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私はいま、あなたに集中していますよ。

今日は『わかりあえないことから- コミュニケーション能力とは何か-』(著:平田オリザ)より第7章:コミュニケーションデザインの視点から「胸が痛いんです」を読みました。

本節の主題は「受け止める」です。

誰かに話しかけられたとき、誰かと話をしているとき、相手には相手のコンテクスト(どのようなつもりで言葉を使っているか?)が存在しています。

相手に言葉を返すとき、相手のコンテクストを理解していなければ、自分の言葉が意味するところは相手に伝わりません。「どのように言葉を返すか」によって相手が発した言葉の意味、相手との関係性も変わってきます。

意味を「関係的なもの(関係の中に現れる)」と考える「社会構成主義」という立場があります。

たとえば、仲の良い友人にすれ違って「おはよう」と声をかけたとします。相手が無言で通りすぎたら、「おはよう」はひとり言になってしまいます。相手が「おはよう」と返してくれたとき、自分が発した「おはよう」は挨拶としての意味を持ちます。

「意味は関係の中で決まる」とするならば、相手との関係をどのようなものにしてゆきたいかによって自分が返す言葉も変わってくるはずです。そしてそのためには相手のコンテクストを理解する必要があります。

今回読んだ節は看護師と患者の関係にスポットライトが当てられ、「相手のコンテクストを理解するとはどういうことなのか」について考えさせられる内容でした。

反射はコンテクストの理解をさまたげる

著者がコミュニケーション教育にたずさわることになった大阪大学の総長であった鷲田清一氏の文章から、看護師の事例が引用されています。

ダメな看護師さんというのはわかりやすい。患者さんが「胸が痛いんです」と言ってくると、「大変だ、先生呼んできます」と自分もパニック状態になってしまうような人。これはダメだ。標準的な看護師さんは、「胸が痛いんです」と言われると、「どう痛いんですか?」「どこが痛いんですか?」「いつから痛いんですか?」と問いかける。これは当たり前の行為。

自分もパニック状態になってしまう。あるいは、相手に対して問いかける。「胸が痛いんです」との言葉に対して、反射的に反応しているような印象を受けます。自分が「胸が痛いんです」と言われたときを想像すると、決して「自分ならそのような回答はしない」とは思えず、問いかけてしまうことはあるなと思いました。

反射的な回答・反応というのは、もしかすると相手のコンテクストの理解をさまたげる壁のようなものなのかもしれません。「こうきたら、こう返す」と最初から決めていたら「相手が本当に伝えたいことは何だろう?」と自問する機会は失われてしまうのですから。

いまはあなたに集中していますよ

著者は、看護師の事例について、さらに話を進めます。

 しかし、患者さんの受けのいい、コミュニケーション能力の高いとされる看護師さんは、そうは答えないそうだ。患者さんから「胸が痛いんです」と言われると、そのまま「あぁ、胸が痛いんですね」と、まずはオウム返しに答える。ただの繰り返しに過ぎないのだが、これが一番患者さんを安心させるらしい。おそらく、このことによって、その看護師さんは、「はい、私はいま、あなたに集中していますよ。忙しそうに見えたかもしれないけれど、いまはあなたに集中していますよ」ということをシグナルとして発しているのだと考えられる。

「あぁ、胸が痛いんですね」

状況次第と思う部分はありますが、まずは相手を受け止める。

日常生活の中でも「困っているんです」「悲しいんです」など、相手から何かを言われる場面を想像することができます。そのとき「困っているのですね」「悲しいのですね」と受け止めることを想像してみます。もしかすると言葉を発することなく、ただただ聴く・受け止める場合もあるかもしれません。

あわただしく何かに追われていたり、気持ちに余裕がなかったりする場合、相手に対して意識を向かないことはあるかもしれません。

「はい、私はいま、あなたに集中していますよ。忙しそうに見えたかもしれないけれど、いまはあなたに集中していますよ」

「あなたに集中する」という言葉。とても惹かれます。

「あなたに集中する」ことから、あなたのコンテクストを分かり合うことが始まる。

明日から大切にしたい問いがまた一つ。

「いま自分は目の前のあなたに集中しているだろうか?」


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