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【連載小説】あなたに出逢いたかった #36

1階に降りた梨沙は、客間に入る前に玄関に近い廊下の隅で1本のメッセージを打った。

こんばんは。今年ももうすぐ終わりますね。稜央さんにとってはどんな1年でしたか。
ギリギリの連絡になってしまってごめんなさい。明日、市内に移動するので、その隙にほんのちょっと、30分でも…いえ、5分でも10分でもいいので会えませんか。どこへでも出ていきます。

稜央がこの年末、どこへも旅に出ないということは陽菜を通じて知っていたし、事前に年末年始に田舎に行くことは伝えていたが、どのタイミングで抜け出せるかはっきりしなかったため、一か八かの打診となった。

稜央からの返信はすぐに来た。

明日か…。
でも家族も一緒なんでしょ? 元日だし、抜け出したら怪しまれるんじゃない?

こちらは大丈夫ですから。稜央さんの都合さえ良かったら…。それでもやはりお正月早々、不謹慎で嫌ですか?

大丈夫では全く無いのだが、稜央に会えるのならいくらでも、いくらでも嘘を付くしかない。

不謹慎ってことはないけど…。

ちょっとだけ…。迷惑かけないです、本当に少しの時間だけでいいので。

しかしそこで稜央からの返信は途絶えてしまった。だめですか、と続けて送ったが、既読は付いたがやはり返信はなかった。

しょんぼりと落ち込み客間に入ると、夏希は既に布団に入り腹ばいになってスマホをいじっていた。

「おかえり。アルバム見てきたの?」

夏希はあっけらかんと尋ねてくる。

「ママ、私明日、ちょっと知り合いに会って来たいんだけど」
「明日? お正月早々誰なの?」
「私のベルリンでの活動をSNSで知った人がね、近くに住んでるっていうの。もちろん今まで何度もメッセージをやりとりしてきて、変な人じゃないってことはわかってる」
「でも…SNSの中だけのやり取りなんでしょう? 男の人? 女の人? いくつくらいなの?」
「女の人よ。陽菜さんって言うの。25歳だって。県内で事務の仕事しているって言ってた。ドイツにも興味を持ってくれて、色んなやりとりした人なの。だからきっと大丈夫だから。ほんの1時間でいいの」

嘘をついた。しかし夏希はすぐに了承はしない。当然だと思う。SNSで知り合った人と事件に巻き込まれるニュースはよく聞くし、素性やプロフィールなんていくらでも偽ることが出来る。

「さすがにちょっと心配ね…」
「遠くまで行かないし、人目の多い所で会うようにするから。その辺は私もちゃんと警戒しているから」

う~ん、でもパパが何ていうかしら…と困ったように思案する夏希に、梨沙はスマホをチェックした。しかし稜央からの返事は来ていなかった。



どすん、と重く響く音で目を覚ますと、既に隣の夏希の姿はなかった。
立ち上がり障子を開けると、庭で蓮が雪だるまを作っているのが見えた。手前に梯子が駆けられており、誰かが屋根の雪下ろしをしているのか、バサッバサッとまとまった雪が真上から落ちてくる。先程の音は屋根から雪が落ちる音だった。
空は雲に覆われているものの比較的明るく、雪は止んでいるようだった。

「お姫様はようやくお目覚めかね」

祖母の声にハッとしてする。「元旦早々、顔も揃えないなんて、一人だけ」と寝坊気味の梨沙に嫌味を言った。

「ごめんなさい…あの…」
「じきに起きるだろうからって、それまで遼太郎は雪下ろししてくれてるよ、ろくに食べもせず。もうお節の用意はしてあるんだから、早く着替えてきておくれよ」

梨沙は慌てて客間の障子をピシャリと閉めた。時計を見ると8時半を過ぎたばかりだ。休日の梨沙にとってはむしろ早すぎるくらいの時間だ。着替えを始めようとすると夏希が戻ってきた。

