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リーダーシップと弱者のコンテクストを理解すること

今日は『わかりあえないことから- コミュニケーション能力とは何か-』(著:平田オリザ)より第7章:コミュニケーションデザインの視点から「弱者のコンテクストを理解する」を読みました。

本節の主題は「リーダーシップとは何か?」です。

「リーダーシップ」という言葉を耳にしたとき、「リーダーシップがある人とは具体的にどのような人なのか」と問われたとき、人それぞれ思い浮かぶことは違うと思います。

著者は「コンテクスト」という言葉を「その人がどのようなつもりでその言葉を使っているか」と捉え、コンテクストを軸に他者とコミュニケーションを図るとはどういうことか、様々な事例を用いて説明してきました。

ある人がリーダーとなった場合、当然コミュニケーションが発生しますが、その時に必要なコミュニケーションはどのようなものでしょうか。あるいはどのような能力が必要なのでしょうか。

弱者のコンテクストを理解する

リーダーシップについて、著者は次のように述べています。

 通常、そういった場面で言われるリーダーシップとは、人を説得できる、人びとを力強く引っ張っていく能力を指す。しかし、私は、これからの時代に必要なもう一つのリーダーシップは、こういった弱者のコンテクストを理解する能力だろうと考えている。社会的弱者は、何らかの理由で、理路整然と気持ちを伝えることができないケースが多い。いや、理路整然と伝えられる立場にあるなら、その人は、たいていの場合、もはや社会的弱者ではない。

これからの時代のリーダーには「弱者のコンテクストを理解する能力」が求められる。現在日本が置かれている状況に照らしても、著者の主張は的を得ているように思います。

著者は社会的弱者を「理路整然と気持ちを伝えることができない人」として定義しています。

「理路整然と気持ちを伝えることができない」というのは必ずしも論理的な側面の話だけではないように思います。

コロナウイルス流行、技術発展など、自分を取り巻く環境が目まぐるしく変わり、流されないようにすることで精一杯。気持ちに余裕がない。無力感。

そのようなことも「理路整然と気持ちを伝えることができない」ということに含まれるような気がするのです。

そのような状況に置かれた人のコンテクストを理解する。その人たちの声にならない声を受け止め、察していく。必ずしも引っ張るだけがリーダーの姿ではないはずです。

論理的に喋れない立場の人々の気持ちをくみ取る

著者はコミュニケーション教育にたずさわる身として、次のように述べています。

 社会的弱者と言語的弱者は、ほぼ等しい。私は、自分が担当する学生たちには、論理的に喋る能力を身につけるよりも、論理的に喋れない立場の人びとの気持ちをくみ取れる人間になってもらいたいと願っている。

「論理的に喋る能力よりも、論理的に喋れない立場の人々の気持ちを汲み取る」

物事を構造化し、論理的に説明する力は重要だと思います。一方、論理だけがすべてではない、偏重してはならない、というのが著者のメッセージだと捉えました。

ここで思い浮かぶのは、三つの「理」です。論理・倫理・情理。

「弱者のコンテクストを理解する」というのは、論理よりも、倫理や情理が問われる営みだと思います。それは「座学で身につける」だけでは不十分で「経験」が伴う必要があるのだと思います。身体のセンスを磨くとも言えるかもしれません。身体的な感覚が閉じていては、相手を察することはできないように思うのです。

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