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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Childhood #7

蓮もまた、小学校入学の選択をする時期が来た。
梨沙は入学が早かったため、3年生に進級する年だった。

「蓮、お前はどうしたい?」

そう問うた遼太郎に蓮はしばらく口ごもってから「お姉ちゃんと同じ学校に行きたい」と言った。遼太郎は正直驚いた。

「いいのか?」
「…うん。僕もお姉ちゃんと同じがいい」

やや遠慮気味だったのは、恐らく夏希からは日本人学校に行った方がいいと暗にそそのかされていたからだろう。梨沙の時も多少揉めたのだから、蓮にだって同じ思いを抱いたに違いない。

「どうしてお姉ちゃんと同じ学校がいいんだ。あんなに邪険にされているのに」
「…絶対同じ学校じゃなくても別にいいけど、僕はドイツの学校がいい。日本に帰ったらどうせ日本人たちと一緒になるんだから、今じゃないと出来ないことしたい。それに姉弟が別々の学校に行くとなるとなんか変じゃないか」

遼太郎は目を丸くした。普通は女の子の方が精神的に大人びていると言うが、蓮の方がしっかりした考えを持っている、と。

蓮は思う。

『僕だってお姉ちゃんに構っているみたいに、お父さんにもっと2人で遊んで欲しいのに。でもお姉ちゃんはいつも僕をキッと睨んでお父さんを連れて行ってしまう。僕だってもっと…』

更に蓮は時折、感じていることがあった。
父は冷ややかな目を自分に向ける。冷たくて、突き放されているような。それはほんの瞬時だが。

けれどそれは自分が男だからだろうと、幼いながらも蓮は思っていた。
だったら、だらしないお姉ちゃんとは反対に、僕はしっかりしてお父さんにちゃんと見てもらうんだ、褒められることするんだ、という気持ちが既に蓮の中に芽生えていた。

もう一人の "息子" も、父に認められたいと渇望している時期があった。
息子たち・・は、共通の思いを抱いている。
不器用で、影響力の強い父。息子たち・・はそんな父に憧れている。

「偉いな、お前は」

だから父に頭を撫でられると飛び上がりたくなるほど嬉しい。蓮ははにかんだ。
彼もまた適性検査を難なくパスし、梨沙と同じグルンドシューレに入学した。

***

梨沙は絵、蓮は音楽に関心を持つ。

他にも蓮は電車が好きで、幸運なことにベルリンはS-Bahn、U-Bahnと東京にも似た複雑な路線を要しているため、S41や42の環状線はよく乗り、小学校に上がるまでにベルリンの路線図は頭に入り、全ての駅名を発音含め正しく覚えた。

日本とは違ってホームでの案内は乏しいため、乗る際に行き先をしっかり確認しないと乗り間違えてしまう、初心者にはやや不親切なのが海外の鉄道だが、蓮のお陰で夏希は迷うこと無く行きたい方向に行くことが出来た。

そんな蓮が音楽に興味を示したことに、夏希は熱心に音楽教室に入れようとした。梨沙に絵の才能があるのなら、蓮の才能も伸ばしたい。絶対音感を養うのなら小さい頃から楽器に触れた方がいい、とネットでも読んだ。

遼太郎の心中は複雑だった。息子が音楽に興味を持つ。なんという運命の巡り合わせなのか、と。

子供たちが選んだ道に対して自由にやらせたい、それをサポートするのが親の役目。そう思わせたのは "息子" の存在がきっかけだったが、2人の "息子" には大きな差がある。

それでも遼太郎は蓮に尋ねると「やってみたい」という。
ここはドイツ。バッハやヴェートーベンといった偉大な音楽家を輩出した国でもあるから、子供を対象にした音楽教室も充実していた。

「やりたいなら、やったらいい」

蓮は満面の笑みを浮かべて「お父さん、ありがとう」と言った。

アイツにもこう言ってやれていたら、そういう環境の元にいたら…。
今頃ショパンコンクールか何かで名を馳せていたかもしれないな。

そう考えて遼太郎は苦笑する。俺はどうしようもないこと考えているな、と。

***

こうして蓮は初めピアノ教室に、後に複数の楽器を習うことの出来る公立の音楽教室に通い、弦楽器に目覚めることになる。
まだ先の話だが、蓮は後にこう言った。

『お父さん、僕、ヴィオラを習いたい』
『ヴィオラ? 何でまた』
『聴いたんだよ、ヴィオラの音。びっくりするくらいフワッと包まれて温かい気持ちになって、うまく言えないけど "これだ" って思ったんだ』

