顔を合わせることがない。そういうことがあった」

子供たちは言葉がなかった。

「戦争は沢山の人が死ぬ。日本、アメリカ、ドイツ。誰が敵か味方か、誰が悪いか。きっかけを作った方は確かに悪いだろう。でも、その後に互いがやってきたことは、正しいことをやっているんだと思い込ませてやった悪事だ。何が良くて何が悪いのか。お前たちは日本とドイツと、2つの国について考える使命がある。たくさん勉強して自分で考えて、行動していくんだ」

蓮が先に「うん」と答えたことを受けて梨沙も慌てて頷く。





#9へつづく


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