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実はセロリが好きだった話。


苦手な野菜の代名詞ともいえるセロリ。
昔ちょっと生で食べてみたときのキツさや、
強く出過ぎたブーケガルニのえぐみの記憶があり、
私もあまり好きではなかった。


しかしある日、から揚げ屋で箸休めを探しているとき、
ふと「セロリの浅漬け」が目にとまった。
山崎まさよしのセロリが脳内再生される。

なんとなく理屈っぽそうだけどさわやかで、
包容力がありそうなのっていいよな・・・
などと思いながら注文してしまったそれは、
過去の苦い記憶を打ち消すには十分のものだった。

ちょうどいい。
記憶の中のセロリはとにかく極端だった。
目の前のセロリは、しかしちょうどいい。
わずかにだしが香るくらいで、後付けの味をそう感じない。

以来、セロリの浅漬けを見ると頼まずにはいられない。
そう、「セロリの浅漬け」が好きになった。
しかし家での食事中心になり、飲食店に行くことも激減すると、
「セロリの浅漬け」がどうにも恋しくなる。

そしてついに昨日、人生で初めて生のセロリを1本買った。
セロリ1本は、でかい。
「セロリ1本=セロリの浅漬け」という計算は
なんだかもったいない気がしてきた。
ググりながら以下のように運用を考える。
●茎A:待望枠。浅漬けに。
●茎B:挑戦枠。生のスティックに。
●葉:妥協枠。炒め物のアクセントに。

たまたま観たハイボールをカラカラする人の動画で、
セロリをまるごと生でかじっている光景が頭から離れなかった。
あんなに豪快にやろうとは思わないけど、
実は生のセロリってうまいんじゃないか・・・?
そう期待しての挑戦枠である。

結果、生のセロリはうまかったのだ。
少なくとも今の自分には。
あとから食べたセロリの浅漬けが、
ちょっと物足りなく感じられるほどに。
セロリの香りが、セロリが好きだったのだ。


「食わず嫌い」だった、とするのはためらいがある。
酒を飲むようになると~という説もあまり私は信じない。
昔は確かにこの香りが無理だった。
いつから「セロリの浅漬け」ではなく、
「セロリ」を好きになったのだろう?

育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ
夏がだめだったりセロリが好きだったりするのね
     ――山崎まさよし「セロリ」より抜粋


「育ってきた環境」が違うから。
いや、もう違うから。
自分の中の成分も少しは変わってきたのかもしれない。
今はもう苦くないセロリをかじりながら、
そんなことを思う。


興味をもっていただきありがとうございます。