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「笑顔で」「自分らしく」に代表される、今の日本人アスリートのポジティブさを考える

Voicyはこちらです。
今日も同じ内容について喋っていますが、割とシリアスな内容なのに横道に逸れてもいるので聞きやすいのではないかと思います。

日本人よりも外国人の方がポジティブ?

さて、今日はポジティブシンキングについて考えてみたいと思います。


ちょっと考えてみると、私の周りでポジティブが服を着て歩いているくらい前向きな人って殆どいないと気付きました。やっぱり生きているとどうしても悪いこともあるし、それに直面するとどうしたって気分は落ちるし、誰でも少なからず波はあると思います。


で、気づいたことがあるんですよ。

これって私の周りじゃなくて、ひょっとしたら日本人に言える傾向じゃないのかなって。


私も外資系IT企業に勤めているという性格上、そして大学時代なんかも発展途上国支援に関わっていたこともあってか、外国の方を少なからず見ていますけど、相対的に海外の方の方がポジティブだと思うんですよね。


ネガティブな国民性は統計にも出る


昔聞いたことがある話で、自殺が多い地域はどこか?っていうデータがあって、それは北に行けば行くほど高くなるっていう話だったんですよ。これ、20年前に話なので今は違うかもしれないんですけどね。


ただ、この話から分かることっていうのが、物事を悲観的に捉えやすい人種というのは確かに存在するということなんです。そして、日本ってそこまで北の国ではないんですけど、でもマインド的にはそっちよりなんじゃないかと思うんです。


あくまでも全体的な傾向なんで、そうじゃない人、例えば関西の方とかは真逆ではありますけど、日本人って人の輪にワーッと入っていくタイプではないし、下手すりゃ語学留学したのに日本人だけでコミュニティ作っちゃって、何も学ばずに帰ってくる人すら珍しくないなんて話もありますし、一歩引く文化がネガティブに寄っちゃっているところはあると思います。


バブル前後の日本はオリンピックで本当に弱かった


で。

そのネガティブっていうのが良くない形で出やすいのが実はスポーツじゃないかと思うんですよね。というのも、私が子供の頃の日本って本当にオリンピック弱かったんですよ。


だって、私が子供の頃ってバブル前夜からバブル全盛期、そしてバブル崩壊くらいの頃ですから、アマチュアスポーツに企業がバンバンお金かけていた時代なんですよ。お金が余って仕方ないから税金払うくらいなら宣伝費にってことで、企業がスポーツを支援していたっていうことがあって。


お金はあるし、第二次ベビーブームとかの関係で子供の数だって多い。しかも、東京オリンピックなんかの関係で国家的にスポーツを支援していた時代の設備なんかも結構残っている。だから今なんかよりも遥かに恵まれている筈なのに、ソウルでは金4個、バルセロナでは3個、アトランタでは3個。


いや、これ、えらく弱いんですよ。


負けたときに人間性を否定しがち


私自身この頃にまぁ本当にローカルの、そして神奈川県から関東大会に出る出ないくらいのレベルの競技経験しかない訳なんですけど、技術的な指導って当然してもらえたし、それを自分のモノにするために限界まで追い詰めるんですよ。


で、もう、そこから先は精神論になってきちゃう。どこまで追い詰められるか。追い詰めた分だけ強くなれる気がして、こうなってくるとどんな技術を身に付けたか?ってことよりも大事なのがどれだけ自信を持てるかになってくる。


だから、勝ったら褒めてはもらえるけど、負けたときに叱責されるのっていうのはマインドの部分になりがちなんですよね。気持ちが足りない、練習が足りない、精神的に未熟。技量を責めるんじゃなくて、人間性を否定することに繋がっちゃう。


部活動は人格形成という目的がある


いやね。

確かに一緒に部活やっている仲間の中で人間性に起因した甘さを明確に持っている人っていうのは居ましたし、実際サボったりとか適当なことをやったりとか、そういうところっていうのはもう根性たたき直すしかないじゃないですか。


だから、そういう指導って全てを否定しないし、人間性に向き合うことが壁を超えることつながることもあるし、部活動っていうのは単に技術を競う、高めるっていうだけではなくて人格形成という意味でとても大きな意味を持つところは大いにあるとは思います。


まぁ私の同級生でも居ましたけど、すごく厳しく接してもダメな人はダメだったりはするんですよ。彼女作って3週間くらい全く部活来ないやつとか居て、その話も今度ちょっとしようかと思いますけどね。


