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【連載小説】あなたに出逢いたかった #15

月曜の朝、梨沙の元にクラスメイトの女子学生が3人近づいて来た。

「ね、梨沙。結局S高校の文化祭、行ってたんだね」

え…と顔をあげる。3人はニヤニヤしたり、腑に落ちない顔をしていたり、様々だった。
そうか、そもそもこの子たちが誘って来たんだった。当然、どこかで目撃されていたっておかしくないわけだ。

「私たち見たんだよね、梨沙がS校の人と仲良さそうにしているところ」
「ね、あれやっぱり彼氏なんでしょう? 隠さなくてもいいのに」

彼氏、と言われてカチンと来た。

「彼氏じゃないってば!」

思わず立ち上がり大きな声を挙げたので、周囲の生徒も何事かと注目した。

「そんなムキにならなくても」
「彼氏と会うんじゃ、みんなと一緒は行きづらいか、って話てたんだよね」
「だから彼氏じゃないって言ってるの!」

本気で起こる梨沙に3人はドン引きだ。うち1人は梨沙の剣幕にすっかり怯えてしまっている。

「怒らなくてもいいでしょ? 誰だってあんな風に、みんなで行くの断って1人でコソコソ行って、あんな風にイチャイチャしてたら思うでしょ?」
「イチャイチャなんかしてないし! 心外なの。好きな人は別にいるんだから!」

ふぅん、とすっかり3人は白けてしまう。別に好きな人がいる、と言う言葉も当て付けがましく感じ「いいよもう、行こう」と去ってしまった。

次の休み時間、3人はよそよそしく梨沙を避けた。

「言い方ってもんがあるじゃんね」

周囲の他の学生らも終日、梨沙には腫れ物に触れるように接したり、または避けたりした。

またやってしまった、と梨沙は思ったが、男の人とちょっと一緒にいたからといってすぐに彼氏だ、と結びつけてくる単細胞もどうなんだ、と思う。

別にクラスメイトなんてどうでもいい。
ただ、壁を作らないで接しろと教えてきた遼太郎には申し訳ない気持ちになり、同時に急激に寂しさがこみ上げた。

パパ。
私、またやっちゃった。どうして上手くいかないんだろう。無理して築いたものが、呆気なく崩れ落ちる。まるで砂の城みたいに。

それってこの先も、こんな風になるのかな。誰に対しても…稜央さんに対しても…?

パパに強く強くハグされたい。
何かに失敗した時はいつも、その温もりに救われてきた。大丈夫だよ、と頭を撫でてくれた。

けれど、最近はそんなことも出来ない。距離を置かなきゃいけない。

どうしたらいいの。
こんな時稜央さんは、パパみたいな存在になるのかな。
パパの代わりになるのかな。

夕食も入浴も済ませた22時過ぎ、遼太郎が帰宅した。今までだったら飛び出して抱きついたが、この頃は部屋から顔を出して「おかえりなさい」と挨拶するだけ。

けれど今夜は、どうしても甘えたかった。

頃合いを見計らいドアを開けると、ちょうど遼太郎が1人でリビングにいるところだった。恐る恐る近づく。
入口で黙って何か言いたげに立っている梨沙に遼太郎は「どうした?」と声を掛けた。

「パパ…ハグして欲しいの」

申し訳無さそうに言う梨沙に遼太郎は小さくため息をつく。

「だってハグだったら…家族なら普通にしてもいいものでしょ? 歳も性別も関係ないでしょ?」

お前はそこに別の意味を持たせるからだめなんだ、と言おうとしたが、やめた。代わりに両腕を伸ばした。

「いいよ、おいで」

弾かれるように梨沙はその胸に飛び込んだ。そして切ないほどにぎゅうっと強く抱き締めてくる。

「…何かあったのか?」
「また学校で…クラスの子たちとうまくいかなくて」
「そうだったのか。原因は何だ?」
「お互い…原因はあると思う」
「そうか…まぁ…仕方ない時もあるよ」

遼太郎はとことん原因を追求させる時と、こんな風に深入りせず慰めてくれる時がある。今の梨沙は後者がありがたく、梨沙の心の奥底がわかるのか実際そのようにしてくれるのだ。

腕の中で梨沙は嗚咽をあげ始め、ますます腕に力を込めてくる。ここしばらく耐えてきたものが爆発するかのように。

「梨沙、そんなに泣くほどつらかったのか」
「一生懸命頑張ってきたのに…。パパの期待に応えられないのがつらい」

その言葉に遼太郎の胸は痛み、複雑な思いが渦巻いた。

「期待って…。お前の人生は俺のためにあるんじゃないんだぞ?」
「…」

遼太郎は梨沙の頭を撫で、髪にキスしながら訊いた。

「最近はちゃんと眠れているか?」
「…昔から変わらず、いつもの通り眠りは浅いよ」
「そうか…。寝付きも悪い?」
「うん。でもそれも別に昔からだし、夜中に何度も目が醒める時もあるけど、その時パパがいないことにも、ちょっとずつ慣れてきたし、慣れなきゃいけない」
「それも期待に応えるためと言いたいのか?」
「だって…」

パパのことが好きだから、期待に応えないといけないじゃない。当たり前じゃない。

本当は慣れたくはないし、気になるならそばにいてくれたら、一緒に眠ってくれたら良いのに。それも当たり前でしょう?

でもパパは私を突き離さないといけないんだもんね。

そして私がそんなこと言ったら、台無しなんだもんね。

身体を離した梨沙は俯いたままだ。

「クラスメイトとなんとか修復できそうか?」
「…努力してみる」

その言葉に遼太郎は梨沙の頭を撫でた。久しぶりの大きな手のひらの感触に、安堵と哀しみが同時に身体中に染み渡る。

「無理しすぎないようにな。まぁお前は加減が難しいと思うが…」
「…うん。じゃあ…おやすみ」
「梨沙」

リビングを出ていこうとした梨沙を呼び止めた。黙ったまま振り返る。

「…眠れない時は我慢しないで薬飲んでおけよ」

しかし梨沙は憮然とした表情で何も答えずに出て行った。

薬なんかじゃなくて、パパがそばにいてよ。
薬なんかなくても平気なのに。
病気扱いしないで欲しい。

無理しすぎるなよって言うけれど、そのままの私じゃだめなくせに。
無理して変わらなければ、困るって言ってるのパパじゃない。

本当はそう言いたい。

矛盾。全部矛盾してる。

部屋に戻り扉を閉めた途端、再び涙が溢れた。

ベッドに潜り込んだ梨沙は、気持ちを落ち着かせるためワイヤレスのイヤホンを付け、サブスクの音楽配信サービスからジャズピアノを適当に探して流した。横浜のジャズイベントに行くにあたっての予習だ。稜央に万が一再会出来た時に、少しでも会話ができたほうが良いだろうと思ったからだ。

キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』が流れる。ジャズピアニストの彼が1975年に開催した、完全即興のピアノソロコンサートを収録したものだ。

梨沙は目を閉じ、この曲を稜央が弾くところを想像してみる。
…いや、稜央自身の姿は上書きされて忘れてしまっている。代わりに卒業アルバムで見た高校生の遼太郎をもう少しだけ大人にして、その姿をピアノの前に座らせ、弾かせた。

背中を丸め、助けて、と呟いた。

助けて。何を?
助けて。誰に?

わからない。けれど、今のままではいられないことに助けを求めたかった。

稜央さん。

心で呼んでみる。

稜央さん、あなたは私を助けてくれますか。
お願い。
私をまともな・・・・人にして。
パパを困らせないで済む人にして。

お願い。





#16へつづく


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