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箒で床を掃く時の小気味よい音、地面の感触。やっぱり好きです。

今日は、三谷龍二さん(木工デザイナー)他による書籍『生活工芸の時代』より「箒(ほうき)」という節を読みました。

箒がけ、好きなんです。塵やほこりが次第に集まって、隠れていた空間が顔をのぞかせる様子が。箒の先から伝わってくる地面の感触が。

ということで、箒にまつわるお話、一部を引用してみたいと思います。

草をただ束ねただけの箒を、今のような平箒のかたちに変えたのは、アメリカのシェーカー教徒が最初だったといいます。「天国に埃はない」と、わずかな塵をも嫌う清潔好きの彼らが、部屋の角を掃く時に、隅までうまく入っていかない丸箒に不満を感じ、平筆のように潰して、横に広げる編み方に変えた。こうすることで掃き幅は広がり、掃除が格段に捗るようになったし、念願だった隅の埃も、角を使えば容易に掃き出せるようになったのでした。
この例のように、新しいものが生まれるためには、「あの埃をなんとかしたい」というような、小さな違和感が発端になることが多い。そして後はシェーカー教徒のごとく、問題解決に向けての強い執念があるかどうかで、成果は大きく違ってくるのでしょう。
そう考えると、生活品には大仰な理屈よりも、暮らしの中の小さな気付きの方がずっと大切なことに思えてくる。むしろ些細な違和感をないがしろにしないことが、ものを作り出す原動力になるのだと思います。

「箒」という言葉を聞いて、何が思い浮かびますか?

モノとしての箒。
ブラシのような箒、草を編んだ箒、竹を束ねた箒。

あるいは箒にまつわる記憶。
幼い頃、放課後に箒がけをした記憶。

お寺の境内を箒がけしている雲水さん。
箒で地面や床を掃くときの、小気味よく擦れる音。
心地よくて、耳にするとなぜかとても落ち着く音です。

平箒のルーツは、アメリカの「シェーカー教徒」であるというお話がとても新鮮でした。

1747年にイギリスのマンチェスターで創始された、プロテスタントの新派がシェーカー教。シェーカーという名は、トランス状態に入り体を震わせながら祈る姿に由来する。イギリス国教会が支配するイギリスでの迫害から逃れ、女性指導者マザー・アン・リーと同志8名がアメリカへ向かったのが1774年のこと。現在のNY州都アルバニー付近に定住し、理想郷を築く。最盛期の19世紀半ばには、東海岸を中心に18の共同体と信徒約5000人を抱えるまでに発展したという。(『シェーカー教徒の家具作り』より)

「隅々まで〜する」と言いますが、部屋の角、隅っこをキレイにしたくなる気持ち分かります。

「かゆいところに手が届く感じ」とでも言うのか「箒の先が届いてほしい」と思わせる不思議な魅力が「部屋の隅」にあるように思うんです。

新しいものが生まれるためには、「あの埃をなんとかしたい」というような、小さな違和感が発端になることが多い。

ここでの小さな違和感とは「隅まで届かないのはなぜだろう?」という問いとして捉えることもできそうです。

シェーカー教徒の方々は、その問いを口にしながら「箒」を観察したり、形を変えてみたりと試行錯誤されたのではないかと想像します。

塵や埃であれば「掃除機で手早く簡単に吸い込んで終わり」という時代になりました。そのように「手間をかけない」という意味で、便利さを追求することも大事だと思います。

一方、箒がけのように、ちょっとした「手間暇をかける」機会や、その機会を作り出すモノも、試行錯誤、創意工夫の種としてポジティブに捉えたいと思いました。

ほうきが一度に掃ききれないから、何度も何度も繰り返しなぞるように掃く所作の中にリズムが生まれるんですよね。

箒で床を掃く時の小気味よい音、地面の感触。やっぱり好きです。


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