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誹謗中傷対策でスポーツライターがしてるたった一つのこと、教えます

批判の声が大きいと友人から心配されることがある

ライターという仕事をしていると有難いことに多くの方の目に付く記事を書く機会に恵まれることもある。

良い反響をいただけると本当にうれしいし、実際にそういう記事のおかげで次の仕事に結びつくこともある。

「Numberで読んで依頼いたします」とか「『スポーツとしての相撲論』を読みまして、相談いたします」みたいな話が来ると本当にありがたい。

ただ、私のポジションの性格上、専業のライターの方が書けないようなきわどい記事を書くことも一つの特徴なので、どうしても厳しいことを書かねばならない状況になることもある。

最近ではどのような書き方をすると論旨を伝えつつも比較的スムーズに流れるか、読む側を刺激するようなタイトルで入口に入ってもらうかが分かってきたので、事を荒立てることも荒立てないこともある程度コントロールが出来るようになってきた。

ただ、どうしても荒れるときは荒れる。SNSのコメント欄などがどうしても厳しい言葉や罵詈雑言で溢れかえることもある。

見かねた友人・知人が「西尾さん、ネットが荒れてるけど大丈夫?」と聞いてくることも少なくない。傍から見ているとこの異様な状況は精神的に病むのではないか?と思うらしい。

私も近い人がこの状況になればさすがに心配はするだろう。

そこで、今回はネット上の批判や中傷にどのように向き合うかを話していきたい。

批判に向きわない決断をした経緯

まず、結論として私は基本的にネット上の批判は目にしない。

実に単純な理由なのだが、私はこの仕事をしている割にメンタルが強い方ではない。というか、かなり弱い部類に入ると個人的には思っている。

2016年くらいまで自身の無料ブログでどんなコメントに対しても律儀に回答していた。それはブログを運営する以上どんな方でもお客様だし、それに応えることによって自分の精神もライティング力も上げられると思っていたからだ。

ただ、当時ちょうど白鵬が相撲内容も土俵を降りても多くの方から批判を受けていたこともあり、私も度々白鵬の話題を出していた。

このような話は正しさが問題なのではなく、好き嫌いの問題としか言いようがないことがある。私がある一方の意見を出すとそれに白鵬ファンの方が噛みついてくる。弁明しても全く聞く耳も持たずに罵倒してくる。

ブログのPVが伸びれば伸びるほど私は罵声に対する対応に心身を削られる事態になった。

そこで私は思った。
批判って全部向き合わなくていいんじゃないの?
と。

ブログを運営する上での誠実さであり、自分を高めることが目的ではあったが、このような罵声にまともに向き合い続けることは誠実さとは言わないとその時感じた。

そもそも自分を高めるのであれば、記事の問題点は自分で気づけばいい。自分でブラッシュアップしていけばよいのだ。気づかなければそれまでだ。

私は増えすぎた中傷を経てそのように感じるようになった。

批判や中傷は「目にしないようにする」のが一番

とはいえ、よく有名人の方がSNSで中傷を受けて心を痛めたり、告訴に踏み切ったりと、批判や中傷に少なからずダメージを受けている。

問題は、どうやって批判にさらされないようにするか?という点である。

これは本当に単純な話で、目にしないようにする。
これだけである。

例えばツイッターに関しては、荒れそうな話題の時返信は基本的に見ない。引用リツイートも内容は確認しない。

そして、エゴサーチ(自分の名前などでの検索)は行わない。たったこれだけのことである。

あくまでも体験談だが、批判の声というのは自分から追いに行かなければ目にすることは殆どと言っていいほど無い。そして自分から追う時にしてしまうのが返信、引用リツイート、エゴサーチというルートだ。

私の場合はツイッターで誰でもメッセージが送付可能な設定にしているが(今は一時的に中断中だが)、不思議と個人と一対一になるような方法で中傷をしてくる人は珍しい。彼らなりに良心や不安があるのだろうかと思う。

大事なのは、自分から見に行かない。
これを徹底することだ。

ネットに評価を求めないことが最大の防御策である

ただ、何故か人は自分の発信に対する反応を見たくなってしまう。

これは私が反応を見たいと思う時に働く心理なのですべての人が私と同じとは思わないが、私の場合はどうしても好意的に思われているという確証が欲しいときにこれをする傾向にあると思っている。

そして、毎回のように中傷を目にしてダメージを受ける。

匿名のSNSをしている限り、どんな意見や記事を書いてもズタボロに言う人は存在する。MLBでMVPを獲得した大谷翔平でさえ、ネットの住民に掛かれば大したことない人扱いである。

だから、私のような兼業ライターがネットで全面的に支持されるなんてことは幻想なのである。そういう見切りをいつ付けられるかが本当に大事なのだ。

ただ見切りをつけるまでの間は悲しいことに期待してしまい、自分から傷つきに行ってしまう。自分で自分のことをマヌケだと思いながら、どうにも止められない。

私のこの記事についても「言いたいことはわかる」と理解を示してくれる人は大勢いると思う。ただ心のどこかでネットで賞賛されることを求めている限り、エゴサーチは止められない。この操作をシステム的に禁じることが出来たらかなりの人がメンタル的に助かるのではないかと思うほどだ。

言うのは簡単だし、慣れたら実行に移すのも簡単だ。
ただ、「解脱」するまではついやってしまう。

これについては諦めるまでの間は止められないかもしれない。ただ、この単純にして最も効果的な方法論については一人の先人として提唱し続けたいと思う。

ネットに評価を求めない。
これこそが最大の防御策なのだ。

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