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【連載小説】あなたに出逢いたかった #10

遼太郎は梨沙からのやや突拍子もない質問に再び呆気に取られる。

「そりゃ俺だって一目惚れすることもあるよ。若かったし」
「今まで好きになった人の中で、その人のこと一番好き?」
「…お前何を訊きたいんだ? まさか妬いてるとかじゃないだろうな?」
「…」
「学生時代の話だぞ。勘弁してくれよ」
「…私はパパしか好きになったことがないから」

その言葉に遼太郎も黙り込む。梨沙もどうしてそんなことを訊いているのだろうと思う。
しばらく沈黙が続き、顔を上げた梨沙が何かを言おうとすると、それを手で制しながら遼太郎が口を開いた。

「これから他の誰かを好きになるかもしれないだろ」

その言葉を聞いて、梨沙はショックで顔を強張らせた。

「…ならないと思う。私、他の男の人、すごく嫌だ。気持ち悪いもん」

以前ベルリンで、自暴自棄になった梨沙が集団で襲われそうになったことがあることを遼太郎は思い出し、苦虫を噛み潰す思いが甦った。

「相手をきちんと見れば、怖くも気持ち悪くもない」
「嫌だよ」
「梨沙、一番好きな相手が自分に取って絶対、というわけではないこともあるんだよ」
「…どういうこと? 好きじゃない人でもいいってこと?」
「そうじゃない。逆に言えば一番好きな相手とは結ばれないことだってある」
「それは…パパもそうだったってこと? ママは一番じゃないけれど、結婚したってこと?」

梨沙の脳裏に川嶋桜子の姿が浮かぶ。
遼太郎は「そうじゃないんだけど」と、やや眉を下げる。

「俺はママには頭が上がらないよ」
「どうして?」
「彼女は俺の全てを赦してくれたから」
「赦す?」
「それは一番好きになった相手がそうしてくれるとは限らない。俺は結婚相手が夏希だったから、救われたことがたくさんある。それは確かだ」
「一番好きになった人と結婚していたとしたら、どうなっていたの?」

遼太郎は視線を下げ黙り込んだ。梨沙の鼓動が速くなる。

「…わからないよ。経験していないんだし」
「…」
「この話、誰にも話すなよ。ママが一番じゃないみたいに誤解されるからな」
「でも実際そうなんでしょ?」

遼太郎は唇に人差し指をあて、そして顔を梨沙に近づけて言った。

「今はママが一番だよ。けれど俺も過去には大好きでもうまくいかなかった事だってある」
「私はパパがいてくれるからいい。二番目なんて必要ないの」
「梨沙、将来お前を幸せにするのは俺じゃない。そういう意味ではお前は二番目を作る必要がある」
「…パパのことを好きなままでも良かったんじゃないの?」
「良くはないんだよ。否定はしない、と言っただけだ。お前の場合はベクトルが違うんだ。でもいきなり切り替えるなんて出来ないだろう? お前がベルリンに居て、離れて暮らすのに極端にお前の心が不安定になるのは俺も怖かったんだ。けれど俺の思いは初めから変わらない。親だからこそ出来ることと出来ないことがある」
「…私、18歳になったら…、パパと結ばれたいって思ってた。ずっと…そう願ってた。だから早く大人になりたいって」

遼太郎は眉間に皺を寄せ、表情を険しくした。

「梨沙、それは絶対にいけない。俺がそんなこと出来るわけがない。お前が望むことは取り返しのつかない過ちだ。仮にそんな神に逆らうことをしたらお前も俺も報復を食らう。お前の人生はこの先まだまだ長い。たった一瞬の過ちで一生を棒に振るような事は、俺は出来ないし、させない」
「私の人生は私が決めて良いんでしょ? 後悔したっていい。それに報復なんてそんな…そんなの妄想だよ!」
「妄想なんかじゃない…!」

