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時間を忘れるということ〜主観的な時間、円環的な時間、そして手拍子〜

紡がれた言葉、描かれた情景との出会いが、自分をほどいてゆく。日常生活の風景が、見え方が変わってゆく。そんな予期せぬ瞬間の訪れがあるから、読書の時間が欠かせないのです。

私は「ペア読書」というコミュニティに参加しています。事前読書は不要。30分集中して読んで、本の感想や疑問などを軸にして自由に対話を重ねる。本の内容や気づきを共有する中で、自分がほどけてゆく感覚が一層強まっていく。そんな読書です。本を通してつながった人たちとの

さて、昨日は『ゴースト・ワーク』という書籍を読みました。書籍の概要は引用したとおりですが、本書のテーマは「見えない労働者」です。サービスを利用している側(消費者側)からは見えない労働(ゴースト・ワーク)に従事している人達がいるということ。

たとえば、不適切な広告が検索結果に表示されないよう、画像データを表示すべきか否かを延々と判定する(ラベルを付ける)人たちがいます。私たちは日頃、インターネットで何かを検索して、その結果に不適切な広告が表示されないことが「アタリマエ」になってしまっていて、じつはその裏側にはゴースト・ワークがあるのだということ。

単純化、定型化された仕事がインターネットを通じて割り振られ、成果物が一定の基準を満たしていれば対価が支払われる。誰でもある程度出来るまで単純化が進んだ仕事は、品質の判定が機械的にできるため、結果的に人には処理の「速さ」と「量」が求められてゆく。自分の仕事に対して、誰からのフィードバックも得られないまま、淡々とタスクを処理し続けてゆく。

ゴースト・ワーカーは自ら進んでその仕事に従事しているのだろうか。あるいは、ゴースト・ワークしか選択肢がない環境に身を置いていて、やむなくゴースト・ワークに従事しているいるのだろうか。充実感や達成感は得られているのだろうか。

そのような問いが浮かびました。仕事にかぎらず、自分が取り組む物事から「充実感」を得られる時もあれば得られない時もある。とすれば、その違いはどこにあるのでしょうか。

今回、読書のあとの対話で「時間」に関して話をしました。「そもそも時間は存在するのか?」という点は一旦横に置くと、時間には「円環的な時間」「直線的な時間」の2種類あるよね、という話になりました。

「円環的な時間」は、以前に読んだ『時間についての十二章』という書籍で触れられていたこともあり、また思い返せば私自身が幼い頃に体得する機会を得ていた時間の流れでもあります。

「円環的な時間の体得」は小学生の頃の音楽の授業のこと。「手拍子をする際に、円を描くように手を叩いてみましょう」という音楽の先生からの言葉を今でも覚えていますが、左手と右手を逆向きに同じ速さで円を描くように動かして、ちょうど自分の目の前で手のひらが合わさる瞬間に手を叩く音が鳴る。その手拍子が何だか心地良く夢中になって手拍子をしていました。手拍子を通して円環的な時間が姿を現したのです。

さて、話を戻すと前者の「円環的な時間」は自然に流れる固有の時間。日本には四季があり、春夏秋冬という季節の循環を通して、一年の始まりと終わりがなめらかにつながっている。春分の日や秋分の日など、暦で分節されているけれど、その日を境にというわけでもなく、人それぞれが「ああ、またこの季節がやってきたんだな」と体感する時間。ある意味では「主観的な時間」とも言えるかもしれません。

後者の「直線的な時間」は、正確に一定の時を刻む時計、機械の発明によって誕生した、発明された時間と言えるでしょうか。そこには循環的な流れがあるのではなく、一定間隔の時が無限に積み重なり漸進し続ける時間。「客観的な時間」とも言えるでしょうか。

「時間を忘れて夢中になる」

このような時に充実感を得られることが多いのではないでしょうか。その時に流れている時間は、時計で測る時間とは異なるもので「まだこれだけしか経っていない」あるいは「もうこんな時間」というように、ズレが生まれることがある。

時計で測られる「客観的な時間」を社会全体で共有することで、様々なものが滞りなくつながるように社会が形作られている。決められた時間までに、互いに決めたことが完了している。その恩恵は計り知れません。

一方、そのような社会は「客観的な時間に対する意識」という見えない時間の檻が存在しているのかもしれません。時間を忘れること、意識すること。生の充実は、人それぞれに流れる時間、共有される時間の調和の中にあるのかもしれない。そのようなことを思いました。

あらゆるものがオートメーション化する世界の背景で増加する見えない労働(者)とは。私たちが自動化されていると思って利用しているWebサービスのほとんどの背後に、「見えない労働者」がいる。Amazon、Google、Microsoft、Uberなどの企業が提供するサービスが、広大で目に見えない人間の労働力の判断と経験のおかげでスムーズに機能する方法になっている、ということを明らかにした本書が描く、未来の労働の姿とは。驚愕のルポ・ルタージュ。

出典:ゴースト・ワーク | 晶文社

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