清掃のおっちゃんと話して、今がどれだけ大切な時間か認識した
今日の朝のホテルの清掃中にパートのおっちゃんが話しかけてくれた。
そのおっちゃんとはちょくちょく話す仲だ。
おっちゃん「仕事めんどくせーなー。毎日同じことの繰り返しだよ。」
僕 「そうですよね。清掃って毎日同じですよね。」
おっちゃん 「俺は何のために仕事してんのかはわからんわ。君、俺の事情を知っとる?」
僕 「あっ知らないです。」
おっちゃん 「俺、癌なんだよ。」
僕 「えっ・・・」
おっちゃん 「もう今年で6年目だ。週2回の休みも静岡県の病院に抗がん剤治療に通ってる。大体8時間の治療だから、朝行って夜帰ってくることになっちゃうんだよ。休みじゃねーよ。まぁ仕方ないんだけどさ。」
僕 「大変ですね・・・」
おっちゃん 「抗がん剤の副作用で足も不自由になってしまった。足なんてもう真っ黒だよ。」
僕はかけてあげられる言葉が見つからなかった。
もし自分がおっちゃんの状況になったら、生きている意味は全く見出せないだろう。
本当に絶望だ。
おっちゃんと話しをした後にずっと考え込んでいた。
そして、おっちゃんには感謝している。
この会話から二つのことを考えた。
一つ目
おっちゃんには生きている価値はある。あったという方が正しいかもしれない。
僕はおっちゃんとの会話で自分の人生について深く考えることができた。
そして、おっちゃんは僕に影響を与えたのである。
しかも悪い影響じゃない、良い影響だ。
人にいい影響を与えている時点でこれまで闘病生活を続けて生きてきた価値はある。
これからも生きている価値があるかは分からないが、今日まで生きている価値は絶対にあった。
それは僕が保証します。
ホテルを離れる前に伝えてあげよう。
二つ目
自由に何でもできる状況なのに、何をしていいかがわからないなんていうのは、わがまますぎる。贅沢すぎる。
やりたくてもできない人が目の前に現れて、今自分がどれだけ幸せな状況かを噛み締めることができた。
何がやりたいかわからないなんて言ってる自分が申し訳ない。
何かをやりたいって思うには、その何かを知る必要がある。体験する必要がある。
何かを知ったり、何かを体験するためには行動する必要がある。
つまり何がしたいかわからなくても、がむしゃらに行動することが、やりたいことが自由にできる人間としての責任なんじゃないかなって思った。
自分がいかに幸せな状況かを噛み締めて。
以前、テレビ番組で、自分が好きなことができる状況がどれだけ幸せなことかを実感してプロ野球選手になったという物語を見た。
テレビ越しでは、
「確かにその通りだなぁ」
としか思わなかった。
しかし、実際におっちゃんのような人間を前にして実際に会話をして、自分がいかに幸せで、いかに贅沢をしているかがよーく認識できたのだ。
これを読んでくれている人は、若者が多いでしょう。
あなたには無限の可能性があると思っています。たとえ就職していたとしても。たとえ今置かれている状況で、時間が無くても。
今から世界一周をしたいと思えば、多分あなたはできると思う。
お金もないし、時間もないって思うかもしれないけど、世界一周をするためのお金はバイトレベルでもまかなえる。
時間がないって思っても、職業は無限にあり、辞めるのも自由。自分の自由だ。
つまり、可能なんです。
あなたは健康である限り、本当に自由生きることができる。
そんな贅沢で幸せな状況を噛み締めて生きてほしい。
やりたいことがあってもできない人がいる。
それを意識して自分の人生を、自分の魂を燃やしてほしい。
そして色々な経験をして、自分の置かれている状況がいかに幸せかということを実感してほしい。
文章越しでは僕の言いたいことは100%伝わらないでしょう。
自分で体験して、自分で実感する必要がある。
これを読んでいるあなたには、いろんな体験を肌で感じてもらいたい。
そのためにも、自分の有限の時間を精一杯燃やしてほしい。
全力で生きていこう。
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