見出し画像

【連載小説】あなたに出逢いたかった #48

梨沙は小さな箱を両手で包み込むようにして受け取った。

真っ白な包装紙、ボルドー色の細いリボンには金文字で "Cartier"@p
とあしらわれ、蝋封に伝統的なロゴが押されている。
ブランドのコーポレイトカラーと同色の薔薇の花束も添えられている。

期待で鼓動が高鳴る。リボンを解き箱を開けるとそれは、華奢なピンクゴ
ールドのチェーンに小さな小さなブリリアントカットのダイヤモンドが輝くネックレスだった。

10月16日。梨沙の18歳の誕生日プレゼント。
約束通りアクセサリーをもらった。

都心のスカイラウンジ。家族4人のパーティが行われていた。
黄昏時から変わりゆく空の色も演出に組み込んだのか、印象的なひとときだった。プレゼントが渡された時は、見下ろす街もジュエリーのように輝いていたが、梨沙にとっては手の中のたった0.09ctのダイヤモンドの方が眩しかった。

その日の梨沙は夏希に手伝ってもらって、ほんのりとメイクを施していた。オリーブグリーンのカラーコンタクトは、くっきりとした二重の梨沙をより日本人離れしたルックスに仕立てた。
鎖骨が見え、背中が大きく開いたハイウエストの黒いベルベッドのワンピース。Tatooの青い蝶が見えてしまっているが、夏希と蓮にはシールだと嘘をついた。
そのワンピースと同じ素材のチョーカーを付けていた。それを外し、遼太郎に向かって箱を差し出しながら言った。

「ね、パパ、つけて」

遼太郎は鼻で小さく息を吐くと、立ち上がって梨沙の背後に回った。蓮はいつものように呆れた口をへの字にしているが、誕生日だから仕方がないと思っているのか、いつもの冷やかしの言葉はなかった。

遼太郎は慣れない手付きでカニカンをつまみ、なかなか上手く留められず苦笑いした。彼の指先が首筋に触れると鳥肌が立つ。梨沙は目を閉じて静かに待った。
やがて鎖骨の間の窪みにその小さな輝きが収まると、梨沙は目を開き、遼太郎を見て「ありがとう」と言った。

「俺だけじゃないぞ」

梨沙はうん、と頷き「どう?」と夏希に訊いた。似合っているわよ、と夏希。蓮は興味なしの様子。梨沙は2人にも礼を言った。
人差し指の先で石に触れてみる。小さな感触が、静かに喜びを全身に広げていった。

パーティの後、遼太郎と2人で更に上の階のバーに行くことになっていた。"約束の時" を迎えることとなる。

トイレでルージュを引き直し、さらにグロスを唇の中央にちょこんと載せ、艷やかで丸みのある唇に仕上げた。
さっきもらったばかりのピンクゴールドのチェーンに触れ、得意げな笑顔を鏡の中の自分に向かって投げかける。

「梨沙もすっかり大人になって…」

後から出てきた夏希がそんな梨沙の後ろ姿を見て感慨深げに呟いた。

「ね、ママ」

鏡越しに夏希を見ながら梨沙は声を掛ける。

「この蝶のTatoo、本物って言ったら、怒る?」

夏希はため息を付いた。

「パパからもうとっくに聞いてるわよ」

えっ!? と梨沙は驚いて振り向いた。

「いつ?」
「あなたが留学から帰って来て少ししてからよ。俺は知ってたから怒らないでやってくれって、パパが。もうあなた達ったら本当に…」

呆れたように腕を組んだ夏希。

「パパは本当に…あなたが生まれてすぐから…いえ、生まれる前からあなたには甘いのよ」
「…どういう事?」

夏希はハッと我に返ったように、少々気まずそうな顔をした。

「梨沙が最初の子だったことと、蓮が男の子のせいもあるけど、あなたに対してはパパは殊更。その結果あなたも随分パパっ子になったと思うけど…。この後2人でお話するんでしょう? パパからは "巣立ち" のための送辞を述べるんだって聞いてるけど…パパの方が送り出せずに泣き出しちゃうんじゃないかしら」
「ママ…」
「花束はどうする? 自分で持って帰る? それとも先に花瓶に活けて、梨沙の部屋に飾っておこうか?」

梨沙は花束を夏希に渡した。
じゃあ先に蓮と帰ってるからね、と彼女は出て行った。

梨沙がトイレから出ると、遼太郎はズボンのポケットに手を入れ、フロアの全面ガラスの前に立って夜景を見下ろしていた。既に夏希と蓮の姿はなかった。
遼太郎も今日はグレイのスーツに藍色のネクタイまで締めている。最近は仕事でもあまりネクタイまで締めているところを見ないから珍しい。それほど今日を特別な日にしてくれていると思うと胸が高鳴った。

ガラスに反射した梨沙に気付いた遼太郎は、右の小鼻を掻きながら店に向かった。梨沙はその左腕に自分の腕をそっと差し入れた。

店内は窓に向かって2人用のソファが並び、その前にある小さなテーブルの上にはキャンドルが揺らめいている。シートの間は木製のパーティションがあり、プライベートな空間が保たれている。当然他の席はカップルでいっぱいだ。
このどう見ても親子な2人、はたまた痛々しいほど背伸びをした少女と中年男の如何わしさは、席に案内されるまでの間、他の客の興味を引いた。

