見出し画像

41歳で周囲を気にしなくなったが、寿司屋で変な見栄を張るという話

40歳を超えると見栄は張らないが寿司屋は別

41歳にもなると変に見栄を張ることも殆どなくなってきたように思う。

高い服を買うこともないし、車が欲しいなんてことも思わなくなった。若作りなんて気はさらさらないし、ブランド物に心奪われることもない。タワーマンションに住みたいなんて発想すらでてこない。

これは多分年齢とともに人の目を気にすることがなくなったということが一つの要因だと思うのだが、結婚して見栄を張る相手も居なくなったということなのかもしれない。

嫁さんや世間を相手にいい顔をしても仕方がないし、高い服を着て誰にモテるというのだろうか。仮にモテたとしたらトラブルの元なので、敢えてそういうところに力を入れていない…ということにしておこう。

見栄という磁場から解脱したことによって色々と気にしなくなったから本当に楽に生きられるようにはなったと思う。誰かの目を気にするのはなかなかストレスだし、気にして頑張っても努力に見合った成果が無ければ精神的に堪えるからだ。

そんな訳で私は結構今楽に生きていると思う。
ただ、そんな私が唯一見栄を張ってしまう場所がある。
それは、寿司屋である。

寿司屋こそまるっきり見栄とか気にしなくて良い場所だと思うのだが、あの場所に行き、選択に迫られるとどうにもダメなのだ。

少し考えてみるとどうやら私は大人としてのプライドをくすぐられると屈してしまうようなのである。

「お飲み物はどうなさいますか?」

寿司屋に入る。
席につく。
おしぼりをもらう。

まず、第一関門だ。
「お飲み物はどうなさいますか?」

私は別にアルコールを普段から飲むわけではない。かといって寿司を食いながらソフトドリンクを飲みたいわけでもない。そしてどんな時でもコーラを飲みたいようなイカれた味覚を持ってはいない。

なのでこの質問が来た時に本来であれば
「では暖かいお茶をいただけますか?」
で済む話だ。

ただ、ここは寿司屋だ。彼らも商売をしている。コロナ以降ということもあり、なかなか厳しい経営を迫られていることは誰の目にも明らかだ。

そんな中でいきなり客単価の低い選択をカマすのはどうなんだろう。一人の大人として、所得をそれなりに頂いている身として

「お飲み物はいかがでしょうか?」

の裏にある「何か注文してくださいね」という意向をガン無視するのは果たしてどうなのだろうか?

そう考えると私の味覚では寿司屋が出すやつでもサントリーのやつでも飯田圭織バスツアーで一躍有名になったキッコーマンの業務用のやつでも大して変わらないのだが、ウーロン茶を笑顔で注文することになるわけである。

寿司屋の「何かお飲み物はいかがでしょうか?」と服屋の「何かお探しでしょうか?」については本当にあしらい方が難しい。心が弱いときにこれをやられると無駄金を使ってしまうのである。跳ね除ける強さがある時は良いのだが、コンディションが悪いと自分の中でお茶程度にしか価値のない水分をいい値段で注文してしまう。

好物の炙りサーモンを注文しにくい

そして、何を注文するか?である。
ここでも大人としての見栄が頭をもたげる。

私は本当はサーモンが好きだ。どれくらい好きかといえば、アラスカの白熊くらいサーモンが好きだ。特に炙ったサーモンは実に美味いと思う。

文章を書く上での語彙は持ち合わせているが、残念ながらサーモンの美味さを表現するための語彙は持ち合わせていない。それほど味覚に対して貧弱な感性しかないことが41歳としてもどかしい。絶対食レポなんてしたらつまらんことになること請け合いである。

ということで、サーモンを注文しようと考える。
しかし、ここでふと考える。
回る寿司でもないのにサーモンを頼むのは邪道ではないだろうか?

リーズナブルな店で頼む変化球として若い人間がカリフォルニアロールやサーモンといった新時代の味覚を頼むのはまだいいだろう。だが、いい歳をした大人が頼むには少し子供じみてはいないだろうか?

