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弘法大師「空海」について調べました

先日、香港在住の日本語講座の生徒さんから
「『空海』について教えてほしい!」
と言われました。
彼は、昨年から日本語を学んでいる生徒のお父様で、間もなく70歳を迎えるそうですが、好奇心が強く、まだまだお仕事も忙しいようで、今月だけでも「ヨーロッパ」「シンガポール」「マレーシア」、そして来週は日本へ出張だそうです!

高野山に行ってみたい!

彼については、以前の note でも紹介しましたが、学生時代に学んだ日本語を学び直しされていて、授業の時間のほとんどは、彼の質問に対してその場で答える形をとっています。
(こちらの note をご覧いただけたらと思います)

来週の日本訪問では、近畿地方へ行くそうで、空いた時間に、以前から行ってみたかった「高野山」に行く予定を立てているとのこと。
そこで、事前に「弘法大師 空海」について教えてほしいという質問でした。
日本には「空海」の足跡も多くあり、いまだに尊敬されているのはなぜかも知りたいとのことでした。

司馬遼太郎「空海の風景」

幸い、高校時代には「日本史」の先生になろうかとも思ったほど歴史は好きで、その頃読んだ、大好きな司馬遼太郎氏の「空海の風景」を思い出しながら話をしました。

お父様曰く、日本の仏教文化は空海の影響がすごく強いはずだ、とのことですが、私たち日本人はそのことをあまり意識していないですよね…
空海の生涯や事績については、学校でもたくさん習うので、多くの日本人は承知していますが、それ以外のこととなると自信がない、と言うのが正直なところだと思います。

日本史上初めての普遍的天才

司馬氏は空海のことを「日本史上初めての普遍的天才」と評しています。
また、空海は「日本のダビンチ」ともよく言われますよね。
彼の足跡や事績を見てみると、その範囲の広さや、その後の日本社会や仏教文化への影響は、はかり知れないものがあります。

宗教的な影響

空海の日本の仏教界に与えた影響は、多大なものがあります。
空海は、唐で密教を学び、日本に戻ってから、密教を基本に「真言宗」を創始しました。
空海の創始した真言宗は日本仏教の一大潮流となって、高野山の金剛峰寺を始め、多くの寺院が建立されました。
空海は、仏教の修行や儀式の形式を大いに革新し、これにより、仏教の儀式や儀礼はより一層荘厳なものとなり、多くの人々に精神的な深みをもたらしました。

事業家「空海」

空海の数多くの事績を見てみると、宗教家と言うよりも、むしろ「事業家」と言うにふさわしいと思います。
空海は教育の重要性を強く認識しており、一般の人々に対する教育の普及を推進し、日本で初めての国民学校「綜藝種智院」を設立しました。
ここで仏教だけでなく、天文学や医学、儒教など幅広い知識を教えました。彼の教育活動は、日本の教育の基盤をつくり、後の学問の発展に大きく影響を与えました。仮名文字をつくったのも空海です。
空海はまた、今で言う「土木事業や社会インフラの整備」にも尽くしました。
空海は、体力がある限り日本全国を巡り、山を拓き、ため池をつくり、井戸を掘り、さらに、日本全国に温泉まで発掘しました。特に香川県の満濃池の修復は有名で、この事業により、この地域の社会の安全と発展に大きく貢献し、農業生産を向上させました。
伝説では、猪苗代湖まで一夜のうちに出現させたと言われています。

弘法大師として敬われている

空海は、没後80年以上たってから、当時の醍醐天皇から、生前の功績に対して「弘法大師」の諡号(しごう)が贈られています。
また、庶民の間でも、「弘法筆を選ばず」や「弘法も筆のあやまり」などのことわざで登場するなど、敬われています。


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