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生存限界汚染領域のキミ(上)

文献での初出は50年くらい前。口伝えならおよそ100年以上前から存在を認識されていたらしいことが窺える。
小さな田舎の村を囲む山の一つ。生い茂る草をかき分けながら険しい道を進んでいくと、白い靄のような物にやがて囲まれる。そのまま進んで行くと、そこにたどり着く。迷い込んだら二度と戻れない。
生存限界汚染領域。
そう呼び始めたのは私のチームメイトだ。ふざけた名前だがしっくりきた。
それはまるで山の中にもう一つ別の山の入り口がそこから先にあるとでも言わんばかりの不可解な現象。極端に目撃情報も少なくあやふやなため、神隠しの類のただの地域民俗の伝承か何かだと考えられていた。
映像記録が撮られるまでは。
一月前。撮影者は民俗学の研究者で、ネットにアップする探索動画を解説と共に撮ろうとしていたらしい。熱心な方だ。動画は手振れのすくない手慣れたものによる映像で、見やすくて資料に最適だった。
前方に向かって進む映像、名前もわからない雑草、灰色の空、黒い木肌、飛び出ている枝。「危なさそうだから帰るかぁ」という撮影者の暢気な独り言。
その独り言から数秒後、白い靄の中に奇妙な虹彩が混じって現れた。「なんだなんだ」と撮影者は言いながらその虹彩に向かって突き進んでいく。数歩進んだところで、虹彩の向こうに明らかに奇妙な光景の輪郭が現れる。霧が薄れて見えたのは見慣れない色に染まった曲がりくねった植物、名状しがたい極彩色の粘菌や菌類のようなものがあちこちに蔓延っている。
悍ましく美しい異界の入り口。
その景色の向こう側で、こちらに向かって手招きをする人影のような「何か」の影が見えた……。撮影者の緊張感が画面の震えとなって此方に伝わってくる。カメラはのレンズが大気中の物質のせいで汚れてきているのか、段々と映像がくもっていく。これ以上進むと戻れない……。画面は180度方向を転換させると、来た道を走って戻っていった。
そこで映像は終わった。
映像の撮影者はその映像をそのままネットにアップするのではなく、有識者的理性を働かせてしかるべき行政機関へ届け出た。
初めこそ馬鹿馬鹿しいと一蹴された映像だが、職員複数人が現地に赴き事実であると確認した後、さらに安全性を確認するために国軍へと調査の依頼が来た。
そこに私はいた。

もともと人口が少ない山の中の村だったので、住民にはしばらく村の外に避難してもらうという作業はとても簡単に済ませられた。おかげで元々人気のない村の中はより一層不気味なくらいひっそりとしている。
その町の一番端の山の麓に一時的に建てられた質素な汚れた白いテントの下。
一月前の映像を、私は現地調査担当チームの仲間たちと見ていた。
今から向かう調査のための予習だ。
二週間前にその靄の向こうをさらに探索するために人員が数名派遣されたが、簡単なマスクと登山用の服装に猟銃という軽い装備で出かけたがために大怪我をして帰ってきた。
霧の向こうの領域に入ってしばらくすると体に得体の知れない物質が大量に貼り付き、それを放置すると肌が赤黒く変色しそこから炎症を起こしてしまう。その部位は放っておくと腐敗し、やがて崩れ落ちてキノコのようなものが生えてくるが、その未知なるキノコも数日すれば跡形もなく朽ち果てる。消費体力も出血量も相当ひどいことになる。調査に連れていった犬や鳥がそうなったのだ。すぐ帰って来れば軽傷ですみ治るのも早いが、生身で長居すると大変危険なのは素人にでもわかる。
外界からの異物は悉く汚染され、到底生存することなどできない領域。
そんなとこに今から調査に向かう。緊張しすぎて業務に支障が出てはいけないので気分を落ち着かせるためにゆっくり呼吸をした。
リーダーの号令を合図に全員が装備を整える。
顔全体を覆うガスマスク、軽量だが作りの丈夫な装備、視界を記録するために小型カメラも頭に取り付けた。猛獣などがいた時に対応できるように銃火器も装備する。居ないといいと何度も願った。
未踏の地の奥深くへの冒険譚とは字に書けば心が躍るかもしれないが、今まで集められた資料全てに目を通したチームメイトは実際には高揚感より恐怖感を抱えて赴くことになる。
その方が緊張感をもって任務をこなせるから、不真面目な態度のやつも減ると思うと気が少し楽だ。
集団の均衡を崩してはいけない。不真面目なのはいけない。皆のためだ。自分のためだ。
いつものように心の中で自戒を念じる。
こうすると集団行動の中で自分がきちんととるべき行動ととらないべき行動をすぐに再確認できる。
慣れた動作で仲間たちがお互いの装備を確認しテントを出ると、私たちはトラックに乗り込み山の奥地のさらに奥の霧の向こうへと向かった。

