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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Childhood #17

そしてまたまた小事件が発生する。今度は家で。梨沙が中学2年の秋。

いつものように夕食を取るのに遼太郎の帰りを待つ梨沙に、先に夕食を終えた蓮が、夏希が風呂に入っている間にこう言った。

「お姉ちゃんさ、いつまでお父さんに甘えてるの? もういい歳のくせにさ」

普段口数も少なく大人しい蓮が、梨沙に対して攻撃的なことを言うのは珍しいことだった。梨沙自身も驚いたが、近頃のアンガーマネジメントもあり、初めはグッと我慢した。

けれど蓮も、いつか言ってやろうと思っていた。
お姉ちゃんが独り占めするお陰で、僕はお父さんともっと話したいのに、話をさせてくれない。食事だって一緒にしたいのに、お父さんの仕事が遅いのは仕方ないにしても、お姉ちゃんのせいで分断されている。
そういう気持ちが日々膨れ上がっていった。

「赤ちゃんみたいなこと、やめてよ。恥ずかしいよ。僕のお父さんでもあるのに、僕が話しているとお姉ちゃん、いっつも睨んできたり、お父さんをどっか連れて行っちゃったりして…」

蓮もそこで感情が込み上げたのか、涙声になる。

「やめてほしいんだよね、そういうのもう、いい加減に。お姉ちゃん来年中3なんだよ」

梨沙は弟からそんなことを言われるなんて予想だにしなかった。驚きと怒りと、悲しみが同時にやってきてパニックになる。

「そういう蓮だって来年中学生でしょ! あんただって甘えたいんじゃない!」
「僕はお父さんに甘えた記憶がない。お姉ちゃんのせいだ! 僕だってお父さんとたくさん遊びに行きたいのに!」

梨沙の中でプツン、と何かが切れた。
パパは私のもの。
パパがいないと、生きていけない。

「私のパパを取らないでよ!!」
「お姉ちゃんのものじゃない!」

2人は取っ組み合いの喧嘩になった。物音に気づいた夏希が出てくると、2人のそんな姿に驚き、慌てて止めに入った。

「2人とも何やっているの!?」

引き離された2人は何も言わない。息を上げながら互いを睨み合っているが、双方の目は真っ赤だった。

「梨沙、また蓮に何か言ったの?」

夏希のその言葉に再び梨沙のスイッチが入ってしまう。

「私じゃない! 蓮が先に言ってきた! どうしていつも私ばっかり悪者にするの!?」
「梨沙!」

やだやだやだ。居心地が悪い。
学校も家も、全部全部。
パパがいないと、居心地が悪い。

パパがいないと、生きていけない。

「私、悪くない…!」

梨沙は家を飛び出した。夏希が追いかけようとするが、外に出られるような格好ではない。髪も濡れたままだ。

「蓮、お姉ちゃん追いかけてくれない? 私もすぐ後を追うから」
「…嫌だ」
「蓮…!」

口を真一文字に結んで涙をこらえている。

「…何があったの? あそこまで喧嘩するなんて…」
「何でもない…」
「何でもないわけないでしょう?」

母には言えなかった。
黙り込む蓮に留守番を言い、夏希は上着を羽織って梨沙を追いかけた。
蓮はリビングのソファで膝を抱え、顔を埋めた。


髪も乾ききらないまま、夏希は近所を探し回った。晩秋の夜風が一層しみる。
遼太郎に連絡しようかどうか、躊躇した。梨沙のことで、本当にかかりっぱなしになってしまう。
それに結局、梨沙のことは遼太郎にと、自ら梨沙を放棄しているような気持ちになる。

「梨沙…」

言ってはいけない一言を言ってしまったのだろう。ただでさえ普段心が通い合っていないのに、いえ、通い合っていないからこそ梨沙のせいだと思い込んだ。
以前学校でも、同じことで梨沙は深く傷ついた。
それなのに。
多感な年頃なのに。同じ女性として、最も寄り添ってあげられる存在のはずなのに。

