目指すべきは血流サラサラではなく、血流たっぷり?
今日から『血流がすべて解決する』(著:堀江昭佳)を読んでいきます。前回までは「ソーシャル物理学」すなわち、情報やアイデアの流れについて理解を深めました。「流れ」について色々な眺め方をしたいと思った時、体内の「血の流れ」を知ることが最も自分事化できるのではないか、と思ったのです。
これまで血流について深く考えたことがありませんでした。実際の生き物ではないもの、たとえばチームや組織も人に例えられることがあります。そして、その中を何かが流れている。人、物、金、知恵、情報、アイデアなどなど。ですから「血の流れ、巡りをよくするとはどういうことか?」という問いは、じつに広がりのある問いなのではないかという気がしています。
著者の堀江さんは漢方薬剤師で、出雲大社の門前で大正時代から続く老舗漢方薬局の四代目。婦人科系の分野を専門としていて、十年間で、五万件もの相談を受けてきたそうです。
この言葉にふれて「運動」をイメージしました。私は少なくとも週末はヨガなど、適度に運動を続けていますが、身体を動かすと体がリフレッシュしますし、気分もスッキリします。
「めざすべきは、血流サラサラではなく血流たっぷり」という言葉にハッとしました。血流と聞くとついドロドロ血とサラサラ血を思い浮かべてしまいますが、たしかにそもそも血の量が少なければ、流れようがありません。
何かの流れを考えるときに立てる問い。
「そもそも何が流れているのか?」
「流れているものの量はどのぐらいか?」
「どこにどのぐらいの量が流れているのか?」
「血を増やすとは血の質をよくする」という意味でもある。血の中に含まれる栄養やホルモンも「血」という概念に含まれている。そのような成分は質的側面、「密度」として捉えることができそうです。
無色透明な流れを想像するのではなく、「その流れには何がどれぐらい含まれているのか?」という問いを立ててみること。
たとえば「グループに活気がない」という状況では「メンバー同士の会話がない」イメージがあるかもしれません。あるいはテキストベースでのやり取りが活発な場合、量的には十分と思えるかもしれませんが、そのやり取りには何が含まれているのか?たんなる情報なのか。気持ち、感情まで含まれているのか。
物事を色々な角度から眺めるとは「問いを立てること」「切り口を見つけること」と言えるかもしれません。一方で、流れ全体をそのまま捉える眺め方もあるはず。両方の視点を大切にしたいと思います。
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