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ただただ描く、ただただこねる〜原初的な感性を見つめ直す〜

小学生の頃、造形教室に通っていました。

絵の具やクレヨンで絵を描いたり、粘土をこねて陶器を作ったり。一緒に通っていた友達の作品から放たれる力強さ、繊細さをうらやましく思いつつも「上手に描きたい、作りたい」という欲は強くなかったかもしれません。

どちらかというと、色が混ざり合うことへの新鮮さ、粘土が手になじむような質感をただただ味わいたい…。そんな気持ちが強かったように思います。

実家の居間にその頃に作った焼き物が飾られているのですが、その中の一つに「小さな人」が上を見上げ、手を伸ばしている像があります。その人の顔が、あふれるばかりの無邪気な笑顔で。

その像を作った時のことは詳しく覚えていないのですが、空を見上げて太陽に向かって手を伸ばしているように思います。

人の像が放つ無邪気な笑顔を通して、「無邪気な自分」と出会い直したような気がするのです。

「誰かのために」よりもまずは「自分のために」

それは自己中心的ということとも違うのですが、評価を気にせずにただただ「なんとなく嬉しい」「なんとなく楽しい」という気持ちに素直になる時間を大切にしたいと思うのです。

芸術家はなんで芸術家になりたかったのか。子どもの頃は、誰もがピュアな感性を持っていた。子どもの絵を見れば、実に伸びやかで、自在で、なんでこんな絵が描けるのだろう、と驚く。子どもは皆、天才的。けれど成長するに従って、ほとんどがその能力を失ってしまう。なぜか?子どもたちと接した経験が私はあまり多くはないが、少ない経験を振り返ってみると、小学校三年から四年くらい、つまり八歳から九歳くらいの時期が大きな転機になるよう。この辺りから子どもたちの心に「社会」が入り込んでくる。

小池博史『からだのこえをきく』

突飛さが厭われ、協調性を強く意識するようになるのだが、そうした対他者性が深く入り込んでくる時期に当たる。ところが原初的感性は対他者にあるのではなく、自己の内面へと向かっていくから、それが強ければ一般的には身勝手に映る。ましてや日本では世間が入り込む。対他者ならば、独立した個人を相手にするだけだからまだいいが、対世間になると個人対ムラになり、たいていはムラの圧力に負けて、世間的規範に取り込まれてしまう。

小池博史『からだのこえをきく』

「感性」は窮屈な場所では育ちにくく、窮屈な意識からは自由でなければならない。なにせ原初的で、赤ん坊の頃までに刷り込まれた感覚なのだから、極端に柔らかく、強い吸引力を持って、新しいおもしろさ、わからなさに出会いたくて仕方がない。それだけに、原初性を持った「感性」が残っていればいるほど、社会的に生きにくくなる。が、その中でなお反旗を翻しつつ生き抜くのがアーティストの役割ではないか。

小池博史『からだのこえをきく』

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