noteが書けないのは完璧さを求めているから
「完璧主義はやめたほうがいい」アタマでわかっていても、それができないからやっかいなところだ。
「もっと伝えたいことがはっきりしてから、noteを書こう。」
「もっと時間に余裕があるときにnoteを書こう。」
そう思っているうちに、どんどん時間が過ぎていく。
僕は「ダメダメな文章こそ公開してみよう」と提案しようと思う。
論理構造とか、無視して、書きたいところから書いてみてはどうだろうか。
表現がぐちゃぐちゃだったり、話がそれてしまっても、読者が頭のなかで修正してくれるから大丈夫だ。
書いているうちに、頭が整理されたり、書きたいことが浮かんでくることがある。
なので、まずはぐちゃぐちゃでも、なんか生み出してみるのが大切だ。
この文章もそうやって、適当に書いている。
それでいいのだ。
誰にも見られなかったとしても、文章を書いて公表したという事実には変わりない。
文章を書くことで、自分の考えに輪郭が見えたり、客観的に捉えることができる。
もちろん、無理して書く必要はまったくない。
noteを書こうと思っているけど、完璧さや上手に書こうとしているがゆえに、書けないのであれば、少しもったいない気がする。
あえて下手な内容を公開してみるのもいい。
そうすれば、次からハードルがぐんと下がる。もはや開き直っちゃってはいかがだろうか。
上手に書くよりも、とにかく発信することを大事にしています。記事にスキやコメントをしてもらえるとすごく励みになります♪( ´▽`)