トラックを降りて枯葉や雑草で敷き詰められた道をしばらく歩くと、地面から映えるように突き刺さっている黒い杭のような形の岩を発見した。大きさは私よりも頭一つぶんくらいの高さだ。表面はでこぼことしている。
リーダーの指示で大きさを測り地図に印をつける。今まで見た映像記録にこんな奇妙なものは映っていただろうかと誰もが疑問に思っただろうが、石の存在があまりにも異様で不気味だったので特に触れようとしなかった。
あとでちゃんと専門のチームが解析してくれるだろう。
段々と無彩色だった霧が奇妙な色で染まる。映像通りならもうすぐだと思いながら、私たちは雑多な色彩の中を進んでいく。
霧が晴れたと思ったらそこはもう領域の中だった。なんとなく空気が変わったのがわかるし何より景色が一変した。装備はしっかりつけているとは言え、一段と気を引き締めて前に進んでいく。何が命に関わるかわからない。この緊張感は、来る前にはうんざりするがいざ現場にくると高揚感も合わさってちょっと気分が上がる。楽しいとは言わないがそれに近しいものがあった。
どこかでみたことがあるような山道の面影はもはやなく、今や私たちは奇妙に曲がりくねった形の木のようなもので囲まれている。白い幹のそれらは「の」の形のように歪に曲がりながらも天に向かって伸びていた。葉というよりも蜘蛛の巣のような物が上部にはかかっているが、もしかして粘菌の類だろうか。触りたくないと思えるくらいの不潔さと怪しさを放っている。怪しげな色の光を反射して、すべてのものが様々な色彩をまとっている。
横を見ると鳥ではなく足を生やした蛇のような生き物が木から木へ渡っているのを見つけ、それを突っ立って観察しているとヒヨヒヨと甲高い謎の鳴き声を聴いた。
なんていうか、正に異世界だ。
混沌で満ちている。
何から何まで自分が見てきたものと大きくかけ離れた景観を眺めるために視線が動かすのが忙しい。
何がどんな危険につながるかもわからないから見ないわけにもいかない。
いや、違う。
本当の事を言うとこの時の私は内心楽しくて仕方なかった。
みるもの全ての自然物が斬新な見た目をしており、およそ私たちの住む世界には決して無いであろうモノで溢れていた。全てを余す事なく見るだけでなく、できる事なら一つくらい持って帰りたい。
上を向きすぎて首が痛くなってきたころ「この木を目印にして辺りを散策しよう」とリーダーから全員に命令がかかった。
各員3名ずつの3チームに分かれて作業を始める。
私のチームはとりあえず周辺の原生植物、石、そのほか何らかの資料になりそうなものを採取する。
他のチームは簡易なボーリング作業で地層を確認したり、どんな動物がいるのか撮影しにいったりするのだが…。
こんな悍ましくも神々しい場所に来ておいて、やることはなんだかまるでゴミ拾いみたいなだなと思ってしまった。

