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【連載小説】あなたに出逢いたかった #11

9月になって新学期が始まり、梨沙の日本での高校生活が再スタートした。

クラスは初顔合わせとなるため、初日にオリエンテーションが行われた。
アルファベット順での自己紹介で梨沙はちょうど真ん中辺りになるため、最初の方は真面目に他の生徒のそれを聞いていた。

このクラスメイトの中から、私の相手が出てきたりするのか?

クラスを見回し、梨沙は直ぐに小さく首を横に振る。
こんな子供みたいな人たちと一緒にいて、何が良いっていうの? 絶対無理。

パパの代わりなんて、どうやって探したらいいの。っていうか、出てくるわけない。子供の頃から色んな人を見てきて、パパを上回るほど素敵な人に出会ったことがないのだから。

梨沙も自己紹介では簡単にベルリンで過ごしたことを伝えたが、以降のメンバーは話半分で頬杖をついて窓の外を眺めていた。絵に描いたような入道雲が湧き上がっている。飛行機がその中に突っ込んでいく。

あの飛行機、どこにたどり着くんだろう?
どっか、飛んでいっちゃいたいな。なんか、何も感じたくない。

パパに触れたい。パパに触れてもらいたい。

梨沙は左手を窓に向かって伸ばし、光に触れるように指先を研ぎ澄ました。

初日が終わり荷物をまとめていると、梨沙がドイツ滞在者ということに興味を持って近寄る女子学生が数人集まってきた。ほとんどの子たちは英語圏に留学しているから、非英語圏は少々珍しいのだ。

人見知りの梨沙は、あまり大人数で来られると困った。けれど遼太郎からも再三『壁を作るな』と忠告を受けているため、「この後みんなでお茶して帰ろうよ」に付き合うことにした。

この歳での海外留学者は勝ち気な性格の生徒も多く、また溌剌としたいわゆる "陽キャ" が多い。
梨沙も誰よりも勝ち気だが、陽キャではないと自分では思っている。輪の中では自分から話題を振ることはなく、はしゃぐ誰かに付き合うでもなく、「梨沙って意外とおとなしいんだね」と言われた。

意外と大人しい子、で済むならそれでいい、その方が楽だ。
誰も私のことなんて知らなくていい。
素の私を知ったら…ううん、そもそも理解なんてされないから、私は。
本当の私を知っているのはあの人パパだけ。
あの人パパの前でだけ私は自由なの。
それでいいの。

みんなと別れた後のホームでひとり、小さくため息をつく。
スマホを取り出しヴォイスメッセージを送る。

パパ? 今日は何時に帰ってくるの? 新学期初日が終わって何だか疲れちゃって。一緒に晩ご飯食べて欲しいの。待ってても良い?

引導は渡されたものの、そんなに簡単に気持ちが切り替わるはずもない。梨沙の16年と11ヶ月、つまり全人生で恋い焦がれた相手は遼太郎だけなのだから。

梨沙は思う。

あれ以来、今までのようには近寄れない。
もっとくっつきたいのに。0まで近づいて欲しいのに。ううん、もっと。

諦めなければ夢は叶うというけれど、あまりにも妨げになるものが多すぎる。
もしも他人と恋に落ちていたら、その人と何かしらの障壁が出来たとしたら…、その方がまだ諦めがつく気がする。だって、もう会わないと決めたらそれを実行するのは簡単だ、他人であれば。

けれどあの人パパの場合はそうは行かない。肉親だから。
そして、父親だから。
一生、繋がりが切れることはない。どんな手段を使ったって、完全に切ることは出来ない。

一体どうやったら、他の人を選べるようになるの?

