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心が苦しいあなたへ。休学を経験した僕からのメッセージ。

今日は2020年5月26日。休みです。まあいつもですが。


なんだか胸が痛い。

今日はテニスをして、昼寝をして、幸せな生活なのに。

昨日はYoutubeのチャンネル登録者が100人になってウキウキしていたのに。


不思議だなぁ。

ちょっと気持ちを書いていこう。


胸が痛いがもう慣れた

精神的に不安定になると胸が痛くなる。

不安定というより、不安な心の表れといった方がいいのかもれない。

不安になっていても何も変わらないのはわかっているのに、何度もこういう時間は訪れる。

多分、これがずっと続くと、「生きていても辛いことばっかり・・・」

ってなるんだろうなって思う。

もちろん、心のなんとも言えないこの感じはいい気分とは言えない。

でも、悪くはないなって思い始めた。


休学をしての成長

休学をして、心の迷路に迷い込んだ直後は、この不安を感じるたびに辛くなった。

余裕もなくなり、周りの人にも迷惑をかけた。

自分のことだけで精一杯だったのだ。

でも、今は違う。

この胸の痛みが来るのも人間らしくていいじゃんって思う。

本当に人間らしい。

僕に真の人間らしさを教えてくれたTomさんも、同じような心の痛みと向き合ってきたんだろうなって思う。

僕は人間で、人間らしく、人間味がある。

この心の痛みを、「不幸」と捉えるのではなく、向き合い続け、認め、それが人間で、当たり前のことで、そんなこと関係なく健康に生きられているだけで幸せなんだな。

って思えるようになったのが僕の成長かな。

なんでこんなこと考えてるのかっていうと、身近な友達が似たような状態になりかけているように思えたからだ。


友人に対する僕の考え

彼もまた、大学を卒業し、就職をし、辞めた。

何か違う。このままではダメだ。

これじゃない。って思ったんだろう。

そいつは元々ポジティブでない。

身近でなければ、深い中にはなっていなかったとも思うほどに。

僕が男の魅力だと感じる「情熱」を彼からは感じない。


正直にいって、魅力的ではない。

本人も読むかもしれないので一応謝っておく。

「すまん」


でもディスっているわけじゃないので最後まで読んで欲しい。


話を戻します。

彼もまた、

「これがやりたい!!!」

「こうなりたい!!!」

っていう強い気持ちを持ち合わせていない。

心の奥底では、なりたいと叫んでいるはずなのに。


社会の大きな流れに身を任せて、人生を歩むことに何も疑問を感じない部類の人間であれば、この時期に大して悩むことではないのだが、仕事を辞めたくらいなので、悩んでいるのでしょう。


