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人は感覚で見ている??

「人は眼で何かを見るわけではなく、感覚で見ている」

これは哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの言葉ですが、「感覚で見る」とは一体どういうことなのでしょうか。

たとえば、誰かと会話している場面を想像してみます。

相手との会話が始まると、普段の会話と何かが違う。会話の内容、表情、声のトーン。相手から受け取った物事を咀嚼し、相手の気持ちになってみる、想像する。「今日は気分が良くないのかもしれない」あるいは「何か悲しいことや辛いことがあったのかもしれない」と察しながら話を進める。

ですが、察しつつ会話を進めたとしても、実際は相手は普段どおりかもしれません。「感覚で見ている」とは受け取った情報に対する想像や先入観というフィルターを通して世界を捉えている、ということではないでしょうか。

「感覚で見る」のではなく「ありのままを見る」ためには、想像することや考えることを手放すことから始める必要がありそうです。いわゆる「事実」を事実として受け取ることは、どのようにして可能なのでしょう。

見えているからといって、それが事実だとは限らない。誰も眼で何かを見るわけではない。ただ、感覚で見ている。ほら、眠っているときの夢でも何かをはっきりと見るじゃないか。眼で見ているわけではない。

白取春彦『ヴィトゲンシュタイン 世界が変わる言葉』

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