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「人間関係の贅沢」とは何だろう。

ふれた瞬間の言葉の一つひとつが、輝き、響きあう眩い星々のように感じる文章に出会うとき。じんわりとした高揚感に包まれ、どこか縮こまって固くなっていた心が震えて、しなやかさを取り戻してゆくのを感じます。

『星の王子さま』で有名なサン=テグジュペリによる『人間の土地』も私にはとても大切な一冊です。

「人間関係の贅沢」こそが唯一の真の贅沢である。

本書で印象的な言葉の一つで、たしかにそうかもしれないと思うと同時に、あらためて考えてみたいわけです。

「贅沢とは何だろうか」「人間関係の贅沢とは何だろうか」と。

昨日、「簡素さの中に豊かさを見い出す」ということについて綴りました。その豊かさというのは、簡素であるがゆえに「物事の多元性」が自然と浮かび上がり、多元的なものを多元的なままで、あるがままをあるがまま受け取ることに下支えられているのだと思うのです。

この意味において「贅沢」と「豊かさ」はとても重なるように思います。多元的な内実。

人間関係の贅沢とは「あの人はこういう人」「私はこういう人」という一面的な関係に閉じているのではなく、「こんな一面があるんだ」と新しい発見があったり。

たとえ昔に同じような出来事を経験していたとしてても。一つひとつを新鮮に感じつつ、それぞれの多元性が浮かび上がり、時に離れたり時に近づいたりしながら、「あるがまま」の私たちが絶え間ない螺旋的発展の中で開かれ続けてゆくこと

そのような関係のあり方の中に「人間関係の贅沢」が見出されるのではないかと思うのです。

真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ。物質上の財宝だけを追うて働くことは、われとわが牢獄を築くことになる。人はそこへ孤独の自分を閉じこめる結果になる、生きるに値する何ものをも贖うことのできない灰の銭をいだいて。ぼくが、自分の思い出の中に、長い嬉しいあと味を残していった人々をさがすとき、生き甲斐を感じた時間の目録を作るとき、見いだすものはどれもみな千万金でも絶対に購いえなかったものばかりだ。

サン=テグジュペリ『人間の土地』

長い年月、人は肩を並べて同じ道を行くけれど、てんでに持前の沈黙の中に閉じこもったり、よしまた話はしあっても、それがなんの感激もない言葉だったりする。ところがいったん危険に直面する、するとたちまち、人はおたがいにしっかりと肩を組み合う。人は発見する。おたがいに発見する。おたがいにある一つの協同体の一員だと。他人の心を発見することによって、自らを豊富にする。人はなごやかに笑いながら、おたがいに顔を見あう。そのとき、人は似ている、海の広大なのに驚く解放された囚人に。

サン=テグジュペリ『人間の土地』


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