「梨沙、おはよう、とあけましておめでとう」
「おはよ…みんな早いんだね」
「男性陣が早起きしたのよ。朝パパがそっと覗き込んだタイミングで私も起きたんだけど、梨沙は起こさないようにって。ただでさえ不慣れな場所で寝付きが悪いだろうから、寝ているならそっとしておけって。気を遣っていたのよ」
「でも今、お祖母ちゃんに怒られた」

そういうと夏希は肩を竦め「お祖父ちゃんお祖母ちゃんはちょっと厳しいからね」と言った。夏希は彼らのことをどう思っているのだろう。そう言えば今までどんな感想も聞いたことがない。

「ママも何か言われた?」

そう訊くと夏希は少し困ったような顔をして「まぁ、お姑さんって色々言いたがると思うのよ」と答えた。つまりそれが、初めて聞いた感想だった。

「さ、支度して。パパはなるべく早めにここを出たいって言ってたから。お節を頂いて少ししたら出ると思う」

そう言って夏希は客間を出て行った。梨沙も着替えを済ませて再び障子を開くと、ちょうど遼太郎が梯子から降りてくる所だった。こちらに気づくと寒さのためか鼻の頭を真っ赤にしながら、戸を開けて言った。

「お目覚めか」
「遅いって、お祖母ちゃんに怒られた。あ、遅いって言われたわけじゃないんだけど、正月なのに朝から顔も揃えないでって」

遼太郎は笑って「気にするな。そういう言い方しかできない奴らなんだから」と言った。

「飯食ったら出るぞ」

縁側から上がってきた遼太郎はそう言って2階に上がっていった。
庭を見ると、ただ白く積もる雪…昨夜見たのは夢か幻だったのか…
確かに赤く燃える炎を見た気がしたが、そんな残骸は一切、跡形もなかった。

そして、梨沙の二番目のミッションを実行する時が近づいていた。

厳かで堅苦しい空気の中で6人揃ってのお節料理。
梨沙にとってはどれも特に美味しいと感じるものはない。普段の家での正月はアレンジお節にせいぜいお雑煮を食べるくらいだったので、慣れない古風なお節料理に閉口した。こればかりは蓮も同じだったようで、彼はかまぼこに伊達巻や黒豆、栗きんとんなどは少しつまむものの、田作りやらなます・・・やら煮物にはあまり手を付けなかった。大人たちは逆にそれらを好んだ。

「雪、止んで良かったな」

遼太郎が窓の外を見て言うと、祖母が「もっとゆっくりしていけばいいのに。お正月なんだから」と名残惜しそうにしたが、遼太郎は

「自営は盆も暮れも正月も、正直曖昧ですから」

と静かに言った。

「全くそんなに働いてどうするの。むしろあなた社長なんでしょう、もう少し悠長に構えられないの?」

と祖母は愚痴をこぼしたが、遼太郎はただ一笑に付した。祖父は一言

「次は死に目に会えれば万々歳だな。親よりも仕事を選ぶお偉いさんだからな、お前は」

と言い、それに対しても遼太郎は何も答えなかった。梨沙は、この前遼太郎が言ったことと同じことを言ってる、と少し可笑しくなった。

実家を後にすると、梨沙の第二のミッション実行が近づいてくる。
駅が近づくと、ずっと黙っていた梨沙が口を開いた。

「パパ」

声が震える。

「ん?」
「私ちょっと、知り合いに会って来たいの。別行動してもいい?」

そう尋ねると途端に遼太郎は怪訝な顔をした。

「知り合いって…こんなところに誰だ?」
「ベルリンで私が参加したイベント、あったでしょう? あれをSNSで知ったっていう人がね、◯◯町に住んでいるっていうの。うちの父が同じ県出身ですって言ったら、なんか色々話が合って、会いましょうよって話になって」
「こんな正月早々にか?」
「うん…」
「どういう人なのかわかってるのか? 顔は知ってるのか?」

梨沙は陽菜を引き合いに出した。メッセージのやり取りも当たり障りのない部分を抜粋して見せた。それでも遼太郎は渋い顔をしている。

「どうして前もって言わなかった」
「昨夜決まったから…」
「そう、昨夜私は梨沙から聞いていたんだけど」

夏希が助け舟を出した。






#37へつづく


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