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Beichte ー 懺悔 ー #最終話

家に帰ると既に日は暮れていた。

リビングには両親の姿しかなく、2階に上がり自分の部屋へ向かった。

襖を開けると夏希がひとり机に向かってまだ何か見ているようだったが、俺に気づいて顔を上げた。

「おかえりなさい。途中で雪降ってきたでしょ? あ、濡れてるじゃない…傘持って行かなかったの? 身体あっためないと風邪引いちゃうよ」

「うん…、大丈夫だよ。隆次は?」

「急に仕事の用が出来たとかで、部屋に戻ってる」

そう言いながら夏希は部屋を出て、バスタオルを持って戻ってきた。
それを俺の頭から被せて髪を拭いてくれた。

「隆次は何か気に障ること言ったりしなかったか?」

「大丈夫よ、色々見せてくれたし。隆次さん、遼太郎さんのことが大好きなんだね。どれだけすごい人かって、ずっと話してたよ」

そこで夏希は思い出したようにクスッと笑った。

「俺はアイツから褒められたことないけどな」

「それはやっぱり、本人には恥ずかしいんじゃない? 本当に、ずーっと自慢されちゃった。アルバムは一番最新のが高校のだって、今見てたところ。これもね、県内で一番頭の良い高校で、いっつも成績は学年トップクラスで…。でも数学は僕が教えたんですって。それ本当? とにかくたくさん話してくれたわ」

「アイツの話聞いてて、疲れただろう」

「ううん、本当に大丈夫。だってあなたの話だもの。いくらでも聞いていたいくらいよ。…これ、部活のアルバムなのね」

なんというタイミングだ、と思いながらそのアルバムを覗き込む。
夏の大会の時のものだった。

チェリンも写っている。

「この子、金髪なのね。美人だし背も高いしすごく目立つ。弓も上手そう」

何も言えずアルバムから目を逸らした。

「結構一緒に写ってるね。彼女だったりして」

夏希は冗談のつもりで何気なく言ったと思うが。

「ごめん。久しぶりのメンツと会って来て、ちょっと疲れたかもしれない。横になりたいんだ」

「えっ、大丈夫? 雪にもあたったみたいだし、熱とかないよね?」

夏希の手のひらが額に触れると、ひんやりと心地良かった。
確かに微熱でもあるのかもしれない。

「布団、この部屋に引いた方がいいよね?」
「いや大丈夫。このまま少しだけ…」

構わず畳に寝転ぶと、夏希はバスタオルを自分の腿の上にかけ、俺の頭をその上に載せた。

「これじゃ寝心地悪いかな」
「いや…」

本当は一人になりたかったが、さっき隆次にも言われたように俺の実家で彼女を一人にするのはさすがにもうダメだろうと思った。

何も言わず寝たふりをして目を閉じる。

あの学生服…後ろ姿なのに何故 “自分だ” と直感したのか。

もし彼が今中学3年生だとしたら、俺と最後に会った翌年に生まれたことになる。
俺が父親だという可能性はある。

思い当たらないわけでもなかった。

最後の日。
あの時きちんと避妊したかと問われれば、自信がない。

確かめようと思えば出来るが、チェリンはもう俺とは会わないだろう。
強引に確かめたとしても、どうするというのか。

それにしてもまだ学生だったチェリンが家族の了承を得て産むことができたのか。

チェリンの家族は俺の家 ー親父が県議会議員な事と、古くからある家なので色々良くないイメージもあったんだろうー を嫌悪してたと聞く。
子供の父親が俺だとわかったなら猛反発をくらいそうだが。

やはり違うのか…。

“ハメを外した” とは、俺との失恋の腹いせを誰かとしたのか…。

いずれにしてもよく産むことが出来たな、と思う。

そして、いくら考えても今は答えなんて出やしない。

「遼太郎さん…」

小さく呟く夏希の声がする。彼女はそっと俺の髪を撫でている。

「…どうして泣いているの?」

言われて初めて気が付いた。
自分が涙を流していることを。

「何か…辛いことがあったの? 隆次さんが話してたの。ここは遼太郎さんにとっては居心地の悪いところなんだって。今出かけて行ったのも、この土地であったこと清算しに行ったんだろうって」

