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[掌編小説] 『冷淡な私と、彼に似た君は』

こちらの小説はいわゆるショートショートです。
某コンペ用の作品でしたが落ちましたので、お焚き上げ的に置いておきます。
関係性と微妙な温度感を意識して書きました。

▼ 本文 ▼ ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 紫陽花を見るたびに皇帝ペンギンを連想するようになったのは、いつからだったろうか。

 そんな疑問が浮かび、サヤは無意識に「ペンギン…」と呟いていた。雨音に紛れそうな小声だったが、半歩先を歩くマコトには聞こえていたらしい。
「え? ペンギン? どこ?」
「あ、ごめん。違うの。なんか……紫陽花を見ると思い出すんだよね」
「ペンギンを? 面白いことを言いますね」
 マコトはひとつ年下のサヤに対して敬語をつかう。出会った頃から変わらない。
 一向に止む気配が無い雨の中、それでもその植物園には疎らに来園者がいた。
 今が旬の紫陽花を前にして、サヤの脳裏には、黒と白の大きな鳥たちが浮かんでいた。
「きっと、紫陽花の花言葉を知ってからだと思う」
 紫陽花は〝辛抱強い愛情〟という意味も持ちながら、〝冷淡〟という意味もあるらしい。
 これほど対極な意味があっては、もし紫陽花を贈られたなら相手は戸惑うだろうし、当の紫陽花もさぞ不本意だろう。一体誰がどうしてそんな意味を付けたのか。
 それぞれの植物に与えられた象徴的な意味の言葉だというが、花言葉とは人間の勝手さの象徴でもあるかもしれない。
 サヤはそう思っていたが、対極な二つの意味から、皇帝ペンギンを思い出したのだ。
 水族館にいるほうではなく南極にいる野生の皇帝ペンギンだ。幼い頃にテレビで見てその生態を知った。
 一面氷だけの南極世界では、彼らが暖を取れる場所など無い。猛吹雪が吹き荒れる過酷な冬を越すために、彼らはおしくらまんじゅうのように丸く集まって、ひたすらお互いの体温で温め合い、少しずつ移動して均等に熱を分け合うのだという。しかも何日も飲まず食わずで卵を温めながらの越冬である。
 命を落とす者もいるし、ダメになってしまう卵もある。
 そして春を迎えても自分の卵が孵らなかった親は、他所の雛を奪うのだという。
 まさに、世界一過酷な〝辛抱強い愛情〟と、残酷なほどの〝冷淡〟ではないか。

「南極のペンギンのコロニーと、小さな花弁が丸く集合して咲く紫陽花か……なるほど」
 マコトはサヤの話をバカにしたり否定したりしない。決して。マコトのそういうところを、サヤは心地良く感じる時もあれば、信用できないと思う時もある。マコトは多分、父親に似ている。
「自然の厳しさに胸を痛めたんですね。そのことを強く覚えているのは、サヤさんが心の優しい人だからでしょうね」
「どうかな……」
 傘越しにマコトの顔を覗き見るが、本心から言っているように見えた。サヤはこっそりと小さな溜め息をつき、咲き誇る青紫の花々を繁々と眺めた。

「ペンギンかぁ。見たいなぁ」
 のんびりと間延びした調子でマコトが呟く。
「見たことない?」
「うんと小さい頃、幼稚園の遠足で行った動物園以来だと思います。次は二人で水族館に行きませんか」
「水族館はカップルが行く所でしょ」
「そうなんですか? 水族館って、主に家族で行く所なのかと思ってました」
「…………そうかもね」
「サヤさんは行ったことありますか? 水族館」
 紫陽花を見に植物園へ来たというのに、自分の独り言からペンギンの話になり、そして水族館の話になってしまったことを、サヤはあまり居心地良く思っていなかった。マコトに悪気が無いことはわかっている。
「行ったことあるよ、家族で」
 そして自分には悪意があることを、サヤは自分でわかっている。
「いいですね。僕は水族館とか動物園とか遊園地とか、家族で行くような場所には、家族で行ったことがないんです」
「そう」
 サヤはあくまで端的な相槌に努めた。冷たくなりすぎないように。かと言って、優しく聞こえないように。間違っても、同情しているように聞こえてはならない。
 サヤは水族館とか動物園とか遊園地とか〝家族で行くような場所〟に、両親と行ったことがある。それも、何度も。というか、三人一緒にいられる日が限られていた分、三人一緒にいられる日は大抵どこかに出掛けていた。今思うと、まるで一緒にいられない時間を埋めるかのように、そうした思い出作りイベントをしていたのかもしれない。
 マコトは、水族館とか動物園とか遊園地とか〝家族で行くような場所〟には行ったことがないと言うが、小中高の運動会には両親がいつも来てくれたと前に言っていたし、参観日は父親が来る時もあれば母親が来る時もあったという。そしてほとんど毎朝と毎晩、家族揃って食事をしていたらしい。つまり、サヤよりもずっと長く家族団らんの時間を過ごして育ったのだ。
 そのことについてサヤの中に嫉妬は無いし、マコトの中に悪意も無い。
 ただ雨のせいか、今日のサヤの目には、紫陽花がどこか寂しそうに見えた。

