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【連載小説】あなたに出逢いたかった #35

母屋に戻ると夏希は台所で年越し蕎麦の支度を手伝っているところだった。祖母が海老や野菜の天麩羅を揚げている。年寄りは遅くまで起きているのが辛いらしく、夕食のタイミングで食べるという。はしゃぎすぎて疲れ、客間で寝ていた蓮も起きてきた。

そうして祖父も揃い、家族6人が介した。自分の両親を前にすると遼太郎の表情が幾分固くなる。
湯気を立てた蕎麦の器が目の前に置かれる。梨沙は魚介は嫌いだが海老の天ぷらは別だった。ただ天ぷらが汁に浸かってしんなりとするのが嫌いで、蕎麦の上からすぐに皿に下ろすと祖父も祖母も眉を顰めた。それを遼太郎が「本人が旨いと思う食べ方でいいじゃないですか」といなし、自分も天ぷらを皿におろした。梨沙は誇らしい気持ちになった。
逆に蓮は天ぷらは浸してズブズブにするのが好きだ。本当に姉弟はそりが合わない。


食後は遼太郎が風呂に入りに行った。
梨沙はミッション実行のチャンスだと思い、すぐにカバンを持って2階に駆け上がり、次の間の襖を開けた。更に奥の物入れの戸を開ける。
同じ小学・中学の卒業アルバムが2冊ずつ(これは隆次の分もあるからだ)、そして高校のアルバム。
だが、ハガキがしまわれていた白い紙の箱が見当たらない。

おかしいな、と思い物入れの中をしばし漁っていると、梨沙の背後で襖が勢いよく開いた。
ひぃっと叫び声を挙げて振り返ると、そこには祖母が立っていた。

「…またアルバムなのかい? 好きだねぇ本当に。今日こそ持って帰っておくれよ」
「あ…」

まともに声を出せずにいると「布団を敷きに来たんだよ。あの子が客間に4人は狭いっていうから」

祖母はそう言って、廊下を渡った先の6畳間に向かった。昔の遼太郎の部屋とされた反対側の部屋だ。

「お祖母ちゃん、私がここにいたこと、パパには黙ってて!」

祖母は部屋に入ろうと扉に手をかけて止め、怪訝な顔で睨むように梨沙を振り向き見た。

「お前さん…一体何をしているんだい? ここはあの子の家なんだよ? どうしてあの子に隠し事するんだい? 悪いことしているんだろう?」

梨沙は言葉に出来ず、震えながら首を横に振った。思わず胸の前で手を組んだ。
ふん、と祖母は鼻を鳴らし、部屋に入るとピシャリと扉を締めた。

まだ動悸が止まらない。墓穴を掘ってしまったかもしれない。それより今は年賀状をもとに戻さなければならない。けれどあの白い紙の箱は見当たらなかった。

梨沙は仕方なく弓道部のアルバムに挟もうとし、その手を止め改めて宛名の美しい文字を見入る。


川嶋桜子。


裏のメッセージ。
『もし離れちゃっても、ずっとよろしくね!』

梨沙は唇を噛み締めると、急いでアルバムに挟んで元の場所に置き、部屋を出た。祖母と鉢合わせないように、他の家族に気づかれないようにそろそろと階段を降りた。

「梨沙は1階でママと休め。蓮、お前は俺と2階の部屋使うぞ」

風呂から上がった遼太郎はそう言い、梨沙は動揺した。別に証拠が残っているわけでもないが、遼太郎が2階を使うとなるとやや胸騒ぎがする。

「私…2階がいい」

まるで犯罪者が犯行後再び現場を訪れるかのようだ。アルバムの部屋に遼太郎が入らないようにと必死だった。

「爺さん婆さんは旧い人間だからな。男の子は男親と、女の子は女親と部屋を共にするっていうのを当たり前と考えている。それに2階はたぶんあまり使われていないから、部屋も綺麗じゃないだろうし。梨沙は1階で休め」

遼太郎は梨沙の肩に手を置き、蓮を連れて2階へ上がろうとした。

「パパ!」

声を挙げた梨沙に、驚いた顔をして振り返る。

「どうした?」
「…私も2階に上がってみてもいい?」

何だそんなことか、という顔をして遼太郎は「いいけど」と言った。
背後で祖母が「学校のアルバム、持って帰っておくれよ。隆次の分もついでに」と言うので、梨沙はヒヤリとした。