切なくて苦しくて、涙が溢れてくる。

「初日で早速疲れたのか」

帰宅した遼太郎が夕食のテーブルで梨沙の向かいに着くなり声を掛けた。

「学校の居心地はどうだ? 始まったばかりでまだわからないか…」
「たぶん平気。似たような境遇の子ばっかりだから。小学校の時と違って」
「そうか」
「今日も帰りにみんなでお茶して行こって誘われて、行って来たし」

壁を作らず接する…それを示せば遼太郎はきっと喜ぶ。だから自分は気が進まなくても行った。

案の定その話をすると遼太郎は笑顔を浮かべた。喜んでくれるならそれで良いのだと思う。

ただ遼太郎の方は、散々見て来た娘のことだからわかる。梨沙には “程よい加減” が難しい。0か100かみたいな子だから、全くやらないか、無理してまでやるか、だった。

けれど夏休みも中学時代の友達とお泊まり会したり(これは梨沙の嘘だが、幸いまだ遼太郎にはバレていなかった)、今日もみんなについて行ったり、努力しているんだと思うといじらしくなってくる。

「いいな。仲良くやってくれよ。ただしあまり無理しすぎないようにな」

梨沙は、これからのことは全て無理でもやっていかなければいけない、と暗い気持ちになった。


***

数日が経過して学校生活に馴染んできた頃、梨沙は学校の図書室へ足を運んだ。
小学生の頃、帰国子女だった梨沙はクラスメイトにいじめられ、よく図書室に籠もって一人で絵を描いていた。そういう印象があるから何となく暗い気持ちになる場所ではある。

しかし今の梨沙はきちんと "読書を目的として" 訪れていた。日本文学のコーナーを見て回る。自分の気持ちに近しい本を読んでみたくなった。

ドイツ文学ではなく日本文学を選んだのは、国語力を上げていく必要もあったが、日本文学の方が湿った淫靡さを感じられると思った。欧州と日本の気候の違いと同じだ。
満たされない気持ちを重ねたかった。ドーピングのように強い刺激の方がありがたい。

谷崎潤一郎の『痴人の愛』。歳の離れた男女の話。これは共感できるものがあるかもしれないと思い手に取った。あとは『刺青』だ。自分も "刺青" を持っているから。

家族には読んでいることを知られたくなく、通学中と眠る前に読んだ。登場人物を自分と遼太郎に置き換え、すぐにこれらの作品に没頭した。

"私だけがおかしいんじゃない。世の中にはこういう『願望』を持つ人も、世界もある。"

自己肯定したかった。叶わぬ恋なら藁にもすがる思いで、何でもいいから満たして欲しかった。テクストの中だって良いから。

家では相変わらず、遼太郎は優しい。普段は何の変わりもない。

ぬくもりが恋しい梨沙は、家族が不在の時にこっそり両親の寝室に入り、クローゼットか遼太郎の長袖Tシャツを盗み出す。
以前から父のシャツやパーカーを勝手に着ることがあった。ダボダボのパーカーをワンピースのようにして着、白く細い脚を際どくのぞかせ、夏希に注意されても無視して着続けていた。

黒いロングスリーブシャツ。agnes b.は昔から遼太郎が好んで着ているブランドだ。
そのシャツに顔を埋め、鼻を鳴らす。洗濯されていても、奥深くに感じる匂いがある。それはもう梨沙に取っては麻薬も同然だ。

シャツを抱き締め、持ち去る。そして眠る前にナイトウェア代わりにそれを被って、ベッドに潜り込む。

寂しいけど。

こうするしか。

「お前、また俺のシャツ…返ってきてないんだけど」

しばらく過ぎた頃、遼太郎は言うが梨沙は「もらっちゃった」と平然と言う。

「もらっちゃったって…自分のあるだろ。女子用の、自分のが」
「大きいサイズだと寝る時ちょうどいいんだもの」

こういったことも、どうしたもんかと遼太郎は頭を抱える。

「梨沙、もう俺の服は着るな。欲しかったら買えばいい」
「売ってる物が欲しいんじゃないの…。こういう事ももうやっちゃダメなの?」

切ない瞳を向けてくる。

“普通はやらないよ”

言おうとしてやめる。
梨沙に “普通” は通用しない。





#12へつづく

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