謙虚がいちばん マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』 動画「名著を読み解く」#4
NHKのEテレでは「マイケル・サンデルの白熱教室2022」が放送中だ。
ハーバード白熱教室から12年経った今も、マイケル・サンデルの哲学の魅力は増すばかりだ。最新刊の『実力も運のうち 能力主義は正義か?』によると、なしえた努力と才能によってのみ獲得したものとする能力主義を過大に評価する考え方には、大きな問題を抱え弊害を生んでいるという。なぜなら、この考え方こそが、うぬぼれや傲慢に他ならず、不平等、流動性の低下、格差を生む要因であるからだ。
だからこそ、「謙虚さ」がなによりも大切だと説くサンデルのロジックは、能力主義に毒された現代社会に冷や水を浴びせ、寛容な社会を実現するヒントを与えてくれる本だ。
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能力主義は、勝者はその事実に誇りとおごりを抱かせる。敗者は、自信喪失により、貧困は自ら招いた者だと屈辱と怒りを感じるようになり、社会的軋轢を招いてしまう。
能力主義が呼び起こされ、能力主義を呼び起こす
宗教改革で、ルターは,全ての救済は神の恩寵の問題であるとした。これは反応力主義的な考えだが、カルヴァンの予定説のように、自分は立派な仕事をしているのだから神から選ばれている、と考えてしまうこともまた、能力主義を呼び起こしてしまう。
ウェーバーの時代になると、能力が神の恩寵を駆逐し、神への信仰の薄れが人間の主体性への自信が強まり、より能力主義が推進さてしまう。
繁栄が救済なら、苦難は罪のしるしとなってしまうのだ。
力を持たない人びとに希望を抱かせる摂理的信仰が、力を持つ人びとには。おごりをもたらしまうことになる。
栄光は幸運や恩寵の問題ではなく、自分自身の努力と頑張りによって獲得される何か、という考え方は勢いを増している。これは恵まれない人びとを気にかけず、共感性を蝕む考え方になってしまう。一方で、「才能と努力の許す限り」出世できるのが当然、という考え方も自明である。
この能力主義エリートに対するポピュリストの嫌悪が、トランプ政権を誕生させ、人種差別や外国人嫌いや多文化主義への敵意が絡み合い、イギリスのブレグジットも招いてしまった。
能力主義への反論として、ロールズの格差原理やハイエクの自由主義的リベラリズム、フランク・ナイトの議論が参照されるが、彼らの反論もまた十分ではない。結局は能力主義的な態度が緩和されたり排除されるわけではないことをサンデルは指摘する。
教育にも限界がある
能力主義を是正する方法とされる教育も、残念ながら万能策ではない。教育至上主義で考えてしまうと、賢い人間vs愚かな人間という対立になり、大学はおごりの象徴として君臨する。ハーバード大学やスタンフォード大学の学生の三分の二は、所得規模で上位五分の一に当たる家庭の出身であり、こうなると、出自によって入れる大学が決まってしまう。名門大学の入試を突破するために、幼い頃から勉強を重ねて学生達も疲弊しきっている。肝心の名門大学は、市民教育の任務を十分に果たしていない。それならば、いっそのこと、くじ引き入試で学生を決めてもいいのではないか、という大胆な策を批判覚悟でサンデルは提案する。
労働の尊厳、帰属意識、そして謙虚さ
アクセル・ホネットによると、所得と富の分派を巡る争いは、承認と評価を巡る争いであるという。労働の尊厳こそがもっと政治的議論の中心に据えるべきであるが、実際はそうなっていない。なぜなら、経済成長が道徳的に賛否両論ある問題の議論を不要にさせるように見せるからだ。だが、労働の尊厳こそが能力主義社会を打開する出発点であることに変わりはない。オーレン・キャスによる低賃金労働者への賃金補助、金融の役割の増大の提案を昇華した上で、サンデルは共同体の帰属意識が不可欠だと言う。
グローバリゼーションによって培われた国際人意識や能力主義的選別によって、破壊された絆を修復するためにも、共同体の一員として自分自身を捉える必要がある。
自分の実力を誇示して力のない人間に対しておごり高ぶるのではなく、何よりも謙虚さこそが怒り渦巻く時代に生きる社会にとって大切な感情であることを教えてくれる文章だ。おごれる者は久しからず。どんな立場であれ、謙虚さを忘れてはいけない。