「アルバム? あぁ、卒業アルバムの類か…。邪魔なら処分してくれて構わないですけど」
「好きになさい」

祖母の言葉に蓮が驚いた様子で遼太郎に尋ねた。

「処分って、捨てちゃうの?」
「持って帰るほどでもない。荷物が増えるし、こんな広い家でたかだかそんなものが邪魔だというなら、処分したらいいんだ」
「ダメだよそんなの。学校のアルバムって思い出でしょ。簡単に捨てたら…。そのままにしておくべきだと思う」

梨沙のその言葉に、遼太郎は不思議そうな顔を向けた。

「お前がそんなこと言うなんて珍しいな」
「あ…つまりその…例えば私が大人になって "こんなのもうどうでもいい" って思い出の物を処分したら…パパは悲しくない?」
「そうだよ。卒業アルバムって捨てたり処分したりするものじゃないと思うな」

珍しく蓮も梨沙に同意した。言われた遼太郎は少し思案し「確かにな」と言った。
しかしアルバムというキーワードが出てしまったがために、遼太郎はそれを探すこととなった。

2階に上がり、遼太郎は次の間に入っていく。蓮がそれに続いた。梨沙は口から心臓が出そうなほど緊張し、しばらく中には入れず入口で立ち尽くした。

2人が物入れから出したアルバムを床に広げた眺め出す。蓮が写真を見て茶化すと遼太郎は苦笑いをした。梨沙は立ったまま背後からその様子をただ見ていた。

やがて蓮が高校のアルバムを手に取る。

「高校生のお父さん、あんまり変わってないね」
「そうか?」

やがて巻末の部活の写真を見つけたらしい蓮は「あ、いた。弓道部。へぇ~、様になってる」と言った。梨沙は思わずギュッと拳を握ったが、立ち尽くしたままの彼女に遼太郎は「入って座ったらいいじゃないか」と声をかけた。

おずおずと2人の背後に腰を下ろすとほぼ同時に蓮が声を挙げた。

「この隣の女の子、すごいね。外国人みたいだ」

梨沙の身体に緊張が走る。それは川嶋桜子のことだ。

「そうだな」

遼太郎の声は落ち着いていた。蓮はその写真をやけにじっくりと眺めている。そして後ろの梨沙に聞こえないようにか、遼太郎の耳元で声を潜めて言った。

「この人がさ、お父さんが好きになったって人?」

遼太郎は僅かに梨沙を気にしたようだったが、あっさりと「そうだよ」と認めた。指を唇にあて「お前、絶対ママに言うなよ」と釘を刺すと、蓮は力強く頷いた。男同士の秘密が嬉しいようだ。
2人は背を向けているため、遼太郎がどんな表情をしているのか梨沙にはわからない。

「お姉ちゃんも内緒だよ」

突然振り向いた蓮が言う。

「な、何をよ?」

蓮は憮然とした顔で「聞こえてなかったのならいいよ」と言い、またアルバムに目を落とした。その時だけ遼太郎はほんの少し振り返り、苦笑いを浮かべたように見えた。

やっぱり。やっぱりそうなのだ。
梨沙は膝の上で拳を固く握りしめた。蓮は「前に話していた通り、本当にカッコいい女の子だね!」と、顔を近づけて更にじっくりを写真に見入った。

「今もこの辺に住んでるの?」
「さあな」
「全然連絡取ってないの?」
「当たり前だろ。もう40年近く経つんだぞ」

遼太郎は蓮の頭を小突いた。
そうしてポツリと呟くように言った。

「まぁどこかで幸せに暮らしてくれていれば、それでいいんだ」


遼太郎は物入れの手前にあった弓道部のアルバムを手にする。その瞬間、挟まっていたものが1枚、ひらりと床に落ちた。

梨沙は心臓が止まりそうになる。拾い上げた遼太郎はそれを見、僅かに頬を引きつらせた。

「お父さん、それは何?」

蓮の問いに遼太郎は「クラスメイトからの年賀状だな」と言い、すぐにアルバムに挟み直して、元の位置にしまった。

「これも古いアルバムだけど、これは持って帰らない」
「どうして?」
「どうしても、だ」
「見せて」
「これはだめだ」

ほらもう寝るぞ、と遼太郎は子どもたちを次の間から出した。
出る時に梨沙と目が合った。梨沙は怯え、遼太郎は冷ややかだった。





#36へつづく

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