人生について深く悩み、迷い、希望が見出せずにいる。自分が何をしていのかわからないし、今やっていることもなんでかははっきりとわからない。

こんな人間から、生き生きとして人間になるための薬を僕は1つしか知らない。


とにかく悩み、傷つき、それでも前を向き、心の声に耳をすませる。

そして、心の奥底の自分は何がしたいって言ってるだろ。。って。

とにかく心の声を聴こうとする姿勢でなければ、変われないと思う。


彼は外から見る限り、向き合い切れていないと思う。

向き合わないと、この心の痛みとは共存していけないからだ。


こんな状態で、僕は辛い。って打ち明けることが必要だ。

彼は変に強がって、抱え込み、悲観的になっている。もともと悲観的だが。

たぶん彼が、いまだに童貞なら、

「僕はまだ童貞なんです・・・」って素直に認めず、強がっている、いや、強がりはしないが、興味がないから別になんとも思わん。みたいなことをいうような感じだ。

男ならこの例えでわかってくれ。


周りを見渡すと、悩んで悩んで悩み尽している知り合いなんてどこにもいないように感じる。

自分だけではないと思うが、自分は他の人よりも悩んでしまっている。と感じる。

そして、自分は不幸だ。って感じる。

成功した経験、自分で納得する経験がなければ、なおさら。

これをやってみよう!と心のアクセルをかんばって踏んでも成功できる自信は湧いてこない。


すべてわかるよ。


僕は今は辛いが、前は違った。弱い自分と強い自分の両方を知っている

このノートで前も書いて、内容は重複するかも知れないけど、書かせていただきます。


強い自分の話

小学校、中学校、高校時代の僕の心の話だ。スポーツに関して。

もともとはスポーツをやれば、そこらへんの人には勝てると思っていた。

小学校でやっていた野球では、ベンチだったが。ほんとに嫌だった。いい経験だったが。

でも初めてのスポーツをやれば、大体自分の方が上手いし、走っても大体の人よりは速いだろうって思ってた。


中学に上がり、ソフトテニスを始めた。

友人の意志に乗っかった選択とはいえ、楽しみだった。

部活動の中で、俺が一番上手くなるって自信があった。スポーツなら勝てるって。

周りに格段に上手い人がいなかったからかも知れないが、自分が一番強くなるって思ってた。もちろん先輩よりも。

初めて出場した大会で優勝した。先輩も倒した。

規模の小さい大会でしたが。

やっぱり強くなれるって思った。

他校に強い奴がたくさんいたが、練習すれば、必ず追いつけるようになると思って練習していた。

まあ、2年の夏に肘を壊して、あんまり練習できずに引退までしちゃったんだけどね。


高校に進学し、もちろん硬式テニス部に入った。

肘の不安もあったが、成長期と重なり、痛みがなくなっていった。

「いける」って思った。

先輩たちはマジで上手い人たちだった。

同級生も、地元で名を馳せていたやつもいたし、まあ割と強い人たちが集まっていたと思う。


でも、俺が一番強くなると思ってやっていた。

真剣に勝ちたいと思ってずっと練習していた。

もちろん、勝てる試合を落とした、悔しい気持ちは今でも忘れないが、勝てるだろうと思った相手はほとんど負けたことがなかった。

同じくらいの相手なら、絶対に俺が勝つと思ってた。

大会なら、ちょっと自分よりも強いやつでも、勝てるんじゃないかって思って試合してた。

世界で戦っているようなプレイヤーがこの記事を読んだら、「何をちっぽけなところで偉そうに」

って思うかも知れないが、心の底から自分を信頼していたということがわかっていただければいいかな。


今思い返すと、この時期に挫折を味わいたかったと思っている。

次に惨めな話をするから聞いてくれ。


弱い自分の話

大学時代の僕の話だ。

高校の良い勢いを引き継いで、名古屋大学に進学した。勉強でも負けまいと目標は特になしで、頑張れていたから、ここに進学したのかもね。


大学では、テニスはもう本気でやらなくていいやって思ってた。

サークルに入ってたのし〜くテニスしたかった。


しかし、蓋を開けてみれば、結構しっかりしたサークル。

練習は全力でやる。

声出しも全力でやる。

ボールは先輩に拾わせないように、全力ダッシュだと。


アホかと思った。なんでここまでするのかと。

テニスは高校の頃で、自分で納得して、正直燃え尽きていた。

未練がなかったからかも知れない。


そんな自分の心とは正反対の行動を強いられた。


もちろんやるからには勝ちたいし強くなりたいと思いつつも、心の奥底にいる本当の自分との葛藤が続いた。


その心はもちろん結果にも現れた。

練習をしているのに、心が辛くなった下手になっていることをまじまじと感じた。

周りは上達していくのに、自分は落ちていく。

とても辛かった。


2年生の団体の時、一番練習をしてた時期なのに、下手くそになってた。

自分の心に一番抵抗して時期だった。

勝つことを強く願うメンバーと戦っていたから、もちろん勝ちたかった。

だから、心と上手くマッチしないカオスな状態で辛かった。

結果的に負けを重ねた。

人生でこんなに負けた経験はなかった。


試合前には、今まで培って生きた自信よりも、心との矛盾による不安や焦りが強く、昔なら勝てるだろうと思っていたはずだが、全然自信もなくなっていった。

