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【連載小説】あなたに出逢いたかった #23

稜央が悩む間に、梨沙も一生懸命話題を考えていた。この日のために準備してきたことを話す。

「陽菜さんからはサプライズにしたいから黙っててって言われていたんですけど…、稜央さんがジャズイベントに参加すると聞いて、ジャズに全然詳しくないから予習したりしたんです」
「へぇ…何を聴いたの?」
「確か…キース・ジャレット…?」
「へぇ、そうなんだ。『ケルン・コンサート』かな? あれ全部即興なんだよね。彼はクラシックのピアニストでもあるんだよ」
「そうだったんですか…。そういえば稜央さんもベルリンでジャズの曲もクラシックの曲も弾いていましたね」
「元々はクラシック弾いていたからね。ジャズは性に合ってることがわかったっていうか…まぁ、気分転換っていうか」
「キースと一緒ですね」

わかって言ってるのか、梨沙の一言に稜央は思わず苦笑いをした。

「そういえば稜央さん…私の父が同じ県の出身なんです」

しかし、突如出てきた出身の話と『父』の言葉に稜央は瞬時に強張り、叫び上げそうになる程驚いた。

「えっ…そっ、そうなの…?」
「この前の夏休み、私1人で田舎に行ってたんです。もう少し早く連絡取れていたら会えたかもね、って陽菜さんとやりとりしていたんです。もうビックリしました。そんな偶然あるのかなって」

陽菜とどこまで会話をしているのか、冷や汗が流れて来る。陽菜にもあまり家のことは話すなと釘を差さねばならない。そもそも彼女は稜央の父親の事は知らないのだが。

「父が通った高校とか行ってみました。県内で一番の進学校だったらしいです。知ってますか? 学校のちょっと先にある河原にも行ってみました。父の実家の方はすごい田舎なんですけど、高校の周りはいいところでした」

おい! その高校とやらは俺の母校、そして実家の近くなんだよ! そんな所歩いてくれるなって!

やはりマズイと思う。これ以上会話を続けると色々ボロが出る。"軽く話でも" と言ったことを後悔した。
逃げなければ。

「あ、そ、そろそろ友達のところに戻らないと…」

そう告げると梨沙は顔を上げ少し寂しそうにしたが、案外「そうですね。お友達お待たせしちゃってる」と言った。

「梨沙ちゃんの彼氏も待ってるんでしょ?」
「誰のことですか?」
「さっき一緒にいた男の子、彼氏じゃないの?あ、ごめ…」

梨沙が眉間にしわを寄せてぷっと頬を膨らませたため、稜央は思わず先に謝った。

「彼氏でも友達でもないです」

この時だけツンとして答える梨沙のギャップが、少し可笑しい。

「とにかく、じゃあ、今日はこの辺で…」
「はい…、会えて…良かったです」

そう言って寂しそうな笑顔を浮かべた梨沙を見て稜央は再び思い出した。

12月のベルリン中央駅で見せた、あの時の笑顔と同じだった。瞬時凍りついたように稜央は固まってしまう。

そんな稜央に梨沙も唇を噛み締め、強く拳を握りしめた。
やがて瞳が微かに揺れたかと思うと、その目を真っ直ぐに稜央に向けて言った。

「稜央さん、ハグしてもいいですか?」

えっ? と思う間もなく、梨沙は稜央を抱き締めた。呆気にとられて身動きがとれなくなる稜央に、梨沙は小さな声で言った。

「稜央さん…私を助けてほしいんです…」


稜央はもう、逃げることが出来なくなっていた。



康佑は梨沙の姿を捉えると、心配そうな顔をして駆け寄った。その辺にいると言いながら、元の場所から殆ど動いていない。

「どうだった?」
「うん…話できた」
「なんか梨沙、怪訝なこと言ってたから、心配してたんだよ。避けてるだとかなんだとか」
「うん、それもたぶん…大丈夫」

とりあえず泣いたり悲しそうな様子はなかったので康佑も一安心した。

「まぁでも、早く帰らないともう日が暮れちゃうぞ。親父さんに怒られるだろ。俺にとってはそっちもおっかねぇからな」

そう言われてハッとする。今日のことは遼太郎にも黙っておかなければならない。あくまでも "横浜在住の友達と会った" だけだ。
けれどそれで返って遼太郎に、昨日横浜にいたかどうか訊きづらくなってしまった。
横浜と口にした途端の、あの尖った声。気になる。