「…」

「ね、私に話せる? これからは私があなたの一番近い存在になるんだから、あなたに何か苦しいことがあるのなら、分かち合えたらって思って」

夏希の提案は最もだが、言い出せなかった。

「何もないよ…、気にするようなことは」

夏希は黙った。
その沈黙で胸が苦しくなる。

確かなことは何もない。嘘をついているわけではない。

ただ、言い出せないことがあることは確かだ。

それはやがて澱のように心にドロリと溜まっていく。
時が経つにつれ重く、俺を潰していくかもしれない。

俺はまたそんなものを抱えて行きていくのか。
いつかまた吹き出して、夢の中で俺を苦しめるのか。

「そう…ないなら、いいの」

いや…俺は夏希のために…生涯を捧げると決めた彼女のために過去を振り切ると決めたんじゃないか。
だからここにいる、と。

俺の苦しみは、夏希も苦しめる。
分かち合うとは、そういうことでもある。

どこから話すべきか。
そして、どこまで話すべきか。

「夏希、実は…」

俺は起き上がり、学生時代に自分の衝動的な気まぐれがきっかけで人を傷付けたことがある、と話した。

ただそれが恋人だった、とは言わなかった。

ずっと気持ちを封印していたが、ドイツ滞在中に思い出すきっかけがあってからは、夢に出てきたりして苦しい思いをした、と。

「俺の衝動的な言動や行動は、もしかしたら俺も隆次と同じような問題があるんじゃないかと…」

「隆次さんと同じ…? でも遼太郎さん、普通に会話出来るし大勢の人相手に仕事もしてるし…同じようには思えないよ。誰だって感情的になって傷つけることあるし。ましてや学生時代なんでしょう? 若い頃は衝動的なことするよ。そんなに苦しむことないよ」

夏希は眉を下げて泣きそうな顔をする。

「怖いんだ。ベルリンで学生時代の別の友達に会った時にも言われた。あなたは狂気だって。身内に冷たいって。俺を頼っていた弟を置いて家を出たり、そうやって衝動で人を突き放したり…。俺がこれまでして来たことの原因は何だって考えると…」

そこまで言ったところで、夏希は俺を強く抱きしめた。

「誰にでも過去はある。誰かを傷つけたりして来てる。だから今、優しくなれるものでしょう? 私、遼太郎さんは本当に優しい人だって思ってる。今の話を聞いてその理由がわかった。あなたが抱えて来たものが、あなた自身をどれだけ苦しめたかで、今のあなたの優しさがあるってことを」

夏希の身体は熱くなっていた。彼女の胸の中で目を閉じる。

「もしかして、その傷つけてしまったという人に会いに行ってたの?」

夏希は涙声だった。俺は黙って頷く。

「何か言ってた?」
「…謝るようなことは何もしていない、と…」
「そうよ。もうとっくに時効よ」
「時効…」
「あなたはそれを償おうとした。それはもう昔のあなたとは違うということよ。だからもう苦しまないで」

俺は顔を上げて夏希を見た。
涙目だが、力強さを湛えていた。

「遼太郎さん、私はあなたの強さも弱さも、抱えて来た苦しみも、全部愛しくてたまらないよ」

「夏希…」

「明日、私たちは夫婦になる。あなたは嫌ってるかもしれないけど、私はお義父さんやお義母さんと呼べる人が出来て嬉しい。家族が出来て嬉しい。何よりも私にとって最愛の人が私を選んでくれたことが嬉しい。私、あなたに何があっても…ずっとあなたのそばにいるから」

夏希は俺に長い口づけした後、ゆっくり瞳を開いて俺を見つめた。

「愛してる。遼太郎さん」

そして再び俺を強く抱き締めたその身体から感じる温もりと甘い匂いが、俺をかき乱していく。

彼女の小さな身体を抱きしめ返す。

夏希の体温を感じながら、闇に浮かぶ白い影を葬った。
『昔も今も幸せだよ』
笑顔と柔らかな声が遠ざかる。

そこへ学生服がよぎる。
冷たいやいばのように俺の胸をひと突きする。

俺のことはどうするつもり?

問いかける影。

愛するひとに黙っているつもりなの?

俺は自分でも思いがけず、笑みを漏らしていた

“まだ何もはっきりわかってないだろう”

影に向かいそう投げかけると、嘲笑が聞こえた。

笑いたければ笑うがいい。
そして見ているがいい。

神が俺にどんな制裁を下すのか。

もし俺が地獄に堕ちるなら、また笑えばいいさ。

俺はどうなってもいい。

ただ夏希だけは、この女性だけは、希望も絶望も、どんなものからも俺が守ると誓った。
夏希を傷つけるもの全てに、俺は身を呈する。

もしも俺自身が夏希の傷口になるのなら、それによって夏希が絶望するのなら、その時は一緒に堕ちるだろう。
俺は夏希から離れない。離すことはしない。

ただ今は、夏希を守ることが過去への決別だ。

たとえ俺が、どうなろうとも-。

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END




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