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「匠」性 = 「型・目利き・再生」

今日も引き続き『匠の流儀 - 経済と技能のあいだ』(編著:松岡正剛)より「第1章 資本主義社会と匠たち - 社会力・経済力・文化力」を読みました。それでは一部を引用します。

 もともと「たくみ」という言葉には技巧性、企画性、工匠性、意匠性といった意味があった。いずれも「巧みなこと」に長けていることをいう。しかし、これらをもっと"巧み"にまとめ、仕事に従事する職人たちの才能を最大限にいかすことができる者を、いつしか「匠」と呼ぶようになった。
    とくに手先や道具をつかう職人に指図や指南を的確に与えられる者、その本人自身も存分な手先の仕事や道具使いができる者のことを、総じて「匠」と呼ぶようになった。「匠」はまさに職人(才)と素材(能)とのあいだを最適化できるリーダーなのである。
 今日のグローバル資本主義のなかの企業社会にはいろいろの「ズレ」や「キズ」がほったらかしになっている。これらは何度くりかえそうも、会議やミーティングでは修正できない。問題がスタイルにあるのかモデルにあるのか、それともパターンが邪魔なのかテンプレートがまちがっているのか、そのことを問わなければならない。こういうとき、きっとこのような「匠」たちが活躍する。かれらは「型」の違いをたちどころに見抜けるはずなのだ。企業が社内で失敗を冒すのは、スタイル、モデル、パターン、フォーム、モード、テンプレートの違いをごちゃごちゃにしてしまうときなのである。
 「匠」は決してそんなことはしない。何が何のパターンを継承し、何が何のモダリティを保証しているか、十分にわかっている。かれらこそが企業の小さな切り口に充実をもたらし、それがやがて大きな仕事のエンジンになっていくことをもたらすインテグレーターであり、イノベーターなのである。
 しかし、かなり残念なことだけれど、企業や組織がどのように「匠」性をもちうるかということは、これまであまり議論されてこなかったし、ほとんど追求されていなかったように思う。理由はあらかた見当がつく。合理性を求め、利潤第一を求め、できれば最短距離を走りたがる企業組織にとって、世にいわれる「匠」的なるものなんて、なんとも面倒くさいものに感じられるからだ。

「匠」という言葉には、なんとも言えない洗練された響きがある。その漢字の象形・佇まいも、スッと一本のまっすぐな芯がとおっているような。とにかく眺めていて心地がいい。工匠、意匠、師匠、巨匠...。

「匠」は、なぜ"たくみ"と呼ばれるのだろう。

知識が豊富だから?
すばらしい精神性の持ち主だから?
何らかの技能が優れているから?
人や場を取り仕切ることができるから?

そのようなことが思い浮かぶのだけれど、何かが欠けているような気がしてならない。

そんなとき「「匠」は決してそんなことはしない。何が何のパターンを継承し、何が何のモダリティを保証しているか、十分にわかっている。」という著者の言葉が目にとまった。

「モダリティとは何だろう?」と疑問に思い調べてみると「様式」とある。他にも、生理学の文脈では「視覚、聴覚、触覚などの五感や感覚」あるいは「それらを用いて外界を知覚する手段」「それらの感覚に働きかける人工的な情報伝達手段」を表すらしい。

モダリティという言葉から察するに「匠」は「何かを見抜く感覚」あるいは「目利き」に優れている。人には見えないものが見えている。そこが「匠」が"たくみ"足るゆえんなのではないだろうか。

「リフォームの匠」という番組が好きだった。老朽化したり、急な段差があったり、日常生活にはとても不便な家屋を「匠」がリフォームするというシンプルな内容の番組だった。

リフォームのBefore / After の映像をみると、以前の面影を残しつつも新しい命が宿ったかのような。まったくのゼロから建て直すのではなく、その家の「持ち味」や「個性」を生かす。文字どおり「再生」している。

面影を残すからこそ、過去との連続性が保たれているからこそ、リフォームの依頼主も毎回とても晴れ晴れとした表情をしている。その表情がなんとも素敵で、自分事のように嬉しくて、思わず頬と涙腺が緩んでしまう。

企業や組織における「匠」性の話はとても興味深い。本来の「型」を生かしながら、新たな意味を宿し、新たな関係を築いてゆく。

「匠」性のヒントは、「型・目利き・リバイバル(再生)」にあるのかもしれない。まったく新しい何かを創造しようと意固地にならず、流れを生かし再生させる。

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