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【連載小説】あなたに出逢いたかった #47

「…へ…?」

康佑は突然の梨沙の発言に処理が追いつかない。

「えーっと、横浜で会ったあの歳上の人は…」
「カムフラージュよ」
「えっ? カッ…カムフラージュって…」

梨沙はどうして口走ってしまったんだろう、と動揺を隠せずにいる康佑の表情を見て内心少し焦った。

「えっ…本気で親父さんのこと…?」

梨沙は顔を背け、黙って唇を噛み締める。

「それってさ…父親からの虐待とか洗脳じゃ…ないよね…」

その言葉にはキッと康佑を睨みつけた。「そんなんじゃない!」

「ごめ…」
「私の意思」

梨沙は憮然とした表情で、力強く言った。康佑はそれでも拭えない動揺を隠せず、忙しなく音を立てて空になったグラスをストローで吸った。

「ね、私って特殊でしょ?」
「特殊って言うか…」
「変態だと思ってる?」
「いや、そうとは…」
「思ってるってことだね」
「そうじゃないけど…やっぱりちょっとその…初めて聞くから、そういう話」

しばらく言葉もなく、康佑は空になったグラスをストローで意味もなくかき回した。

「…訊いていいのかわからないけど、親父さんと…なんつーか、そういう関係があるの?」

梨沙は口にしたことを激しく後悔した。やはりそっちの方・・・・・に関心が行くのだと思ったから。

そういう関係・・・・・・
どこまでがそういう関係・・・・・・に該当するのだろう。

「そういう関係って、どういうこと?」
「いや…ごめん。変なこと訊いた。忘れて」
「ない。ないよ。片思いだって言ったでしょ」
「そ、そっか…」
「当然パパからは拒否られてる。だから私も色々頑張ってきたの。他の人に気持ちを向けないといけないって。でもさ…」

カムフラージュ。
そうだったのだ。言葉にしてみてしっくりきた。所詮、ごまかそうとしていただけなのだ。
顔がそっくりな稜央を好きになろうとしたけれど、その稜央でさえも絶対に叶わぬ存在だった、ということは結果論として良かったのかもしれない。
結果があまりにも皮肉過ぎるけれど。

そもそもどうして出逢ったのだろう。
何故あの日、ベルリンで稜央はピアノを弾いていたのだろう。
ほんの数十分、買い物が遅かったら、あるいは早かったら、すれ違っていただけだっただろうに。
それ以上先には進めない、禁断の愛にピリオドを打たなければいけないという警告だったのだろうか。

だとしても、結局警告に背いて飛び込むことになった。梨沙は小さくため息をつく。

「康佑の失恋を慰める会なのに、私の変な話しちゃったから台無しになっちゃった」
「いや…慰めなんていいんだよ。だって…」
「変な話してごめん。気持ち悪いやつって思ったら、もう私のことなんて構わなくていいから」
「梨沙…」
「なんでこんな話しちゃったんだろ。私のことなんでどうでもいいのに。なんか康佑だったら…」

梨沙は言葉に詰まった。
肯定してくれるかと思った。こんな私でもいいんだよって、身内以外の誰かが。
康佑なら…と思ったけれど、違った。全て受け入れてくれるわけではなかった。自分の甘さを思い知った。

「梨沙…ごめん。すぐに何って言ったらいいか…」
「いいの。当然だと思う」

しばらく2人共俯いたまま黙り込んだ。
店内の安っぽいBGMが妙に耳障りだった。周囲の客の話し声、笑い声は何も考えていない能天気な嬌声に聞こえ、梨沙は急に居心地が悪くなった。

帰りたい。
パパの側にいたい。あの温もりに逃げ込みたい。
そばにいてくれるのは、パパだけでいい。

恐る恐る口を開いたのは康佑だった。

「だから梨沙…前に "自分が好きになる人とは結ばれない" って言ってたんだな…。そういうことだったのか…」
「まぁ、だからさ」

やや煤けた感じの店の壁紙をぼんやりと眺めながら、梨沙は言った。

「こんな私のこと、もう気にかけないで。受験が終わってからでも新しい彼女見つけて…大学生になったら今よりもっともっとモテるよ、康佑は。安心して」

何が安心して、なんだろう。自分でも何を言っているのかよくわからない。わざと見ないようにしているけれど、視界の片隅で康佑が動揺している様子を捉える。

じゃあ、と言って伝票を持って立ち上がろうとした梨沙を、康佑は慌てて引き止めた。

「まままま、待って、ちょっと」
「何?」

見下ろした康佑は、今で見たこともないような、少し怯えたような顔をしていた。

「…いや…」

梨沙も立ち上がったものの、そのまま立ち去れずにいた。

「私さ」

わざと康佑を見ず、出入口の方を見て梨沙は語り出した。

「いっつも康佑はこんな私のことさ、励ましたり協力してくれてさ、変な奴って思っていたけど…」

思いかげず、梨沙の瞳から涙が零れる。

「変なやつは私の方だよね。こんな私にも味方してくれる人がいるんだって…それで、調子に乗ってた」
「梨沙…」

手の甲で強引に涙を拭い、はあっと大きく息をついた。

「ありがとう。本当にさよなら」
「梨沙、待て」

康佑も慌てて立ち上がり腕を摑むが、何と声を掛けたらいいのかわからない。
このまま終わりにしてはいけないと思う。康佑は本当は今日会って、こう言うつもりだった。

『俺はフリーだ。いつでも何でも相談してくれよ。気兼ねないだろ? 梨沙の彼氏になれなくたっていいんだ。梨沙はなんだか恋人でも妹でも友達でも…なんかちょっと違う。まぁ彼氏になれるなら本当は最高だけど』

時折不安定になる梨沙が、自分といることで元気になるのなら、それでいい。その為なら逆に彼氏にでも兄貴にでも友達にでもなる、と思った。

けれど今は、どう言葉を続ければいいのか、わからなかった。


父親が好き。いいじゃないか、結構なことだ、頑張れ、応援する。
とは言えなかった。
当然、そんなの絶対だめだ、俺を見ろ、とも言えなかった。


思えば梨沙はいつもこんな風に去っていく。俺を打ちのめして去っていく。
俺はいつもそういう梨沙の後ろ姿を見送る。いつだって強気な振りして決して振り返らず去っていくけど。

その後ろ姿。不安でたまらないって、わかってるんだぞ。

それを変えたいのに。
どうすれば。



帰り道。歩きながら遼太郎の話をしたことを激しく後悔した。

『お前だって俺とのこと、誰にでもペラペラ喋るか?』

遼太郎の言葉を思い出す。そう、秘密のはずだったのに。2人だけの秘密。自分は大きな過ちを犯した、と頭を抱えた。
今となっては康佑に何をわかって欲しかったのか、自分でもわからない。

立ち止まり、雑踏の中で心を澄ます。目を閉じ、音を遠ざけ、肌で空気を感じた。

自分はなんて不器用なのだろう。自分の言葉が、態度が、全部ブーメランになって返ってきている気がした。
そのブーメランで羽根が、身体が、ボロボロになる。

色々悪あがきしたって、やっぱり無駄なのよ。
結局還る場所はひとつ。今まで何があってもそうだった。
確信した。

思い返してみる。
中学生の頃。小学生の頃。幼稚園の頃。もっともっと小さい頃…。

誰よりも自分のそばにいて、多くの言葉をかけてくれた人、
大きくて温かくて優しい手で頭を撫でてくれた人、
いじめられていた時も、自傷した時も、本当に同しようもない時も、そばにいてくれた人。

やがて梨沙は顔を上げ、再び歩き始めた。






#48へつづく


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