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人間好き? 人間嫌い?

──今回は代麻理子さんのご質問に応えていただきましょう。「横道さんは、基本はひとりで過ごすのが好きだとお聞きしました」、「隣町珈琲でのイベント時の猫の喩え、すごく好きでした」、「一方で、数々の自助グループを開催されているように、人と過ごすのも好きなように思えます」、「ひとり時間と人と過ごす時間の時間割合としては、どのくらいが横道さんにとっての理想ですか?」

横道 おやおや。隣街珈琲での猫の喩えとはなんのことでしょうか?

──横道さんが言ってたんですよ。自閉スペクトラム症者は猫みたいなものだって。基本的に単体でいることを好むけど、仲間とじゃれあったり、交尾したり、人間に甘えたりする時間がほしいときもあるって。そうい生き物なんだって。

横道 ふむふむ、そうかそうか。私はそんなことを言ったんだ。

──忘れたんですか?

横道 いや、じつは覚えてます。
 つまり、ふつうの人が集団行動を好むのと逆に自閉スペクトラム症者はひとりぼっちが好む、という正反対の性質を持っていると考えるのは極論だということです。ひとり時間と、誰かといる時間をどう配分するか。そのバランス感覚が、定型発達者と自閉スペクトラム症者でズレているだけなんです。

──横道さんはよく、定型発達者と発達障害者の違いは質的差異という以上に量的差異だと言ってますよね?

横道 そのとおりです。きみ、私の本をよく読んでいますね。ありがとう。ADHDの場合もそうです。忘れ物がひどいとか、ケアレスミスが多いとかは、定型発達者にも起こりえます。しかし頻度や程度が異なります。その量的差異が、体験世界では質的差異となって迫ってくるのです。

──自閉スペクトラム症でも同じだと?

横道 はい。コミュニケーションが難しいとか、相手の立場に立ってものを考えるのが難しいというのは、定型発達者にも起こりえます。実際、定型発達者が自閉スペクトラム症者と話すときには、コミニュケーションが難しいと感じるし、自閉スペクトラム症の立場に立つのは難しいと感じますから。

──その量的差異って、どうやったら理解してもらえるんでしょうね。

横道 基本的には、その量的な差異によって、深刻な生きづらさが発生しているかどうかが発達障害かどうかを判別する基準になるので、それを知ってもらうことでしょうか。物忘れやケアレスミスが多すぎるせいで心が壊れ、休職したりして、日常生活を平常に営めなくなると発達障害、そうでなかったら定型発達かグレーゾーンというあたりです。

──外から観察していても、なかなかその「量的差異」ははっきりと理解できないような気がします。

横道 まさにそうです。ですから、当事者を理解するには内側から理解する必要があるでしょう。

──自閉スペクトラム症の「猫的」な内観も、内側から理解する必要があるのですね。

横道 そう思います。

──でも具体的に、どうやれば内側から理解できるようになりますか。多くの人が疑問に感じているはずです。

横道 発達障害に関して言うなら、当事者が書いた本を参考にするのが良いと思います。その人なりの心身のメカニズムが詳細に記されていますから。

──ふむふむ。

横道 その上で、その当事者が実際に話したり行動したりしている映像などを見ることができれば、さらに参考になりますね。その人の文章は内観を、その人の映像での言動は外観を表現しているわけですから、外観と内観のオリジナルな対応関係が理解できるようになっていきます。そうしたら、その人を内側から理解できるようになりはじめます。

──そういう方法があるんですね。でも当事者のうち、本を書いているのはほんの一部の人たちですよね。それに、本を書いている人の言動を動画で確認できる機会も限定的なような気がします。

横道 そこで役に立つのが、「発達界隈」です。𝕏(旧Twitter)で発達障害者とつながって、機会を見つけて、その人と会ってみる。そしたら、その人の内観は𝕏のポストで語られているわけですし、その人の言動という外観は現実上に出現するわけですから、やはりその人の心身のメカニズムが理解できるようになります。

──その手は使えそうだと思いました。

横道 発達障害者が自己理解を進める上でも、有効性の高い手法です。多くの発達障害者は、周囲から「ふつう」であるべきと迫られ、じぶんの内心を殺しながら「擬態」して生きていますから、じぶんの心身のメカニズムをじぶんでも理解できなくなっているのです。

