見出し画像

note連続投稿は読者にとってどうでもいいという話

続けることに意味があると知った幼稚園時代

幼稚園の頃、父から休むなとずっと言われ続けていました。

体調が悪くても、行きたくなくても、とにかく休むんじゃない。必ず行くんだ、と。

前に記事にしての通り、兄が幼稚園に行くのを見て毎朝僕も行きたいと泣いていたそうなのですが、通ってみたら何も面白くなくて。本当に毎日行くのが億劫でした。

お遊戯も、紙芝居も、友達も、なんだか全て退屈だし、幼い人間関係は本当に嫌だし、楽しいことが限られていました。玉子屋みたいな渋い仕出し弁当もえらく不味かったんです。

帰りのバスを待つ間、毎日のようにおままごとに付き合うことも男の子としてはえらくしんどかったんです。そのあたりの話は別の機会にしますが。

幼稚園行くのがこんなに嫌な子供って私が知っている限り多分タモリさんくらいだと思います。だって別に勉強しなきゃいけない訳でもないし、基本的に遊んでいればいいじゃないですか。

小学校に通い始めてからそのことに気づきましたが、幼稚園って別に何かを学びに行くところではないので、本当に気楽なんですよ。でも何かを身につける充実感とかなかったんですよね。

そんな訳でかなり幼稚園には後ろ向きだったのですが、私は毎日嫌嫌行きました。ご存知の通り、私の父はあの風体ですからね。父の教えが絶対なのです。嫌だということもあまり話していなかったんじゃないかなぁ。

そんな訳で毎日幼稚園に通うということは私のアイデンティティになりました。それは嫌なことでも頑張ってやり抜く強さが自分にはあるという自負が生まれたからです。

周りが割と簡単に休む中で、皆勤賞というのは幼稚園に通う中で数少ない目的の一つになりました。嫌なことを頑張るということが生きていく上でのテーマになったように思います。

皆勤賞が途絶えた理不尽な理由


ただ、実はこの話にはオチがあります。

母の弟、つまり私から見ると叔父に当たるのですが、鹿児島で結婚式をすることになり、これに参加するために幼稚園を一日休むことになってしまったのです。

幼稚園を休むことを告げられたとき、私は人生で一二を争うほど泣きました。

毎日通えと言ったじゃないか!
これは本当に酷い話です。

親から見れば笑い話かもしれませんが、私からすると必死に自分が積み重ねてきた皆勤賞が事もあろうに親の都合で潰えることになったのです。

この時点で大泣きしたということは、もう親の理屈を離れて私自身が毎日嫌なことを続けることに意味を見出していたということでしょう。

本当に嫌嫌鹿児島に行き、エレベーターで指を挟んで負傷するという本当に踏んだり蹴ったりな休みになったことは本当に忘れられません。

ということで、人は続けるということに価値を見出す生き物なのだということを私は5歳で学んだように思います。

note連続投稿されている方が多い


さて。
noteやってみて気づいたことがありまして。

かなり多くの方が連続投稿されているんですよね。

これ多分私の皆勤賞みたいなもので、自分を奮い立たせて書き続けることがモチベーションになっているんじゃないかと。

タイトルに「連続投稿!」とか書かれてる方も多いし、「連続投稿達成しました!」みたいな感じのことを書かれてる方も結構居ますしね。

続けることってなかなか出来ないし、嫌な時だってあるし、書けないときだってある。だから、続けられる自分が居るということはそれだけで誇るべきことなんだと思うんです。

特にそれは、自分の中で。

連続投稿しているということが自分を奮い立たせることであり、書いて投稿してそれを自分で言い続けることで更にテンションを上げる。

それが出来ている自分を褒めることって結構大事だと思うんですよ。っていうのも、連続投稿なんて自分で言わないと伝わらないですから。それを知ってもらえたら読んでいる皆さんの受け止め方も変わるかもしれないですしね。

ということで、連続投稿っていうのは皆さんよくされているし、アピールすることが自分を奮い立たせることになるっていうことだと思うんですよ。

連続投稿する意味は何か

ただ。
ここから大事な話をします。

読んでいる側からすると、連続投稿とかどうでもいいんです。

自分にとって頑張っていることかもしれませんが、読み手としては興味の対象ってその記事であって、毎日書いているというプロセスではないんですよ。

むしろ、毎日投稿しているということを「頑張っているアピール」と受け止められることもありますし、なんかノイズに感じることもあります。

そして何より、毎日投稿することが目的にすり替わっていることもかなりあります。

言い換えると、毎日投稿することに縛られて、投稿の質が落ちていることがかなり多いということです。

そんなに毎日毎日楽しいネタなんて無いですよ。始めて間もない時は昔の話とか色々ありますが、段々尽きてきてしまうことも事実で。

そうなると何が困るかと言えば、記事の質が低いから読者が離れる可能性があるということです。

これは別に毎日続けてるアピールがムカつくからってだけの話ではないんです。続けることに縛られた結果、自己満足に終わってしまったら本末転倒だよね、ってことです。

連続投稿している皆さんに問いたいのは、何故毎日投稿しているか?そこがブレていないか?ということ。

もし沢山の方に読んでほしいということが元々の目的だとしたら、質を上げることに注力すべきです。書くことを習慣付けたいのであれば、頻度を少し落とすことも選択肢です。

とにかく私が言いたいのは、毎日書くことって読み手にとって意味が無いということです。

連続投稿するメリットもあるけれど

ただ、毎日書くことによるメリットもあります。それは、書くことを習慣づけると文章が上手くなることです。

書き慣れるとアイデアも出やすいですし、起承転結の流れも作りやすくなります。言葉が出やすいということもありますし、ネタに対する感度も上がります。

私個人としては100日近くほぼ毎日書いていますが、確実に最初よりは良い記事になっているとは思っています。

だから、面白い記事が書き続けられるのであれば連続投稿も悪くないんです。問題はあくまでも、連続投稿に縛られて質が下がっている時です。

ですから大事なのは、何か問題が起きていないか自分の投稿を絶えず見続けていくということだと思うのです。

いかがでしたか?

皆さんがどんなスタンスで投稿しているのか?また連続投稿されている方がいらっしゃればコメントいただけると嬉しいです!

この記事が参加している募集

noteの書き方

振り返りnote

よろしければサポートお願いいたします! 皆様のために今後使わせていただきます!