そこで調べてみると、身体が小さいとやや不利であるらしい。当時は蓮もまだ3年生で、十分とは言えない。

『最初はヴァイオリンから始めてもいいんじゃないか?』

遼太郎の言葉にあまり納得しない風の蓮だったが、ヴィオラがやや大きな楽器で手軽に始められないことは悟っていたらしい。渋々と『そうする』と言った。

ヴィオラ。人間の声に最も近いと言われている(実際はそう言われている楽器は他にもある)。
そんな楽器に着目した蓮の感性もまた、遼太郎を唸らせた。

『ヴァイオリンはキイキイした高い音域が好きじゃない。でもどうしてもと言うのならD線の音が一番好き。アンサンブルの時はいつも2ndパートを選んでいる。いつかヴィオラを手にするためにね』

***

「梨沙にしても蓮にしても、俺に美術も音楽もそんなセンスや知識がないのに、どうしてあんな興味や才能を持ったんだろうな」

いつしかポツリと遼太郎は言った。「夏希は興味あったっけ?」

「私も別に人並みよ。美術も音楽も嫌いではないけれど、特に詳しいというわけでもないわ」
「本当に俺たちの子かな?」
「どういう意味?」

夏希がギロリと睨んだのですぐに「冗談だよ」と苦笑いした。

「でも美術館に通い詰めたりしなくても絵を描くのは好きな子っているでしょう? つまりその、目に映ったものを、画材さえあれば手を使って表現出来るのだし。特に梨沙は色々よく見えている・・・・・・・みたいだし」

夏希の言葉に遼太郎はほぅ、と意外に思った。

「蓮の音楽好きはどう説明するんだ?」
「あなた、日本にいる時からたまに聴いているじゃない。ピアノ曲。あれでしょ」
「ほんの数曲じゃないか。それに四六時中聴いているわけでもない」
「量の問題じゃないでしょう? 私だって小さい頃、たまーに乗った父の車で流れていた音楽は強烈に印象に残っているもの」
「何を聴いていたんだ、親父さんは」
「はっぴいえんど。このバンドは時代を先取り過ぎてたって、父が話していたの、憶えているわ」

遼太郎が聴いているピアノ曲…それは “息子” が演奏しているものだ。もちろん、蓮ではない。

皮肉なものだな、と遼太郎は嘲笑する。アイツら・・・・は音で繋がっているとでもいうのか。

とにかく、梨沙は視覚を、蓮は聴覚を、研ぎ澄まし磨いている。
俺は凡人なのに、子供たちはすごいな、と他人事のような、それでも誇らしく、遼太郎は鼻から長い吐息を漏らした。

***

「梨沙は絵画以外は関心ないのか? 例えば彫刻とか」

ある日遼太郎は梨沙に尋ねると「別に」と答えた。

「絵だけなのか」
「だって形あるものはそこら辺に普通にあるでしょ? でも絵は…平面は描かなければ存在しない」
「へぇ…」
「私は形あるものを平面に描くのがいいの。それは私だけの世界だから」

遼太郎は黙って梨沙の頭を撫で、その頭を抱き締めた。

「お前は自分の描きたい世界を思いっきり描いてくれ。それが世間から絶賛されようと無視されようと、お前の作品は俺の誇りだ」

遼太郎の言葉に梨沙は微笑んだ。

「いきなりどうしたの? まぁいいけど」

くん、と梨沙は遼太郎の胸の匂いを嗅ぐ。大好きな匂いだ。
実際30代半ばから遼太郎はいくつかの香りを纏っているが、香水単体よりも、彼の体臭に混じったその香りの方が何十倍も良い香りに感じた。

この香りを時折梨沙は描く。それは抽象画なので誰の目に触れても恥ずかしくはない。
ふふふ、と梨沙は笑みを浮かべる。





#8へつづく


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