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「対岸の鐘」第3話【創作大賞2023】

Mostarのバスターミナルへは15時には着いていた。

モスタルのバスターミナル

僕はちょっと期待をして周辺を気にしながら来たが、真結さんの姿はなかった。待合室にも姿はない。

ちょっと急げば15:10のバスに乗れたが、何となく1本遅らせることにした。
キオスクで飲み物とお菓子を買う。

次のバスまでは50分近くあるので、僕はぷらぷらと周囲を散策した。

しかし、のどかな街だ。道路は整備中のところが多く、新しい建物も多い。
これからなのかな、と思う。

街の中心を象徴的に流れるネレトバ川、そこにかかるスターリ・モスト橋。その橋周辺の、イスラムのモスクとクロアチア系の教会が1つの視界に入って、アザーンの声、鐘の音が響く様は衝撃的だった。
こんな独特な空気の流れる国は初めてだ。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ。その不思議な空気にぐいっと心を掴まれた。
これから移動する首都・サラエヴォがますます楽しみになった。

そう僕はついに実現させようとしている。

『僕、これからサラエヴォに行くんだ』

少し余裕を持たせて出発の20分前にバスターミナルへ戻ると、真結さんの姿があった。先程は7持っていなかった黒い大きなバックパックを背負っている。
向こうも僕に気づき、少し微笑んで手を振ってくれた。

「真結さん、お疲れさま!…ほんとに会えた!」
「そんなこと言って、狙ってたんじゃないんですか?」

僕は図星だったので、言葉に詰まってしまった。
彼女はクスっと笑う。

あ、かわいい。

やばいやばい。ギャップ萌えってやつだ、これ。
旅先には魔物が住むと言うし(?)、気をつけないと…。

「もう買ったんですか、バスのチケット」
「あ、僕ですか? はい、買いました」
「15:50のですよね。じゃ、私はちょっと飲み物買ってきます」

真結さんは僕がさっき行ったキオスクに入っていった。
僕の胸は様々な期待で…膨らんでいた。旅にちょっと色が添えられたような。

彼女を待っている間にスマホにメッセージの着信があった。姉さんからだった。

写真が添付されていて、僕が預けた猫のロドリーグと、義兄さんの3人(?)で写ってる。

公園だ。ピクニックに行った、とメッセージが添えられていた。

義兄さんの腕の中でロドリーグは目を細めて、ふてくされたような、ムッツリした顔してる。
めちゃめちゃ喜んでる。
ロドリーグは飼い主の僕よりも義兄さんのこと気に入っているから。まぁ、確かに義兄さんはカッコいい人だけどね。そしてドリーグは雄なんだけどね。

「バス、入ってきましたよ」

真結さんが戻ってきて言った。僕たちは並んで席に着いた。

「今、姉からメッセージ来て。これです、僕の家族。猫のロドリーグと、姉と姉の旦那さんです」

真結さんは僕のスマホを覗き込んで、猫を「まん丸でふてぶてしそうな所がすごくかわいい」と褒めてくれた。

「なんかいいご夫婦ですね」
「そうなんです! 自慢の姉夫婦です! 義兄さんは姉の元上司なんですよ。姉のお腹の中には僕の甥っ子か姪っ子がいるんです。秋に生まれてくる予定で、もうすっごく楽しみで!」