「うん、そういうわけだから、帰るね」
「気をつけてな」
「…2日間、ありがとう」

思いがけない梨沙の礼の言葉に康佑は動揺した。

「いや…また何かあればいつでも言ってくれよ」
「うん…。ないと思うけど」

しかし最後はやはり、梨沙だった。

「ただいま…」

電車が遅延したこともあって家に着いた頃、日はとっくに暮れていた。
玄関に入った途端、奥のリビングから眉間に皺を寄せた遼太郎がわざわざ出てきたので、梨沙はビクンと跳ね上がる。

「日が暮れる前にって言っただろ」
「電車が途中で止まったの…メッセージしたでしょ? 本当だから。ちゃんと帰ってこようとしたよ」
「それにしったって遅過ぎだろう」
「ごめんなさい…」

遼太郎は鼻でため息をつき「晩飯が出来ているから早く支度してこい」と言い下がっていった。

普段は別に日が暮れてから帰宅しても怒ったりしない。今日はおかしい。まさか稜央に会おうとしていたことを知っているわけではないと思う。ではどうしてあんなに怒っているのだろう?

昨日パパも同じ場所にいたから…?
もしあれがパパだとしたら何をしていたのか。それを知られるとパパもまずいことがあるのか。

けれどその日は怖くてもう訊くことは出来なかった。
また、その日の梨沙に何が起こったのかも、誰にも話すことは出来なかった。

梨沙はその夜自室で余韻に浸っていると、陽菜から “兄に会えたみたいですね! でも私ちょっと、怒られましたー 笑” とメッセージが来た。

あんまり色々軽率に話すな、とか、曖昧な情報提供して返ってLisaさんを混乱させただろ、って言うんですよ!じゃあ今度からは正確な情報提供してよねって言ったらモゴモゴ口籠っていました。どれだけシャイなんですかね、いい歳して 笑

いい歳して。
そういえば歳を訊いていなかった。いや、彼からはほとんど何も訊いていないのだ。新たな連絡先以外は。
本人に訊いても良かったが、話の流れなので陽菜に尋ねてみた。年齢の会話くらいなら問題ないだろう、と思った。

稜央さんっておいくつなんですか?

質問を投げると『兄は35歳、ちなみに私は25歳です。おじちゃん・おばちゃんでごめんね(^_-)-☆』と返信が来た。

35歳。もっと若いかと思った。梨沙はそもそも父親が好きなくらいだから、歳上の男性の方が好ましいのだけれど。
けれど彼からしたら、確かに女子高生に言い寄られたら嫌がるかもしれない。ただ恋人はいないことは、以前陽菜から聞いている。

改めて陽菜にお礼のメッセージを送り、机の引き出しからアルバムを取り出した。
弓道の試合の後と思しき集合写真の中央で、勇ましい笑顔を見せる遼太郎がいる。
その隣に写る "川嶋桜子" には胸を痛めるが。

もう一度、稜央の姿を思い出してみる。

Doppelgängerドッペルゲンガー。彼は完全に遼太郎の面影を纏っていた。
性格は…どうだろう。稜央は始終動揺しオドオドしていた。今日に限らずベルリンで会った時もそうだった。遼太郎はいつも堂々としている。現に高校生の頃からこうして風格を感じる。

そこまで考えて少し笑う。
当たり前だ。顔が似ているだけの他人なのだから、中身まで一緒のはずがない。

しかし。

稜央をハグした時、梨沙は驚いた。
彼の匂い。

遼太郎のそれと全く同じではない。また遼太郎と比べたら非常に微弱だった。ただ、共鳴する何かがあった。
香りに虹のような層があるとしたら、わずかに共通する層がある。2つの層とその境界線…そんな感じだ。

初めは "代わり" を見つけなければならなかった。稜央は願ってもない人だった。
けれど今日、彼の匂いを感じて、梨沙は改めて思った。

この人は間違いなく運命の人なんだ、と。

パパは言っていた。一番好きな人と結ばれるとは限らないって。
一番好きな人はきっと変わらない。でもそれは隠していかなければならない。パパもそうして来たように。

稜央さんは "二番目" に最適だ。
ううん、むしろ彼以外の人は現れないと思う。生きながらの生まれ変わりみたいなものだもの。

たとえ本能という刀に建前というガラスの鞘を被せたのだとしても。

私も来年、大人になる。誰にも咎められない。
稜央さんなら、きっと…。


そう思って梨沙はベッドに潜り込み、目を閉じた。






#24へつづく

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