そして案の定負けた。


最終的には、優しいメンバーの皆さんは、負けを笑いに変えてくれた。

僕も勝ちたかったけれど、まあ面白かったならよかったかなって思ってきた。

たぶん、あの時平然と勝っていたら、生み出せなかった笑いも数多いだろう。

でも、本音はもちろん勝ちたかった。


そこからも心との戦いは続いた。

テニスの環境は嫌いだったが、メンバーは好きだった。

いい思い出もたくさんさせてもらって、いい仲間もできた。

本音の本音をいうと、いいメンバーとはいえ、本当にこれからも関わりたいと思う人間は思ったよりも少なかったが。

たぶんこれを読んでくれるような人とは、関わっていきたいんだと思う。


人のためを思って、サークルを辞めずに続けたが、自分の本心と戦い過ぎた。

正直、大事な何かを失った。

高校時代までは持っていた、人生においてとても大切何かを失った。


何かを失った原因は、テニスだけではない。

僕は工学部で、物理を学んでいた。

でも、高校時代から物理が一番嫌いだった。


なんでそうなった??と思うかも知れないが。


やりたくない、興味のない授業を卒業するために受ける。

そしてなんとか卒業した。


そして大学院に進学し、研究漬けの日々。

大事何かを失った僕は、壊れた。

テニスでも、学業でも、心と戦い、壊れた。

自信を失い、何もかもなくなった気分だった。


上手くいっていると思っていた人生は崩れ去った。

そして、最後の勇気を振り絞って休学した。


今伝えたいこと

惨めだっただろう。

なんか上手くいく気がする。たぶん自分ならできる気がする。

っていう状態から、転落していった。

もちろん今の自分は弱いままだ。

休学し始めて、8,9か月では、強くはなれていない。

でも、スタートラインには立てた気がする。

挫折により自分の弱さを知り、そんな自分を認めたくない状態から、認め羅れるようになった。

自分は弱いと思いながらも、幸せを感じることができるようになった。


もしもあなたが、共感してくれて、自分で精一杯になってしまっているなら、自分の弱さを認め、恥をかいてもらいたい。

もちろん恥をかくことは、その名の通り恥ずかしいし、認めたくもない。

でも、弱さと向き合い、悩み抜き、その中で、なんとなく答えを見つけていくしかないのだ。


もしもあなたが、強かった自分を知っているのなら、またそこに戻れるように、今は恥をかいて欲しい。

あの頃はよかったと思える、未来をまた作るために。

どん底も悪くない。


もしもあなたが、強かった自分を知らないのなら、是非とも知ってもらいたい。

時間はかかるかも知れないが、逃げないで欲しい。諦めないで欲しい。

強い自分は気持ちがいい。

知らないのなら、余計気持ちがいいでしょう。


自分のことで精一杯なら、周りに多少迷惑をかけてもいいと思う。

わかってくれる人はわかってくれるのだ。

少なくとも、俺には分かる気がする。自分もそうだったし、今もそうだ。


でも、自分を大切することで、他人に気を回す余裕が生まれ、他人を幸せにできる。

だから、まず自分を大切にして欲しい。

やりたいと思ったことは、恥をかいてでもやって欲しい。

思ったことは恥をかいてでも口に出して欲しい。

「悔しい!」「負けたくない!」「幸せになりたい!」って

自分の心の声は、ものすごく小さくなってしまってる。

だから、その心の声を聞くためには、周りに迷惑をかけてしまうことは仕方ないのだ。


心の声を聞き、自分を見つめ、そして見つけ出し、道を歩み、そこで恩返しできればいい。

自分を見つけだすことができれば、あなたは変われる。

他人に親切にできる。

自分を見失った人の気持ちに寄り添ってやれる。


最後に

今僕は幸せです。

どん底まで落ちた時に、Tomさんに何気ない日常の幸せを教えてもらいました。

休学を悩んでいる時に、Tomさんの言葉を読み、大学にいく途中の電車で泣いていた自分を思い出した。

自分の心の声が全くわからず、ただただ辛かった。

そんな時に、自分の心の声がそこに書いてあり泣いてしまった。

実際に会ったあとも、辛い心が解放され、泣いてしまった。


この心のノートを読んでくれている人はどれくらいいるのだろうか。

ましてや、こんな長い文章を最後まで読んでくれる人は限りなく少ないと思っている。


でも、届くべき人に届いてくれることを願っている。

届くべき人に届けば、必ず心に刺さると思う。

数は少ないと思うが。


今までの言葉とは矛盾するが、僕は強いと思う。

一番辛い人の気持ちをわかってやれるからだ。

こんなことが言えるようになるまで、僕の心も回復したのかもしれない。

だから君もきっと立ち直れる。

もし、僕と同じように悩み苦しみ、どうしたらいいのかわからない人がいたら、この記事が届いてくれることを願っています。

ちなみに僕はこの記事がどれくらいの人に届いているのか、疑問に思っています。

もし、あなたがこの記事を読んでよかったと思ってくれたのなら、スキを押すか、コメントをいただきたいです。

最後まで読んでくれた方には、本当に感謝です☺️









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