結果が出ない時は、未熟だったというまで許してもらえない


だから、指導として精神論、そして人間性に向き合うということは間違いとは言わないんですけど、負けたときに精神論や人格否定をしてしまうと何がマズいか?っていうと、自分を根っこの部分から信じられなくなっちゃうところにあるんじゃないかと思うんですね。


結果がでなかったときの精神論って、何故何故で追っかけてみると、よほど技術や経験に差がある時はそれを理由に出来るんですけど、実力が近い者同士が闘ったときの負けの場合って、細かい部分を理由にすると言い訳だと捉えられがちなんですよ。


結局そのモードに突入すると、こっちも分かってくるんですよ。ああ、これは自分が弱かった、未熟だったと言うまで許してくれねえなと。それを認めないと終わらせてはくれない。だからもう、反論しないで私が悪いのです、弱いのです、甘いのですっていう形にしてその場を終わらせる。


こんな感じだと、根っこに自信が無い子になっちゃうんですよね。


日本人がスポーツで結果を残すようになった


そして時は流れて2000年代に入ると、日本のオリンピックでのメダルの数って増えてくるんですよ。まぁ勿論競技が増えたとか、マイナー種目で日本が強いものがあったりとか、色んな理由があるっていうのは間違いないと思います。


ただ面白いことに、競争率の高い競技とか、これまでにメダルを獲得できなかった競技についても結果を残せるようになってきているんですよね。例えばフェンシングとか、卓球とか、あとはボクシングの重量級なんかもそれに当たりますよね。


単純に、日本ってスポーツが強くなってきているんですよ。昔よりも企業がお金を掛けられない、そして景気も悪い中で子供に投資なんてそんなにできない中で結果が出ている。これって面白いことだと思うんですよね。


メンタルが強くなった日本人


そして更に面白いのが、メンタルが強くなっていることなんです。


明らかにプレッシャーがかかる場面で、どの競技でも結果が残せている。子供の頃に優勝候補と呼ばれていた人たちが惨敗するのを目の当たりにし続けてきた世代としては、力のある選手が実力通りの結果を残すこともそうですが、番狂わせを演じる選手も多くなってきている。


まぁこれは個人差があるので、プレッシャーに負けることも結構あるんですけど、でもね、こんなに強くなかったですよ。日本人って。


むしろプレッシャーがかかるところで平然としているんですよね。だから、インタビューでも記者が大はしゃぎしているのに、選手の方がむしろ冷静で、どっちが大人なのかよく分からなくなる時があるくらいなんですよね。


「自分らしく」「笑顔で」の持つ意味


国際大会で結果を残す日本人に共通しているのが、すごくポジティブなところなんですよね。


最近増えてるじゃないですか。結果が出た後でのコメントで「笑顔で」とか「自分らしく」みたいな発言。私たちの時代だったらぶっ飛ばされていますよ。何が笑顔だ、なめてんじゃねえよ!みたいな感じになると思うんです。


だけど、そういう自分をポジティブに持っていくマインドを持つことが出来るようになっているっていうのは本当に大きいと思うんです。私達の時代だと極限状態になったら自分しか頼れない上に、精神論でどうにか凌がなければいけないから大変なんですよ。で、押しつぶされていく。


気持ちで!みたいなところに行き着いてしまう人と、極限でも笑顔で、とか行ける人だとどっちが楽かと言えば、もうこれは明らかなんですよ。最終的にはメンタルなのは間違いないんですけど、メンタルが辿り着く先がより追い込むほうなのか、ポジティブな方なのかっていうことで結果って変わってくると思うんですよね。


内面に向き合い克服する美しさもある


ただ、これはちょっと真逆のことを言っちゃいますけど、これは私が相撲とか武道に寄っている人間だからなのかもしれないですけど、ちょっと寂しいところはあるんですよ。


自分の内面に向き合って、弱さを克服していき、そして素晴らしい結果を残すっていうのはやはり美しいし、人格形成、そして成長っていうステップを見て取れるし、そこにやっぱり感情移入っていうのは生まれはします。


だから、今の選手たちが活躍するのは素晴らしいなと思いながらも、私が相撲を見ているのっていうのは昔ながらの弱さに向き合う精神力みたいなものにグッとくるからなのかもしれないんですよね。


どちらにも良さはあると思います。

だから、それでいいと思うんですよ。

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