ある程度「こう言うものがいい」というような指示はもらってはいるものの、専門分野では無いので選りすぐりしようとしても結局迷ってしまうのは目に見えていた。
とりあえず周りにあるものが全て資料になるのだ。であればある程度指示されたものに近そうな植物たちを適当に魔法瓶みたいなホルダーに突っ込んで、あとは外にいる博識な仕事仲間たちが適切に観察してもらおう。その結果を元にして次回の探索時にさらにもう少し具体的な指示を仰いだ方が効率がいい。
そう思い私はとにかく手あたり次第周りにあるなんとなくそれっぽいものを手に取った。キノコっぽい何か、ねばねばした何か、植物の茎みたいな石らしきもの、石みたいな植物らしきもの、その他いろいろエトセトラ。
私以外の二人は案の定目の前に広がりすぎるサンプルからどれにするか悩んでいるようだった。
私がホルダーの中をパンパンにし終わったころ、雑務みたいな作業に飽きたのか二人のうちの一人が私に声をかけてきた。
「お前さっき気ぃ抜いてただろ。真面目さんが珍しいな」
さっきというのは入って直後のことだ。うるさいな、と図星をつかれてちょっと不機嫌だという気持ちもこめて肯定の返事をかえした。
「まぁこんな奇抜な場所だから気持ちもわかるけどな」
理解者がいてくれてよかったよと適当な相槌をかえすと、私は少しだけ二人から距離を取った。二人がちゃんと視界に入りつつも、向こうも私のことがちゃんと見えるであろうくらいの距離。二人に何かが近づいてきてもこの距離感なら注意も払える。そして何よりも自分の分の仕事は終えたので二人の仕事の邪魔をしない範囲でこの領域の雰囲気に浸りたかったのもある。後者に関しては危機感なさすぎると自分でも思った。
だが現実離れしたこの場所は自分が恐怖を知らない童心に戻るのをいともたやすくさせてしまう。
規律を重んじる窮屈な職場から色んな意味でここはだいぶ遠い。
いつも規律を守り、たまに息抜きをしようとしても息が抜き切れないと感じることがある。
領域の外はいつでもどこでもそうだ。
暴れたいわけじゃないが、今自分が抱えているものを全て忘れて行動してみたいと思う事がある。
ここでやったら命に係わるだろうけれど。
そこまで思慮に更けって、自分がまた気を抜いてしまっていることに気づいた。
緊張を解いてはいけない。皆のためだ。自分のためだ。
そうやってまた自分に言い聞かせながら、地面や木やよくわからない胞子ごしに「何かしら」を探している2人を眺めていると、背後から視線を感じた。
反射的に銃をかまえ、その方向を見る。
曲がりくねった木の向こうから人型の人ではない生物がこちらをじっと見ていた。
姿かたちは人間のようだが、その尋常でない雰囲気が人間ではないことを語っている。彩り豊かだが褪せている豊かな量の髪の毛と、着物のように見えなくもない大きな布を巻いて結んだだけのような不思議な装いをしており、色とりどりの木の実だか何だかで体中を飾っている。瞳は蜂蜜のような金色をしており、風貌は野生にあふれていたが、それがその生物を神秘的な存在のように仕立てていた。
つまり、その、とてもきれいだった。
その生き物は私の視線に気づくと目を見開き、片腕を此方に差し出して手のひらを上下に動かした。
手招きしているようだ。
勘違いかもしれないなとも思いつつ、銃のセーフティを外したままにその生物の方に歩み寄った。
貴重な生物のサンプルだし、間近で観察しておけば後で提出するレポートの内容に困らない。
私が一歩一歩近づくごとに、そいつは目を爛々と輝かせた。嬉しそうに私の歩みを眺めている。
ついにお互いの顔がはっきり見える距離まで来た。―私はガスマスクで顔を覆っているが―
そいつは口元をにっこりと笑みの形にしたと思ったら、獣のようだが人間のそれとほとんど形の変わらない手と指でおもむろに私の頬に触れた。慎重ながらも好奇心が隠せていないその触れ方はまるで小さい生き物に優しく触れようとする子供のような手つきだった。
頬から流れて耳元に、そのまま手のひらで頭を撫でるように、私が何もせずじっとしていると両手で頭をこねるように揉んできた。…随分と楽しんでくれている。
私もいいかな。
そう思って銃のセーフティにロックをかけると、手の平で相手の頬に触れた。
相手はすこし驚いたかと思うと、喜んで私の手に頬を擦り寄せてきた。
嬉しくてたまらないようだった。なんだか犬みたいで可愛いなと思って頬を撫で続けた。
耳の後ろとかくすぐると気持ち良さそうにしている。細めた目はまるで猫のような愛くるしさがあった。
いつの間にか私の中の警戒心はほとんど消えかかっていた。
キミ、名前はあるのかな?
と声をかける。きょとんとした表情のキミは言葉の意味など当然わからないようで、指先で私の口元を探った。声という音そのものを不思議に思っているんだろう。
意思疎通したいな。
保護のため手袋をしている事に煩わしさを感じ始めたころに「おーい」と背後から声が聞こえてきた。
呼ばれている。
急に現実に戻されたことにとても気分が冷めたと同時に、今の自分の任務内容も冷静に思い出す。
―何らかの資料になりそうなものを採取する―
よし。いけそうだ。
そう思って私は相手の髪の毛の中に指を突っ込んだ。そのまま手櫛をしたのち軽く手を握って引き戻す。手を開いて見ると、思惑通り数本の体毛がとれた。
相手はえ?もう終わりなの?と突然手を離されたことに対して戸惑いを隠せないようだった。
私は最後に大きく頭を撫でてやると、振り返って来た道を小走りで戻って行った。
また来る。
伝わるかどうかわからない言葉を放って、私は来た道を戻って行った。
虹の霧の向こうにいるキミはずっとそこに立ってこちらを名残惜しそうに見つめていたが、私が視線を外した一瞬のうちに消えていなくなっていた。