──じぶんと類似性の高い「発達仲間」を比較対象とすることで、じぶん自身の等身大より姿に立ちかえることができるのですね。

横道 そういうことになります。

──それで本題ですが、横道さんにとってひとり時間と他者との時間の配分は、どのくらいが理想的ですか。

横道 私は基本的にひとりだけでいるほうが幸せです。他者と話しても、うまくいかないことが多いですから。

──なるほど。しかし自助グループはたくさん主宰していますよね? いま10種類とか。

横道 9種類から11種類くらいです。まだ単発イベントのたぐいか、定期的に開催される自助グループなのか、あいまいなあたり会合がいくつかあります。

──自助グループをそんなにやりたがるということは、他者と交流したいんですよね?

横道 自助グループでは発言のための規則が設定されているので、コミュニケーションがとても気楽なんです。日常会話がどれほど厄介で危険なものか気づかされます。

──そういうルールどおりの仕方であれば、他者と交流したいと。

横道 私の場合にはそうです。ですからトークイベントに登壇するのも歓迎です。テーマを念頭に置いて話を進めていけば良いですから。しかも他者との協働でそれを達成していける。大きな喜びを感じます。

──つまり、雑談が支配する時空を回避したいわけですね?

横道 私にとって、というか自閉スペクトラム症者にとって、雑談は大いなるハードルです。定型発達者という多数派の暗黙知が支配する場所ですから。そして雑談には「異物」を排除するための機能も備わっています。私たちは排除される側です。

──ふむふむ。しかし横道さんは、雑談が発生していない場面でも、誰かと交流するのを避けようとしているのを感じることが多いです。たとえば無言でぼんやりいるときがそうですね。横道さんはそわそわして見えます。

横道 基本的にワーカホリック(仕事中毒)の傾向がかるので、暇な時間とかくつろぎの時間とかが苦手なんです。時間があったら、読書をするか執筆をしたいのです。

──休みは必要ないということでしょうか?

横道 読書や執筆の疲れを取るために、休憩は不可欠だと思っています。風呂に入ったり、コーヒーを飲んだり、ただ眼をつむってゴロンと寝転んでいたりは重要です。しかしそれらは仕事の疲れから回復するためのもので、休憩のための休憩とか、レクリエーションのためのレクリエーションが苦手なんです。

──それはなぜですか。仕事中毒という言葉以外で説明できますか。ワーカホリックという言い方はちゃんとした説明になっていない気がします。

横道 どこまで依存症(アディクション)の問題と関係しているのか、判然としないところもありますが、私はとにかく仕事をしていると、すぐにゾーン(フロー状態)に入ることができるんです。その快感に病みつきになっているので、暇や退屈は「しらふ」になるということなので、それを避けたいんです。

──暇や退屈によって、心地よい酩酊から冷めるということですね。

横道 さらに言えば、暇や退屈があると、心に余白がたくさん発生するので、私が「地獄行きのタイムマシン」と呼ぶフラッシュバックがすぐに発生してしまうんです。ほんとうに恐れているのは、むしろその問題です。

──なるほど。いわゆる「自己治療仮説」ですね。トラウマを癒すために仕事に対して依存症状態になっているんですね。

横道 そういうことになります。「地獄行きのタイムマシン」に関して、人間関係の失敗もトリガーとして働くので、結局は厄介で危険に満ちた一般的なコミュニケーションは、私にとってなるべく回避するべきものという扱いになります。

──なるほど。まとめに入りますが、横道さんはひとり時間を大いに好み、なるべく人といる時間を減らしたい、あるいはルールに沿った形で他者との時間を共有したいと思っているということですね。横道さんはじぶんを人間好きだと思いますか。それとも人間嫌いだと思いますか。

横道 私は一面では人間好き、一面では人間嫌いだと自己認識しています。望ましくない対人関係で苦しめられたぶんだけ、好ましい対人関係に対する憧れがあります。それゆえに高い透明性を持ったコミュニケーションを大切に思っているのです。私の人生では、自助グループがそれを実現してくれました。

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