さすがに梨沙はアルコールは飲ませてもらえなかった。乳白色のノンアルコールカクテルに、遼太郎はハイボールを頼んだ。

ドリンクが運ばれ、グラスを合わせた。遼太郎はハイボールを一口飲むとネクタイを緩め背もたれに寄りかかった。目の前の夜景を遠く眺めながら、彼は静かに語りだした。

「ここしばらくずっと、何からどう話そうか、考えていた」

梨沙は黙って遼太郎を見つめた。それでも彼は真っ直ぐ前を向いたままだった。

「まさか梨沙が稜央と出逢うなんて、夢にも思わなかったからな」

そう言って遼太郎はふっと口元を緩めた。

「去年の10月、俺に訊いたよな。横浜にいたのかって。いたよ。稜央と会っていたんだ。まさか梨沙に目撃されているなんてな。それに梨沙も、あいつに会っていたんだろ?」
「私は…偶然会えた感じだった。あのイベントに参加していることは他の人から聞いて知っていたけど、どこで演奏しているかわからなかったから、本当に偶然」
「そうか…」

遼太郎は水滴の付いたグラスを持ち上げ、半分ほどハイボールを喉に流し込む。カラン、とテーブルに置いたグラスの中の氷が揺れた。

「稜央の父親は、俺だ」

梨沙は小さく息を呑み、自分も遼太郎と同じ視線の先を向いた。

「俺が二十歳になる頃、稜央は生まれた。当時付き合っていた彼女と別れた後だった。俺は彼女が子供を産んだことを知らずにいた」
「その…稜央さんのお母さんは…パパが前に、すごく大好きだったけど、うまくいかなかったって話していた、川嶋桜子さん、だよね?」

名前を出した時、彼は冷ややかに細めた目を梨沙に向けた。

「お前、実家でアルバムと、彼女からの年賀状を見ただろ」

梨沙はハッとし、身体に緊張が走った。

「年末家に行った時、全て処分しようと思って着いてすぐまとめておいたのに、彼女とのアルバムと年賀状が1枚だけ後から出てきた。お前の仕業だろうと思ったよ」
「私…ただ…昔のパパがどんな人だったのか知りたかったの。知りたくてたまらなくて、パパが忘れられないくらい好きだった人のことも、どんな人なんだろうって…それで…」
「確かに稜央の母親は彼女だ。けれどお前は彼女には触れるな。名前も出すな。お前が考えていることは愚かすぎる」

遼太郎はやや前屈みになってそう言った。梨沙は唇を噛み締める。

「今でもそこまでして守る必要があるほど、大切な人なの?」
「触れるなと言っただろう。"秘密" に彼女は関係ない」
「パパの全てを受け入れるのに、パパが愛してきた人は関係ないの?」
「触れて欲しくないんだ。誰にも」

嫉妬の小さな炎が身体の芯をジリジリと焼くようだった。遼太郎は話題を変える。

「梨沙は稜央と俺の関係に、いつ気がついた?」
「…今年の始め頃。陽菜さん…稜央さんの妹さんとの会話から…。それまでバラバラだったパズルのピースが、だんだんはまっていく感じだった」

遼太郎は頷く代わりにハイボールを飲み干すと、ボウイに手を挙げすぐにお替わりを頼んだ

「パパの肩の傷は…どうして稜央さんは "俺がやった" って言ったの?」
「これは…」

遼太郎は再びシートの背にもたれ、脚を組んだ。

「稜央が二十歳の時…梨沙がまだ2歳で、蓮が生まれてすぐくらいの頃だ。あの頃あいつは俺の存在を知って間もなかった。俺に対する怒りや恨みを存分に溜め込んで、殴り込んできたんだよ」
「…どうして、恨むなんて…」
「非摘出子だからな。苦労したんだろう。俺だって稜央の存在なんて、その瞬間まで全く知らなかったからな。あいつは俺を、俺の家族をめちゃくちゃにしてやるといって来たんだ。あの田舎から、東京まで出てきて」
「そんな…」
「仕事帰りの俺を待ち伏せしていた。口論になった時、あいつはナイフを取り出した。小さくてさ。脅しのつもりだったんだろうけど、殺す気なんて全然なさそうな、小さなナイフ。面白いじゃないか、と思った。もみくちゃになった時に俺はそれを、自分の手を添えて俺の身体に突き立てたんだ」

梨沙は息を呑み手を口に当てた。そして眉間にしわを寄せ目を閉じた。

「あいつの願望を叶えてやったら、驚くかなと思ったんだよ。なのにあいつ、逃げ出したんだよ。笑っちゃうよな」

そう言い、嘲るように笑った。

「もし少しでも間違えていたら…」
「死んでたかもな」

梨沙は遼太郎の左腕をぐっと摑み、更に力を込めた。彼はそれを振り払うと、梨沙の手を取り、その大きな手のひらで包み込んだ。

「どうしてそんなこと…だって私も蓮も、全然小さかったのに…」
「梨沙もよくわかってるだろ」

"狂気"

その言葉がよぎったが、梨沙は何も言わなかった。握られた手がじんわりと汗ばむのを感じた。

新しく運ばれたハイボールは口がつけられることなく、グラスに付いた水滴がコースターを湿らせていた。梨沙のノンアルカクテルも一度口にしただけだった。

「パパ…二度とそんな事考えないで」
「お前もな、梨沙。何があっても、そんな事考えるなよ」

梨沙は涙を堪え唇を噛み締めて大きく二度頷いた。






#49へつづく



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?