「なんで呼ばないんだよ」
私は一緒に行動した2名から猛烈なブーイングを食らっていた。
テントに戻ったのち頭に着けていたカメラの映像を各々リーダーに提出したのだが、提出した簡易レポート内容も合わさって私の遭遇した出来事は全員要確認すべきだとなり、早々とみんなでテント内のプロジェクタで私の撮った映像を見ることになったのだ。
「お前らしくない」「連携して行動していると言う意識が足りないんじゃないか」「そいつに食われていたらどうしていたんだ」「こんなのとよくこんなことできたな」とがみがみ言われていた。本当にそう思う。どうかしていた。
上司からも単独行動は危険なので決して次からはないようにと厳重に言われた。
反省しています。
本当にしています。と頭を下げて何度も謝った。
なんでこんなに少し前に起こした自分の行動を猛省しているかと言うと、重症を負って帰還したメンバーがいたからだ。
生物を記録するチームのメンバーの内の一人だ。彼の映像記録ももちろん上映された。
三人で上空を眺めて写真を撮っているところ…ゆったりと撮影者に向かってくるなにかがいた。
撮影者は拡大したカメラのレンズ越しに生物を記録していたからかちょうどその何かに死角からの接近を許してしまったようだ。
「の」の字に曲がりくねった木の幹の張り付いた巨大なカタツムリのようなカラをつけた、虫のような、幽霊のような、生物にみえないような、何か…。
「おい!そっちに何かいるぞ気をつけろ!」と他のメンバーが注意喚起をしたがすでに手遅れで、そのまま撮影者はそいつが放った触手に捕まり無理やり上空に引き上げられた。
「うわああ」という彼の悲鳴をその何かはそっちのけにして頭につけたマスクをはぎ取ったり防具を裂いたりし始めた。
触手を使いカメラも取り上げて機械の分解を始めた。カメラはあっというまに細かいパーツに分かれて地上にバラバラ落ちていく。
捕まった彼はどうにかこうにか藻掻くが全くもって歯が立たない。
地上にいる二人が銃を持って射撃をしようにも、捕まっている者に弾が当たっては大惨事だ。
そうこうしているうちに装備をはぎ取られた彼の肌が炎症を起こし始め、苦しみもがきだした。
あのまま捕まったままだと彼の体から謎の菌類が生えてきて…考えたくもない。
彼がさらに大きな悲鳴をあげたその途端、何かは突然彼を解放した。
枝にぶつかりながらバキバキと音を立てて彼はまっすぐに落下する。
幸いどの色んな枝だかなんだかがクッションになったので骨折などはしなかったようだ。
それでも突然の出来事と防具がなくなって炎症しつつある体のせいでパニックに陥っていた。
落ちた彼を一人が保護をすると、もう一人は銃を撃って何かを射撃した。
何発か当たったようだが、あまり効果はないようだった。
早急な対応によって今回は軽い炎症だけで済み、保護された彼は今は離脱して治療を受けている。
このように実害のある獣の存在を確認したので、次回現地に向かうメンバーは今日よりもいっそう気を張って行動するようにと言われた。
自分勝手な行動をしてはいけない。皆の安全のためだ。自分のためだ。
皆の安全のためだ。
了解、といつも通りみんなで返事をした。

領域の中で不思議な生物と交流して軽く夢見心地で帰ってきたのに、戻ってきたメンバーの内一人が別の不思議な生物と交戦してとんでもない目にあっていた。
後者の事件から領域の中は生物も危険性が非常に高いと判断された。一般市民が領域に入り込む可能性のある経路を確認でき次第、侵入禁止などの看板を立てるなどすることになるのだろう。隔離のために壁を設ける必要だってあるかもしれない。
滞在が長引きそうだが国民の安全を守るのが仕事だ。気を入れて行っていこう。
そう思い疲れた心と体を引きずって硬い簡易ベッドに入った。
今日行った領域の光景を瞼の裏に映す。
不可解な菌糸で汚染され、素肌を晒せば体が徐々に傷つけられていくあの領域。
この場所とは大きく違った、現実にある現実離れしたあの中。
仲間が襲われたあの映像は悍ましかったが、白く霞がかかっているのにさまざまな色彩の空気で輝いていたあの場所にどうしてかまた行きたかった。
美しい虹色をした混沌に満ちるあの光景。
その中でこちらに手を差し出してくる無邪気なキミの笑顔のことが、忘れられなかった。

採取されたサンプルは慎重に運ばれていく。
大きな温室のような強化ガラスでできた特別な部屋の中には防護服でガチガチに固めた2名の人間がいる。一つのホルダーが開封された。
中からは植物が転がり出てきた。うねうねと奇妙に動くそれを人間は切り刻んだりしてシャーレやプレパラートに載せると穴が開くほど顕微鏡でじっくりと観察を始める。
撮影をしたり、水を与えたり、どんな菌が付着しているのか、放射線は発したりしているのかとにかく色々調べられている。
きりきりと忙しなく動く人間たちの後ろで、外気に触れた植物は弱弱しく動く体から煙を上げると、やがて動きを止めた。
その事に彼らはいつ気づくのだろうか。

つづき(下編)


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