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雨音、リズム、そして語感。

今朝の天気は曇り空。うっすらと降る小雨も、どこか穏やかで爽やかな感じがしました。

「ポツポツ、ポツポツ」

傘に雨が小気味よく当たる音が好きです。軽やかでリズミカルな心地よさは土砂降りの雨では得られません。雨がポツポツと傘に当たる間隔は一定ではないところも、アクセントになっていて面白い。雨雫が時間の線でつながると、まるで「音楽」のような豊かな響きが感じられてくるのは不思議です。

雨音に集中していると気持ちがスッと落ち着いてきて、どこか「静けさ」を感じてきます。耳をふさいでいないのに静かに感じる。静けさとは物理的な「無音」を意味するのではなく、むしろ自分と外側がなめらかにつながっていく時に生まれる「現象」だと思えてきます。閉じられた静と開かれた静。

「ポツポツ、ポツ…。ポツッ、ポツッ…。ポツポツ…」

そんな小気味よい音が頭の中でリフレインしていると、なぜか「パチパチ、パチパチ」という音が重なってきて、焚き火のイメージが頭に浮かんできました。

「ポツポツ(Potsupotsu)」と「パチパチ(Pachipachi)」

Pという子音には「何かが弾ける」ニュアンスを感じます。あたたかさ、やわらかさ、力強さ、爽やかさが調和しているような音。それが"P"。

言葉が身体に響いてゆく感覚。言葉を発するとき、発した言葉は自分の中で響いています。何度も何度も口にしていると、身体に響いて、やがて心にも響いていくような気がしています。

言葉の「語感」を大切にする。意識を変えようとするのではなく、口にする言葉を変えてみる。言葉の語感が変われば、語感に導かれて意識も変わっていくのかもしれません。

繰り返すが、アサの発音体感は、爽やかな開放感に溢れている。「朝よ」と声をかけられた赤ちゃんの脳には、アサ=爽やかな開放感、というゆるやかな関係が刷り込まれる。対して、morningの発音体感は、鼻腔に響く、やわらかなハミング。「Good morning」と声をかけられた赤ちゃんの脳には、morning=優しさに満ちたイメージ、という関係が刷り込まれる。

黒川 伊保子『日本語はなぜ美しいのか』

ヒトが人生の最初に出会う、発音体感ということばの属性。それは、脳の認知構造の基礎に深く関与しており、ある意味、ことばばの本質といってもいいものである。それなのに、二〇〇三年、私が人工知能学会でこのことを指摘するまで、言語学の世界では、ほとんど、「ことばの本質としての語感」は話題にならなかったのである。

黒川 伊保子『日本語はなぜ美しいのか』

信仰とはことばである、と私は思っている。意識をある方向に導く語感のことばがあり、その意識の方向性によって救われる人々がいて、ことばは人々に崇められるようになる。それが、ときに神の名であり、呪文であり、念仏であり、経典であったりするのだろう。信仰のことばとしての神の名は、だからこそ意味を超えて、大きな意識の潮流を作るのに違いない。

黒川 伊保子『日本語はなぜ美しいのか』

ポツポツ雨の日に無性に聴きたくなるピアノ曲が『雨の踊り子』です。


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