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時間の概念と身体の非対称性

いつから「時間」の概念を表現できる、表現するようになったのだろうと思い返してみても、なかなか思い出せません。

時計の針の回転を「時計の針が進んでいるね」と親が口にしているのを耳にしたり。あるいは1時、2時、3時…と数字で表現された時刻が増えてゆく様子から「時間は進んでいる」と思うようになったのかもしれない。

ここで「進む」という感覚は何に根差しているのだろうと考えると、「移動」つまり「身体が動いて位置が変わる」という身体的経験なのだと思います。

前や後ろに進むというのは、身体を前側・後側と「向き」で区分した上で、その方向に運動するということ。となると、向きの概念が存在しないと移動という概念が成立しない。

では、身体の前側・後側と決めることで向きが身体的経験に結びつくわけですが、前側・後側は身体の「非対称性」を利用しています。頭において目・耳・鼻・口が備わっている方向を前、逆側を後(後頭部)と決めている。

と思い巡らせますと、人はじつに自然に身体に内在する「非対称性」を活用して世界を捉えている。身近にあふれる対称性、非対称性に意識を向けてみると、世界の見え方が変わってくるのかもしれません。

われわれは時間の心的表象をどのように構築しているのだろうか。さまざまな文化で広くみられる有名なメタファーは、時間を表現するのに空間次元を使ったり(たとえば、短い試験とか長い授業といったような長さ)、明示的に時間と空間次元を結びつけたり(たとえば、彼女の未来は彼女のにある、彼の過去は彼の後ろにある、といった前後の軸)している。このため、われわれは空間領域を使って、時間の理解を構造化すると仮定されてきた。

レベッカ・フィンチャー - キーファー『知識は身体からできている 身体化された認知の心理学』

われわれの身体は、本質的に世界との知覚運動的相互作用を通じて時間と空間を結びつけるように構成されている。身体の前側は前方を見ること、経験したことのない物に向かって動いていくこと(つまり、未来)を可能とし、動くにつれて、すでに経験したものが自分の後ろに来る(つまり、過去)。動きを規定する身体の感覚運動システムは、時間の概念的理解の基礎となり、前への動きは未来という抽象概念をもたらし、後ろへの動きは過去という概念の基盤をもたらす。この時間の身体化は言語のなかで比喩的に示されているが(たとえば、「過去に戻る(going back in time)」「先んじる(jumping ahead)」といった表現)、運動移動のなかにも現れているだろう。

レベッカ・フィンチャー - キーファー『知識は身体からできている 身体化された認知の心理学』

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