「いつか自分の家族をつくって、行くといいわ」
「そうだね。そういう意味では、植物園ってちょうどいいですね」
「わかる。ちょうどいいね。紫陽花は特にちょうどいい」
 桜でもなく向日葵でもなく、イルミネーションなんかでもない。どういうわけか、紫陽花の道を歩くのは、自分たちにはとてもちょうどいい気がした。鬱陶しくない程度の小雨も、沈黙など目に見えない何かを埋めるささやかな音楽のようでもある。

 それから二人はぽつぽつと会話しながら、ゆっくり園内を歩いた。
 歳が近くとも、育った街や家庭環境が違えば、歩んできた人生も価値観も全く違う。マコトは現役で国立の大学に入って、たくさんの内定を貰いながら卒業し、公務員になった。サヤからすると現代の若者のお手本のような道を歩んでいたマコトが、あまりにも意外なことを言ったので、サヤは思わず聞き返した。
「え、仕事辞めるの?」
「はい。しばらく世界を旅してみようかなと」
「それって………何ていうか、すごく意外かも」
「自分でもそう思います。……僕はずっと、疑問一つ抱かずに親に言われるままの道を歩いて来て、それで幸せでした。でも、信じていたものというか、自分の中の常識みたいなものが大きく崩れたり変わったりする事が人生にはあるんだなって知りました」
 マコトに真剣に見つめられ、サヤは今日初めて彼としっかり目を合わせた。
「そう」
「だから何ていうか、新しい自分を構築したいと思ったんです。知らない文化に触れて、今まで自分が持っていた価値観を手放したり、親や先生や上司に言われるがままにしていた色々な判断や決断を、自分の気持ちや責任の上でできるようになるべきだって」
「ふぅん。自分探しっていうやつね」
「そうですね。少し気恥ずかしいですが……。フリーランスでお仕事しているサヤさんみたいに、僕も自分の足で歩けるようになりたいなと」
「私は組織に馴染めなかっただけだよ。フリーランスは絶対にお勧めしないけど、新しい体験をしたり自分の世界を広げるのはいいんじゃない。いつから、どれくらいの期間行くの?」
「来月末頃に出国して、一年くらいの予定です」
「そう。なら、来年帰国したらまたここに来ようよ」
「いいですね、それ。というかその前に来月はうちに来ないですか?」
「………」
 瞬間、サヤは口を結んだ。
(こういうところだよなぁ……)
 マコトのあまりにも無自覚な無神経さに、呆れるやら関心するやらでサヤは内心苦笑した。彼は出会ってから何も変わらない。きっと世界を旅しても根本的なところは変わらないだろう。
「三回忌でしょ、行かないよ。マコトのお母さんが、いい気しないでしょ」
 サヤはマコトの母親の顔を思い浮かべた。通夜で会ったのが最初で最後だ。マコトの母親は、サヤとサヤの母を前に、恐ろしいものでも見るような目をしていた。
 実際、女であれば当然の反応だろうとサヤは思った。
 長年連れ添った夫の葬式に、夫の愛人だと名乗る、自分より若く美しい女性が現れたのだから。しかも自分と同じサヤという名前の娘まで連れて。
「そうですかね? でも僕は気にしないですよ。父さんもきっと嬉しいと思います」
 マコトは一貫して悪意など無く、優しい。けれどだからこそ、決して誠実ではない。
(やっぱり似ているんだろうな)
 不誠実なことをしていながら息子に誠と名付け、愛人の娘に本妻と同じ名前を名付けた、あの人と。
「うちのママには行かないほうがいいって言われているし、私もママも行かないよ」
「そうですか……」
「…………」
(でも、きっと私も……)
 青紫の花弁が身を寄せ合う姿を見つめ、サヤは思う。
「日をずらしてお墓参りには行こうかな」
「いいですね。一緒に行きますよ」
「紫陽花の切り花を買って供えようと思うの」
 ちょうどいいから、と付け足した。
 先程までもの寂しげにも見えていた紫陽花が、今はなぜだかやたらと鮮やかに見えた。冷たさすら感じさせるほどに。

 おわり

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