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「仲間外れ仲間」と「ほとんど賛成する人がいないような大切な真実」

今日は、岡ノ谷一夫(動物行動学者)による「『つながり』の進化生物学」の第4章「つながるために、思考するために - 心はひとりじゃ生まれなかった」から「「仲間外れ仲間」をもとう」という節を読みました。

一部を引用してみます。

みんな忙しいよね。ちなみに、僕のことをきみは理科系と言ったけれど、研究者仲間の中では、理系から見れば文系、文系から見れば理系の世界に、僕はいると思います。だから僕はいつも仲間外れで。でも僕以外にも「仲間外れ仲間」はたくさんいます。「仲間外れ仲間」は、考えることが柔軟で楽しいですよ。
- 僕は、自分が当たり前にやっていることの裏側にある、たくさんの理由を発見できたように思いました。なぜこういう行動をするのかということが、どんどん深くなっていきました。難しかったですが、いろんな見方をできてよかったです。他にも当たり前だと思っていることの中に、面白いことが隠れているかもしれないと感じるようになって、楽しみに思いました。
まずは、ものすごく狭い分野でいいので、世界10本の指に入るぐらい、一生懸命やってみるといい。世界に3人ぐらいしかいない分野だったら、絶対に世界10本の指に入りますから(笑)。そういうこと、誰もやっていないことを探してみると面白いですよ。そして、狭い分野を探そうとするより、新たな分野をつくろうと考えてみるといいかもしれないね。(中略)好きなこと、得意なことをいくつか考えて、それらを総合したら何になるかを考えてみるといいかな。

「仲間外れ仲間は、考えることが柔軟で楽しいですよ。」

この言葉がとても印象的でした。

本書では進化生物学の観点から「つながり」「心」「コミュニケーション」に関して、著者と埼玉県立川越高等学校の生徒の対話が積み重ねられていきます。

「仲間から外れ仲間は、考えることが柔軟で楽しい」という言葉を自分の中でもう少し咀嚼してみたいと思います。

「つながりをつくる」と考えることの「柔軟さが失われてゆく」という意図が込められているのではないかと思いました。言い換えると、同じような考えを持つ人とのつながりを強めると、その考が深まる反面、逸脱したり、手放せなくなる。

「仲間外れ仲間」というのは「つながりを作れない」「なじめない」ということではなく「自分の軸や考えを持ちつつも安易に同調しない」けれど互いを分かり合おうとする。太陽の周りを回る地球のように、適度な距離を保ちながらも一体化している。そのような関係性が健全なのだと説いているように思いました。

「世界に3人ぐらいしかいない分野だったら、絶対に世界10本の指に入りますから(笑)」という著者の言葉を受けて、思い出した言葉があります。

「ほとんど賛成する人がいないような大切な真実とは、なんだろうか?」

これは、アメリカの起業家・投資家であるピーター・ティール氏が著書『Zero to One』の中で用いている言葉です。

自分しか知らない真実がもしあるとするならば、それを見つけた瞬間に、その分野には自分一人しかいないことになります。

「ほとんど賛成する人がいない」というのは「仲間外れ」になるということと似ているかもしれません。そうした「ほとんど賛成する人がいないような大切な真実」を見つけた人たちの集まりも「仲間外れ仲間」と言えるのではないか。

強いつながりは諸刃の剣になり得る。
社会学で使われる「弱い紐帯の強さ」という言葉を思い出したのでした。

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