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自分をほどくための読書(なぜ本は大切か?)

今日はミハイ=チクセントミハイ(アメリカの心理学者)による『モノの意味 - 大切な物の心理学』の第3章「家の中でもっとも大切にしている物」より「本」を読みました。では、一部を引用してみたいと思います。

 回答者の約五人に一人が、一冊以上の本を特別なものとしてあげている。世代別に見ると、子ども一五パーセント、親二四パーセント、祖父母二六パーセントとなっている。「理想の体現」という意味カテゴリーに該当するもののうち二七パーセントを本が占め、これはこのカテゴリーに含まれる他の物の二倍以上の数字である。このように本は、人びとに培うべき価値や目標、達成を思い出させるものである。本を大切にする理由としてあげられるものは、次のようなものが多い - すなわち、「多くのことを学び、それによって成長できるか」である。
 本は、ある人の過去、つまり学校や知的活動における成功の記号であることが多い。何冊かある語学書の意味を次のように説明する回答者もその一例である。
 私は妻や友人たちと一緒に、スー族のことばの勉強に......ひと夏を費やしました。そのおかげで習得でき、ちょっと変わった経験をしました。日本語やフランス語、ドイツ語を話す人たちもいますが、いったい何人の人がスー語を話せるでしょうか。

誰かに「あなたには大切にしている本はありますか?もしあるならば、それはなぜですか?」と問われたとしたら、どのように答えるでしょうか?

著者は多くの人が本を大切にする理由として「多くのことを学び、それによって成長できるか」を挙げています。もっともらしく思えますが「それだけではないよね」と感じる人もいるのではないでしょうか。

たとえば、小説や詩を読むとき「何かを学ぼう」あるいは「成長しよう」と思うことは少ないのではないでしょうか。それよりも、その世界にひたる。言葉の流れに自分を委ねていく。少なくとも、小説や詩に触れるとき、私はそのような感覚を味わっています。

「学ぶ」とは、どのようなことでしょうか。
「成長する」とは、どのようなことでしょうか。


「本から多くを学ぶ」と言われると、どことなく「本に書かれている情報を自分の知識として蓄える」というイメージを抱いてしまうのですが、何かを得るばかりが「学び」や「成長」ではないと考えています。

今回引用したコメントのように、知識を得ることで出来ることが広がり、やがて成功したと思える経験に結びつくこともあると思いますが、それ以上に成功や失敗にとらわれることなく「学び」や「成長」に通底する「変化」を大切にすること。本は自分を変えるきっかけになる。だから大切なのではないか、と思います。

いつからか、私は「自分をほどくための読書」を大切にするようになりました。

「自分が知らないことが沢山あるんだな」
「自分はもしかすると偏った見方をしているのかもしれない」
「この人はなぜこのように考えたのだろうか」

本から何かを得ることで、身につけた何かで未知の世界を開拓していく。というよりも、見えているようで見えていなかった世界が少しずつおぼろげながら見えるようになってゆく感覚

「自分がほどける」とはどういうことか、という問いを私なりに言葉にしてみると、このような感覚が内側から湧き上がってくること、です。その感覚は自分に起こっている変化そのものです。

これからも、本を通して自分をほどき続けてゆきたい。そんなことを感じた節でした。

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