真結さんは微笑んだ。一方的にしゃべってしまった僕は少し恥ずかしくなって慌てた。

「なんか、真結さんも、なんかないですか」
「えっ?」
「写真とか」

唐突すぎたかな、と思った。海外で都市間のバス移動、会話の糸口に必死になっていた。

「家族の、ですか?」
「いや、家族でなくてもいいんですけど、なんか」

僕はしどろもどろしていたかもしれない、彼女は苦笑した。

会った時よりも笑顔が多くなった、気がする…。まだ出会って数時間ではあるが…。

真結さんはスマホを取り出し、カメラロールをスクロールし始めた。

「なんか…お見せできそうなものは…あまり…あ、これ」

彼女が見せてくれたのは…道端に落ちていた、ミカン、の写真。

「…え?」

僕は思わず固まった。彼女は吹き出した。

「すごくないですか? これ、青山通りで撮ったんです。都心の真ん中の道端に、ミカンが落ちてるんですよ」

僕は笑った。
写真が面白かったのではなく、彼女が。
こんな彼女がジェノサイドを研究しているなんて、結びつかない。

バスの中でも僕たちは日本での暮らしを話したり、買ってきたお菓子を食べたりして、途中ちょっと寝たら、割とあっという間にサラエヴォに着いた。所要時間は2時間と少し。
話が弾むかな、気まずい空気になるかなと思ったのは、杞憂に終わった。


首都の割には荒涼とした印象だった。
閑散としたバスターミナルと出ると、色褪せ、錆びついた看板が出迎える。

サラエヴォのバスターミナル敷地内にある看板

「わ、なんだこのキャラクター」
「84年の冬季オリンピックのマスコット、ブチコです。サラエヴォで開催したんですよ」

真結さんが教えてくれた。

「え、ここって冬のオリンピックになるくらい寒い所なんだ?」
「まだ地球温暖化の進む前ですからね…。当時、共産圏で初めての冬季オリンピック開催となったんです」
「さすが詳しいなー。それにしても “ブチコ” って名前もなかなかすごいね」

真結さんは寂れたこの看板を見上げて神妙な面持ちで言った。

「今、オリンピックで使われた競技場の一部は、紛争の犠牲者の墓地になっています」

笑顔の消えた彼女から、僕はいよいよ、この国の辿った厳しい歴史に直面しようとしているのだ、と背筋が伸びる思いだった。

僕たちはトラムに乗って旧市街の中心まで移動した。
真結さんの宿泊先も、僕が泊まるホステルも旧市街の中にあった。ボスニア・ヘルツェゴビナ側のバスターミナルは新市街の中にある。

紛争当事プレスが集まっていたホテル

「ここ、スナイパー通りと呼ばれている通りです。紛争中、盆地のサラエヴォは周囲の丘陵にセルビア軍が陣取って、この通りを通る人…いえ、動くものを容赦なく撃ちました。だからスナイパー通りと言われています。
通勤・通学でさえ、市民が協力し合って ”通るなら今だ!” と合図して道を渡ったり、先に渡った誰かの犠牲の上であったり。ただ日常使っていた通りを通るだけで、命がけだったんです」

同時に真結さんは「通り沿いの建物をよく見て」と言った。

新しい建物も立ち並ぶが、中には少し古いものもある。その壁には無数の弾丸の痕が残っていた。

「春彦さん、ドブロヴニクから来たって言ってましたよね。あそこも砲弾の雨が降った街ですが、新しい屋根と古い屋根が混在していたと思います。ドブロヴニクは観光地ですからそれでも修復が進んで被害のあった屋根は一部を残して新しくなっています。でもここではお金がなくて、修復できない所が多いのです。だからそのままになっているところが多いです」
「へぇ…」

トラムはスナイパー通りを東へ向かって進む。近くの、遠くの建物はなるほど、確かに壁に弾丸の跡と思しき穴がそのまま残されているところが多かった。そのままって…もう30年近く経っているというのに…。


やがて川沿いの狭い道に入り、旧市街へとたどり着いた。

「お疲れさまでした。泊まるところ、近いですよね」

僕は真結さんを更に誘った。

「せっかくだから、その、名物のチェヴァ…なんとかをいただきつつ、ちょっと飲みませんか?」

彼女は一瞬ぐるりと視線を巡らせ考え込んだ後「わかりました。荷物下ろしに一旦宿に行きたいので、後でどこかで待ち合わせしましょう」と言ってくれた。

そして

「チェヴァプチチ、ですね。知っている店がありますから、そこに行きましょう」

と提案してくれた。





第4話へつづく

【参考:ブチコについて】

https://olympics.com/ja/olympic-games/sarajevo-1984/mascot


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