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【連載小説】奴隷と女神 #2

総務部の業務の一つに、役職者クラスが開催する会議室の設営、というものがある。

毎週木曜日の15時からは部長会の開催で、私も大会議室の会場設営の手伝いによく駆り出された。社長や役員も出席するので、総勢で28名ほどになる。
大会議室は他の会議でも予約が多く時間が逼迫しているので、設営にはとにかく短時間できちんと行わなければならない。

長テーブルを長方形になるように並べ、1テーブルに椅子を2ないし3つ配置する。
プロジェクターをすぐ使えるようセットして完了。

設営が終わると同時くらいに、早い部長はもう会議室に現れる。議事録を取る先輩社員含め2名残り、他の設営スタッフはそそくさと会議室を後にする。

その日も設営を終えて自席に戻ろうと廊下を歩いていた時、ぞろぞろとすれ違う部長たちの中で、思わず振り向いてしまう人がいた。

振り向くきっかけを作ったのは "香り" だった。
男性の香水。

外回り営業部門ではあまりないと思うが、内勤系は割りと派手な人も多いので、香水を付けている人も少なくなかった。

けれどその香りはこれまで嗅いだことがない。
攻撃的にプンプン発していたわけではなく、スッと嫌味のない程度に香った。
品を感じられる、ちょっと珍しい香り。

その香りの主は黒いスーツ姿だった。
後ろ姿だからはっきりとわからないけれど、細身だけれど肉付きを感じる身体にフィットしたスーツが色っぽく見えた。
そして部長陣の中でも若手に思えた。

「松澤さん、どうしたの?」

振り向いたままぼんやりとしてしまった私は、一緒に設営した先輩に訝しまれた。

「いえ、何でもありません」

慌てて駆け戻り、席に戻ればすぐ次の業務に追われて、そのことはすっかり忘れてしまった。

* * *

翌週木曜日。
会議室の設営に向かう途中、そういえば、とあの香りを思い出した。

"あの部長さん、また来るよね"

少し期待をしていたけれど、いつも真っ先に入ってくる部長は違う人だし、設営後に戻る途中も、あの香りと黒いスーツとはすれ違わなかった。

まぁいいんだけどね、と心で呟き、またすぐに業務に忙殺された。

役所への申請書類をまとめていると、課長が声をかけて来た。

「松澤さん、部長会が終わったら西田部長がこちらにお寄りになるので、これを渡しておいて」

そう言って私に角2サイズの封筒を手渡した。私が出入口に一番近いので、必然的によく窓口になるのだ。

「西田部長、ですね」

確かこの春、営業戦略部の部長に昇進した人だ。辞令で名前を見た気がする。ただ顔と名前は一致しなかった。社員検索で確認しなくては。

ただ電話応対や細々した作業が入り込んで、すっかり確認も出来ないまま、西田部長は現れた。

現れて、ハッとした。

黒いスーツの人、だったから。
襟の大きな白シャツに小紋柄のボルドー色のネクタイを締めている。

なんて美しい人なんだろう、と思った。

でもそれは美形という意味ではない。モデルさんとか俳優さんみたいとか、そういうのではない。
顔のパーツが取り立てて整っているわけでもない。

どうしてそんな印象を最初に抱いたのか不思議なくらいだった。

「西田です」

彼は名乗った。
私は慌てて机の上に置いておいた封書を手渡す。

その瞬間にまた、香った。
先週憶えた、あの香り。

「あ、こちらを山田課長からお預かりしております」

彼は封筒の中身を確認し、ありがとう、と言った。

その時の私は必要以上に彼を見つめてしまったんだと思う。
彼はきょとん、とした顔を私に向けた。

「何か?」

慌てて「いえ、何でもありません」と答えた。彼は小さく会釈をして去っていった。

自席に着き、今度こそ社員検索をする。

「西田…響介きょうすけ…部長」

ちょうど一回り上の入社歴。ということは大卒だったら今年40歳くらいか。院卒だとしたらもう少し上だけど、にしても見た目はほとんど30代半ばだ。
それで営業戦略部の部長と言ったら大抜擢だろう。営業で相当な成績を積んだのかもしれない。

それにしても今日も彼はいい香りがした。
少しクセがあるがスモーキーなレザーと珈琲の甘さが混ざったような香りで、品がありつつ野生的でもある…不思議な香りだ。
そこら辺で売っている、誰も彼もが知っているようなものではない気がする。

そして黒スーツは曲者のようにも思えた。
営業系の役職者は確かにみんな個性的だとは思っていたけれど、黒スーツはなかなかいない。
また西田部長の場合、どちらかと言えば温厚で草食系の顔立ちだし、声も柔らかで営業っぽくない。そんな容姿にスーツと “香り” にはギャップがあった。

"なんか…素敵な人だな…"

そんな風に私の中に残像として残ってしまった・・・・・・・のだった。




#3へつづく

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