隣に坐する谷村新司調の髭のおっさんが私がサーモンと口にした瞬間「コイツは一体何を考えているんだ」と愛人と話し始めるかもしれないし、愛人も大して興味がないのに「そうね」なんて言いながら侮蔑の眼差しを向けてくるかもしれない。(想像です)

店の親父も親父で「サーモンなんて子供向けに仕方なく用意してるんだからいい大人がこの店来てこんなもん注文するんじゃねえよ」と思っているかもしれない。(想像です)

嫁さんは嫁さんで「寿司屋に来たらもっとエビとか美味しいの一杯あるんだから何もサーモンなんて食べなくてもいいじゃない」と思っているかもしれない。(事実です)

そんな妄想と一部の事実がある中で私はつい、自分が好きなものを食べるというシンプルな考えにブレーキを掛けてしまう。そして周囲の私に対する悪意を勝手に感じ取り、勝手に注文に思い悩んでしまう。

サーモンは止めておこうか。
大して食いたくもないけどイカ辺りにしておこうか。

そう思いながら結局炙りサーモンを注文し、妄想の中で全方位から侮蔑の眼差しを受けるのである。

どういう順番で寿司を食えばいいのか迷う件

そして寿司屋の最大の難関は、「どの順番で食べるか」ということだ。

侮蔑の眼差しを搔い潜っているかいないかは分からないが、とりあえずサーモンは頼んだ。ただ、寿司を食うには大人の順序があるらしい。

最初にサッパリしたものを食い、そして重厚な味わいのものは後にする。いきなり重いものを食べては口に重いものが残るので他のものが楽しめないとかなんとか、そんな感じだったはずだ。

だからいきなり大トロとか頼むとあからさまに素人扱いされ、場違いな成金としてここでもまた侮蔑の眼差しを受けることになる。とかそんなだったはずだ。

こんな注文をしていたら「ほらあの人、シカのはく製とか、和室にペルシャじゅうたんとか、5カラットくらいのルビーの指輪とかひけらかすタイプなんじゃないの?」なんてさっきの谷村新司から侮蔑の眼差しを受け、隣の愛人からは「そうね、昔の宮地社長とか紀州のドンファンみたいなタイプかもしれないわね」なんて回答を大して興味なさそうにされるかもしれない。(想像です)

店の親父も「さっきは百歩譲って炙りサーモン出してやったけど、そのあとで大トロとか頼みやがって。次に変なもん注文しやがったら『お代は要らねえから出ていけ』と言ってやろう。」とか思っているかもしれない。(想像です)

そして嫁さんからは「あっさりしたものから食べた方がおいしいのに」と思われるかもしれない。(事実です)

結局私は寿司を食う順番を気にしながらも「好きなもんを好きな順で食って何が悪い」という発想を捨てきれないので、見栄を張りながらも意地が邪魔をして結局何が正しいのかを結局知らないし、知る気もない。

でもいっちょ前に寿司を食う時になって毎回のようにこんな葛藤をすることになる。なら覚えればいいじゃねえかと思うかもしれないが、その辺は私が至らないのである。

食いたいものを食べるか、嗜みを覚えるか

結局私は寿司をどう食うのが良いのだろうか。

周囲の目を気にせずに好きなものを好きなように、孤独のグルメの五郎さんの如く我がままに食らうようなスタイルで自分を正当化すれば良いのだろうか。

もしくは、大人の嗜みとして正しいとされるルールを理解しながら大人の味覚に自分を合わせて行くべきなのだろうか。

恐らく私が本当にしたいのは好きなものを好きなように食べるということだろう。ただ、そこには大人としての葛藤があり、見栄が出る。

食ってて楽しいのは勿論前者だ。
ただ、精神的に落ち着くのは後者だ。

まぁ結局食べたいものを何も考えずに食べる方が楽しいのだからそっちに落ち着くのだろうが、まだ大人としての嗜みという部分を捨てきれずにいる。

そんな小さなことに悩まなくなったとき、私は更におじさんになるのだと思う。成熟ではない。恐らく偏屈になっているのだ。

この記事が参加している募集

スキしてみて

よろしければサポートお願いいたします! 皆様のために今後使わせていただきます!