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【連載小説】あなたに出逢いたかった #17

歩いているうちに日もだいぶ傾いて来た。稜央は見つからない。

マジックアワーは梨沙の大好きな時間だ。愛する人の色…父親の “色” がこの黄昏時の色なのだ。梨沙の持つ共感覚は子供の頃よりは弱まっているものの、色を見ることが出来る。

くん、と鼻を鳴らす。慣れない土地と大勢の観光客せいか雑多な匂いがすごかったが、微かにあの大好きな匂いも感じられそうだった。

そうして梨沙は、前をゆく康佑の肩の向こう遠く、視界に入った姿にハッと目を見開く。

「…パパ?」

遼太郎によく似た後ろ姿を見た気がした。
駆け出す梨沙。驚き慌ててそれを追い掛ける康佑。

「パパ!」

しかし人の群れに紛れ、見失ってしまう。

「パパ…!」

大きな声で呼んだため、周囲の人々が何事かと振り向く。追いついた康佑も「パパってどういうこと?」と息を切らせながら言う。

「…何でもない…」

声を震わせた梨沙に康佑は「え、ガチで親父がいたの?」と訊く。

「わかんない。似た人だった」
「ここに来るって言ってたの?」

梨沙は黙って首を振る。

「こんだけ大勢いるんだし、似た人でも見たんじゃないの?」
「そうかもしれない。でも…」
「俺ビビったよ。マジで梨沙の親父だったらちょっと…」

康佑は別の理由で焦っていたようだが、梨沙の動揺は収まらなかった。
スマホを取り出してメッセージを送る。

パパ、今どこにいるの?

しかしいつまで経っても既読は付かなかった。

「…梨沙の親父って怖い人なの?」

康佑が尋ねる。

「怖くない…、たまに怖い時もあるけど、それ以上にすっごく優しい人。なんでそんなこと訊くの?」
「いや、さっき似てる人見かけたって言ってから梨沙、なんかビクビクしている気がして。スマホもめっちゃ気にしてるし」
「ビクビクしてるわけじゃ…」
「ベルリン留学中も、お前毎日家に電話してたもんな。あれ、それは片思いの奴のとこに掛けてたんだっけ? どっちだったか忘れた」
「…」
「なんか男といるとこ見られたら、親父がメチャクチャ怒るのかなって思っただけ」
「…」

怒るのかな。怒らないだろうな。
怒ってほしいけど…。
でも実際、どんな顔するんだろう。
もしかしたら稜央さんの時も、本当にただ動揺しただけなのかもしれない。まさか私が、好きな人を作るなんて、って…。

モヤモヤした気持ちを抱えているうちに、辺りは宵闇が降りて来る。

「暗くなって来るとちょっとしんどいな。これ明日もやってるんだよな。梨沙、明日も来るか?」

康佑に尋ねられ、梨沙は一瞬迷った。
稜央に会える確証はない。
けれど。
目の前にチャンスがあるのに、みすみすやり過ごすのもどうか、と。

「…行く。明日はもう少し早い時間にしてもいい?」
「俺は地元だから一向に構わないよ」

ありがと、と小さな声で礼を言うと、康佑は胸を張った。

「明日こそ会えるといいな」
「うん」
「…家まで…あ、いや。最寄駅まで送ろうか?」
「結構」
「だよねー」

おどける康佑だが、自分たちの距離が縮まったのか変わらないのか、よくわからなかった。

家に帰ると、遼太郎は不在だった。

「ママ、パパはどこに行ったの?」
「知り合いとちょっと飲んでくるって言ってたから、遅くなると思うわよ」
「どこに?」
「そこまでは聞いてないわよ」

梨沙はスマホをチェックする。夕方送ったメッセージはまだ既読が付いていない。

あれは遼太郎だったのだろうか。梨沙がよく盗み着る黒のパーカーだったと思う。けれどそんな服装は誰だってしている。

梨沙は遼太郎が帰ってくるまで起きて待っていようと思ったがなかなか帰って来ず、夏希に叱られ部屋で待っている内に歩き回った疲れも相まってか、いつの間にか眠ってしまった。


***


ー 遡ること1日前、金曜日の夜。

「明日の夜、悪いんだけど別行動させてくれないか。俺ちょっと…人と会うんだ」

飛行機に乗り込むなり、稜央が告げると藤井は「女か?」と訊いた。

「違う違う。ただの知り合い」
「お前、あっちに知り合いいるんだ?」
「うん…実は親父と会うんだ」
「え、あ、親父さんか。なんだ。何、あっちに住んでるの? あれ、単身赴任かなんかだっけ」
「いや…、俺ん家、ちょっと複雑でさ…」

どこまで話そうか稜央が言いあぐねていると、藤井は「まぁ話したくなかったら話さなくてもいいよ」と言った。

「話したくないわけじゃないんだけど…」

けれどやはり、母親のことを軽率な女だと思われるような気がして、言わないことにした。藤井も特に勘ぐる様子もない。

「悪いな、突然。土曜日は一通りの予定はこなすつもりだから」
「全然。予定って言ったって、行き当たりばったりが多いからな」

ハハハ、と藤井は笑った。

土曜日は朝から街のあちこちでジャズの生演奏が流れ、瀟洒ながらもファンキーで愉快な空気に満ちていた。

楽器を持って来ることを断念した稜央は、飛び入りでサックスにて参加する藤井の観客となったり、時には店やスペースに据えてある鍵盤を借りるなどしてセッションに参加したりした。

招待された遼太郎も詳細な場所を知らされておらず(そもそも稜央に土地勘がないため、詳細を教えられなかった)、だいぶ放浪した後にようやく見つけることが出来、僅かな時間の稜央のステージを楽しんだ。

以前遼太郎が息子の演奏を聴いたのは、彼がオーケストラを従えてピアノソロを弾いたコンサートだった。オケを従える、という大役にハラハラしながらも、楽章ごとの彼の表現力に圧倒された。

全く、俺以外はみんな大したものだ。みんな何かに秀でている。俺だけ凡庸で、つまらない人間だ、と遼太郎はその時痛感した。

稜央もまた人混みの中から、ラフな服装の遼太郎を見つけると "本当に観に来てくれた" と、心臓が跳ね上がった。

「久しぶり」

演奏を終えた稜央が駆け寄ってそう声を掛けると、遼太郎も「よぉ」と小さく手を挙げた。
遼太郎の髪には白いものがチラホラと混じり、気のせいか顔も幾分やつれたかのように見えた。そのためか彼の強烈なイメージとしてあった威圧感は幾分和らいだ気がした。

そうか、父ももう50代半ばに差し掛かっているのだ。

「あ、お父さんはじめまして。川嶋くんの同僚で藤井と申します」

稜央の背後から現れた藤井はにこやかにそう挨拶して右手を差し出した。遼太郎は自分が "お父さん" と呼ばれたことに面食らい苦笑を浮かべたが、自己紹介をし握手を交わした。

「えっ…お父さん、若くないですか?」

驚く藤井に遼太郎も稜央も照れたような困惑したような表情になったが、昨夜『俺ん家、ちょっと複雑なんだ』と稜央が話していた事を思い出し、藤井はそれ以上の話題は控えた。

「じゃ川嶋、ホテルの部屋集合で。多分俺、寝てるけどな」

そう言って藤井は手を振りながら人の群れに紛れて行った。

「じゃ、行くか」

短く遼太郎は言い、歩き出した。稜央がそれに続く。






#18へつづく

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