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今のマレーシア から母の幼少時代を想う

マレーシアの中華系民族は華僑と呼ばれ、主に19〜20世紀にかけて、
中国南部からマレーシアにやってきたと言われています。 

私の祖母方は高祖祖母が(おばあちゃんの祖父母)、
祖父方は曽祖父母(おじいちゃんの両親)が、
中国からマレーシアへやってきました。 

その後、母が小学校に入る前、
既に高齢になった祖父方の曽祖父が、母国の中国に帰りたいと希望し、
家族で船に乗り、中国に戻ったそうです。

でも祖父は、当時の中国はマレーシアに比べ、様々な面で暮らしにくいと
感じ、約1年後、家族でマレーシアへ戻ることを決めましたが、
曽祖父は本人の希望から、祖父の兄と一緒に、中国に残ったそうです。
母も幼いながら、当時の中国の様子に驚いたと話していました。

マレーシアに戻った後、1軒の屋台を始め、
母もエビの殻をむき、魚をさばき、仕事を手伝い、苦労の時代を過ごし、
その後、少しずつ事業が上向きになり、屋台や店を増やしたそうです。

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そして、母が高校生の頃、マレー系民族と中華系民族での衝突事件が起き、街には戦車が走り、外に出られない日が1週間程度あったと聞きました。
改めて調べてみると、
5月13日事件(人種暴動、民族暴動、エスニック暴動)と呼ばれている、
マレーシア独立12年目に起こった、マレー系と中華系民族の間で起こった
衝突で、死者196人、負傷者439人を出した、マレーシア史上最悪の悲劇的事件、政治的に大きな意味を持つ出来事とされていました。

その背景には、マレー系は経済的に常に中華系民族に対して劣位に立たされている状況があったとの認識から、「政治はマレー系、経済は中華系民族」という原則があったことによる中華系の不満(マレー人優遇政策)、
またマレー系側としても、マレー人の農村部の開発と商工業部門への参入を補助する政策等が必要と考える世代の不満などがあったとされています.

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今の、マレー系、中華系、インド系が平和に暮らす多民族国家のマレーシアからは想像がつかないことですが、過去に各々の苦悶や、歴史的な出来事があっての現在の平和を、心からありがたく思わずにはいられません。

叔父(母の弟)には中華系以外の、インド系のビジネス・飲み仲間や、マレー系の地元公務員友達も、少なくありません。
祖父母の葬儀には、民族関係なく、涙を流し、悲しみを共にしてくれた姿が印象的でした。 
暖かい気候のせいなのか、歴史がそうさせてくれたのかわかリませんが、
なんとなく民族的には閉鎖的かなと感じてしまう日本とは、
大きく異なると感じる側面の1つです。 

今度は、教科書に書いていないような、戦時中に関することも、
自身の備忘録として書いてみたいと思います。





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