遼太郎の静かな剣幕に梨沙も驚き、黙り込んだ。

「じゃあ訊くが、身体が繋がったからといって何になる」

そんなことを訊かれるとは思わず、梨沙は言葉に詰まった。
わからない。自分の初めては、好きな人に捧げるものだと信じていた。そうすることで何もかも満たされるのだと。

けれどそんな経験なんてないし、わからない。

「梨沙、思い直せ。頼むから俺に出来る事と出来ない事があるってことを理解してくれ。俺に出来ないことは別の誰かに求める必要がある」
「他の誰かなんて嫌だ。本当に他の男の人…嫌なの。怖いし気持ち悪いし絶対無理」
「相手が俺の方が無理なんだって、どうしてわからない? 俺はお前とこの先の人生を地獄で一緒に歩むつもりはないからな」

そこでバスルームで物音がし、遼太郎は顔を離した。そして再び唇に人差し指をあてた。

「梨沙は俺にとって本当に大切な存在だ。それは一生変わらないと約束する。でも梨沙の方はいずれ俺から巣立っていかなければいけない。親子なら当たり前のことだ。ただお前は…俺たちは…そういう "努力" をしなければならないってことだ」

やっぱり、あの頃の遼太郎に出逢いたかった。『川嶋桜子』になりたかった。親子なんて邪魔だ。

自分は生まれてくる時代を間違えた。
そもそも、生まれてくる場所さえも間違えた。
親子なのに、私のDNAは愛の記憶を持って生まれてきてしまった。なぜ?

梨沙の両目から涙が溢れ出し、両手で顔を覆い嗚咽をあげて泣き出した。
何事かと夏希がリビングのドアを薄く明けて様子を伺ったが、遼太郎は手で制し目で頷くと、夏希も下がっていった。

「どうしたらいいの?」

梨沙の問いに遼太郎は考えた。

難しい問題だ。ただでさえ襲われそうになった経験があるし、男の人なんて怖くないとは言い切れない。手当り次第付き合ってみろ、とも言えない。本当はそうして酸いも甘いも思い知るのが人生だと思うが、単純に父親として・・・・・そんなことは言えない。

「そうしたら…パパを好きなまま、二番目を探したらいい? それでもどうしたって私、パパの面影求めて、似た人を好きになっちゃうかもしれない。それはだめなんでしょ?」
「それももう…否定はしない。あの時は俺も動揺して、あんなことを言ってしまった」
「じゃあもし、稜央さんみたいな人をまた好きになっても、だめだって言わない?」

遼太郎は一瞬言葉を呑む。
いや、梨沙はみたいな人・・・・・と言っただけだ。

稜央とはもう会うことはないはずだ。
俺とアイツ以外だったら、問題はない。

「…言わないよ」

拭っても拭っても溢れる涙で梨沙の目の周りは真っ赤になっていた。遼太郎がバスルームからタオルを持ってこようと立ち上がると、梨沙はその腰にしがみついた。

「梨沙…」

この身体、温もり、匂い。
何もかも大好きなのに、自分のものにならない。

梨沙は思う。
私はどうして存在しているのだろう。



部屋で梨沙はタブレットに向かっていた。既に午前2時になろうとしている。

的に向かい弓を引く遼太郎の写真が脇にある。それを見ながら、細やかに線を重ねていく。
タブレットであれば涙が零れ落ちても紙のように滲まないからいい。ぽつっと落ちてはティッシュで拭き取る。
やがてそれも追いつかないほど、画面が滲み見えなくなる。

どうして私は生まれてきたの。
どうして私は、パパを愛してしまったの。
神様なら答えがわかりますか? そうしたら夢の中ででも教えてください。

手元に置いてあるアルバムをめくり、遼太郎と桜子が笑顔で並んでいる写真で手を止める。
高校生の2人。今の梨沙と同い年くらいの2人。

誰か答えて。
私は、この写真の中にいるべきだったはずなのに。

左胸から肩にかけての蝶のTatooをそっと撫でる。
同じ場所のパパの傷跡に触れたい、と思いながら。

もう要らないと思っていた羽根を再び伸ばすことは、梨沙にとってこの上なく悲しいことだった。






#11へつづく

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