私が梨沙を見つけないと。
そうよ。遼太郎さんだけのものじゃない。
梨沙は、私たち・・の娘。

夏希は一度マンションに戻り自転車に乗った。
いつも梨沙がいく公園…かつて遼太郎と2人でよく行ったあの場所に向かってこぎ出した。

***

遼太郎が家に戻ると、蓮がポツンとリビングのソファに座っている。

「蓮…どうした? ママと梨沙は?」
「…お姉ちゃん出て行った。お母さんが探しに行ってる」
「えっ…? 何も連絡もらってないぞ」

青ざめた遼太郎が玄関の方を見やると、咄嗟に蓮は言った。

「行っちゃうの? 僕を一人にするの?」

その言葉に遼太郎はハッとして振り返る。蓮の髪はぐしゃぐしゃで、頬が赤くなっている。

何が、あった。

「蓮…、お前も一緒に来い」

そう言うと蓮は黙って立ち上がった。

***

遼太郎は夏希に電話を掛けたが繋がらなかった。道すがら何があったのか蓮に訊くと

「僕がお姉ちゃんと喧嘩したんだ」

と言う。

「その頬は梨沙にやられたのか」

そう訊くと蓮はその頬をさすった。

「…何があったんだ。まぁ梨沙もすぐにカッとなる奴だけど、お前のこと叩いて飛び出すってよっぽどだろう?」
「僕もお姉ちゃんのこと、叩いたよ」
「…ずいぶん派手にやり合ったんだな」
「…お姉ちゃんに言ったんだ。お父さんに甘えすぎだって」
「え…」

蓮はポツリポツリと、気持ちを吐露し始めた。

「小さい頃からお姉ちゃん、全然変わってないじゃないか。お父さんのこと独り占めして。僕だってお父さんと2人で遊んだりしたいし、一緒にご飯も食べたいし、もっと話がしたい。なのにお姉ちゃん、それをさせてくれない」
「蓮…」

遼太郎は蓮の頭を抱き寄せた。

「俺が梨沙を甘やかしてるんだ。俺が悪い」
「お父さん…僕のことも見てほしい」

遼太郎は再びハッとした。

見ているつもりだった。もう一人の "息子" を反面教師として、気をつけていたつもりだった。
けれど本人に伝わっていなければ、所詮「つもり」に過ぎない。言い訳はできない。
蓮に対してふとよぎるもう一人の "息子" は、遼太郎を躊躇わせる。

「蓮、ごめん」
「謝ってほしくないけど…」
「いや…」

遼太郎は膝を落として目線を蓮に合わせると、彼は真っ直ぐに見つめ返してきた。隆次とも "アイツ" とも違う。思いの外凛々しい目つきに、遼太郎は驚いた。

12歳の蓮。
彼もまた、確実に少年へと育っていっているのだ。

「蓮、お前は大人だな」
「僕もお姉ちゃんみたいに子供っぽく徹していたら、お父さんももっと構ってくれた?」

蓮の言葉は父への思慕だった。遼太郎は戸惑いながらも、蓮を抱き締めた。

「…お父さんごめん。今はお仕事が忙しいのわかってるよ。ベルリンにいた頃は一緒に公園に行って遊んだり、電車に乗ったりしてすごく楽しかったけど、最近はそういうのなくなっちゃって、僕もちょっと寂しくて。やっぱり僕もまだ大人じゃない」
「いや…」

抱き締める腕に力を入れた時、遼太郎のスマホが鳴った。夏希からだった。梨沙を見つけたという。休日にいつも行く公園にいた、とのことだった。
ホッと胸を撫で下ろし、蓮の手を引いて歩き出した。

「公園で見つかったってさ」
「ふーん」
「みんなで行こうな、今度は」

蓮は無言で頷いた。




#18(Childhood編最終話)へつづく

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