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ホモ・イミタンス(模倣するヒト)

今日は『ソーシャル物理学 - 「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学』(著:アレックス・ペントランド)より「「アイデアの流れ」が組織の能力を決める」を読みました。

何かしらのチーム、集団、組織、コミュニティに所属している人にとって、次のような著者の問いかけに対してどのように答えるでしょうか。

非常に活動的で、創造的な企業がある一方で、古くさく、停滞した企業があるのはなぜだろうか?あるいは誰もが熱心に働いているように見えながら、団結や方向性といったものが感じられない企業があるのはなぜだろうか?

こうした著者の問いかけに対する答えは、人それぞれ違うと思います。現時点で自分が置かれている状況や、それまでに所属していたチーム、集団が変われば、参照する経験も異なるからです。

特に後者の問いかけ「誰もが熱心に働いているように見えながら、団結や方向性といったものが感じられない」という状況をもたらすものは何なのでしょうか。

「チーム間の交流が乏しい」「各人が他者の支援を必要としない」という状況が想像されます。決まった物事を淡々とこなしてゆく。それ自体が良い悪いということではなく、チーム全体がそのようにな状況でも機能できるということです。

アイデアの流れとは、例示や物語を通じて、企業や家族、都市といったソーシャルネットワークの中をアイデアが拡散することである。このアイデアの流れが、伝統や、究極的には文化の成立を左右するカギを握ってる。人から人へ、そして世代から世代へと、習慣や慣習が伝わっていくのを促すのだ。またこのアイデアの流れの一部となることで、人々は自分の身を危険にさらすことなく新しい行動を学んだり、労力をかけることなく社会の大きな流れに合致した行動を身につけたりすることができる。

社会的学習の要諦は、不確実性が高いときは「成功者を模倣する」ことが理にかなっていること、自分の意見を持ちながらも適度に他者から情報やアイデアを取り入れることで、集団全体として望ましい判断を下せる、不確実性を乗り越える可能性が高まるというものでした。

「情報やアイデアの流れが乏しい」ということは、何かしらの衝撃やストレスが加わったときに、不確実性に対する耐性に乏しいことと同義なのかもしれません。

「アイデアの流れが文化の成立のカギを握っている」との著者の言葉も興味深いです。「そもそも文化とは何か?」という問いがありますが、文化は「大勢の間で共有されている行動規範や習慣の総体」と言えるように思います。

それは他者から伝えられることもあれば、自ら真似することもある。文化の形成には、他者あるいは自身の価値観や行動が伝播する流れが必要不可欠です。

一方、付き合いが深い人もいれば、浅い人もいる。ネットワークのつながりは全てが等しい強さでつながっているとはかぎりません。適度に疎で、適度に密。その疎密を上手く調整できれば、スケールフリー・フラクタル・ネットワークを形成して、情報やアイデアが効率的に流れていく。つながりが密過ぎてもネットワークは上手く機能しない、社会的学習が進まない点があらためて興味深いです。

アイデアの流れの速さは社会的学習によって決まる。それこそが社会物理学が成立する理由だ。人間の行動は、他人のどのような例示的行動に接しているかから予測できるのである。事実、人類は周囲にあるアイデアから学ぶ力に大きく依存しているので、人類を「ホモ・イミタンス(模倣するヒト)」と呼ぶ心理学者もいる。社会的学習を通じて、私たちはさまざまな状況においてどのように行動するかという、共通の習慣を形成するのである。日常生活におけるありふれた行動は、習慣が基礎になっている。

「ホモ・イミタンス(模倣するヒト)」とは興味深い表現です。人は模倣する生き物である。とすれば「模倣の対象となる人、思わず模倣したくなる人とは一体どのような人なのか」という問いが浮かびます。

「成功者を真似る」ことが紹介されていますが、それでは成功者とは誰なのでしょうか。どのように決まるのでしょうか。もちろん、ある環境に適応することで他者より優れた結果を残している人は、成功者と言えるのかもしれません。一方、模倣の対象となる人は、少なからず尊敬される人でもあるのではないでしょうか。

逆に言えば「他者への尊敬」は他者の模倣、すなわち社会的学習を促す原動力となる。尊敬の念はどこから生まれてくるのか、と考えると、そこには目立つ・目立たないを問わず「この人がいると場が和む」とか「あいさつが丁寧だな」など、素晴らしいところを見つける観察力・感性が求められるのだと思います。

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