「価値があるとはどういうことか?」という問いは、まず「愛着とは何か?」という問いから始まっている。
「愛着」という言葉を自分事化して考えてみます。
スタジオに通って続けているヨガですが、私一人ではなく色々な方々と同じ時間、空間を共有しながら同じ動き(シークエンス)に取り組んでいます。
始めてからしばらくは自分のことで精一杯で、それこそ「愛着」は芽生えていなかったと思います。
何度も何度も取り組んでゆくうちに身体の可動域も少しずつ広がり、気持ちにゆとりが出てきて楽しさを覚えてくると、周りの方々の集中力というのか気力というのか、取り組まれている姿勢から気持ちがみなぎる感覚が芽生えてきました。
"私(I)"から"私たち(We)"へ。
気づけば、そう思えた時に通いなれた場所、時間に対して「愛着」が芽生えたような気がします。