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「関係の面倒くささ」の根っこにあるものは何だろう?

今日は『わかりあえないことから- コミュニケーション能力とは何か-』(著:平田オリザ)より第8章:協調性から社交性へから「みんなちがって、たいへんだ」を読みました。

本節の主題は「多文化共生」です。

OECDが15歳を対象に実施する学習調達度調査(PISA調査)で上位にランクインしているフィンランド。フィンランドの教育方法は「フィンランド・メソッド」として注目されており、演劇の手法を用いて内容をまとめることがカリキュラムの中に含まれています。大切だと感じたことを劇にしてみるのです。

そして、インプット(=感じ方)は人それぞれでよい。だからこそ、表現(アウトプット)も多様になります。フィンランドでは素晴らしい発言をした生徒よりも、「様々な意見を取りまとめた生徒」が誉められるそうです。これは多文化共生社会において必須となるのは文化を超えた調整能力であることの裏返しだからです。

そのような調整能力を養う上で「他者のコンテクスト理解」が欠かすことができません。相手に同化するでも同調するでもなく、それでいて調和を模索する。大切に感じたことを劇として再構成する営みは、他者のコンテクストへの入り口の役割をはたしているのかもしれません。

多文化共生とは何か?

著者はOECDの基本理念が「多文化共生」にあることを紹介しています。

 OECDの基本理念は、多文化共生にある。多文化共生とは何か。それは、企業、学校、自治体、国家など、およそどんな組織も、異なる文化、異なる価値観、異なる宗教を持った人びとが混在していた方が、最初はちょっと面倒くさくて大変だけれども、最終的には高いパフォーマンスを示すという考え方だろう。

「多文化共生とは何か?」と問われたらどのように答えるでしょうか。あるいはどのようなイメージがわくでしょうか。

著者は「異なる文化、異なる価値観、異なる宗教を持った人」を挙げています。国際社会における多文化共生のイメージはおそらくそのようなものだと思います。

一方、「異なる文化、異なる価値観、異なる宗教を持った人」というのは、同じ国の中でも、それこそ自分の身のまわりにいる人も当てはまります。

そう考えると、意識することはあまりないかもしれませんが、「日々、是、多文化共生」ということではないでしょうか。

そして、著者が「最初はちょっと面倒くさくて大変だ」と述べていますが、日本と韓国の比較においてコンテクストの「ずれ」に気付くことが難しいと学んだように、「最初から波長が合う」というのか「わかり合っている」と思っている時ほど、じつはコンテクストがずれている可能性があります。

逆に、最初は「ちょっと面倒くさくて大変だ」と感じるということは、すでにコンテクストの「ずれ」に気付いている状態です。あとは表面化しているコンテクストの「ずれ」を互いに共有し、相手のコンテクストの理解に努めてゆけばよい、ということなのかもしれません。

「関係の面倒くささ」の根っこにあるものは何だろう?

著者は次のように続けます。

 だとすれば、これから国際社会を生きていかなければならない子どもたちには、「最初はちょっと大変だけれど」の、その「大変さ」を克服する力をつけていこうというのがPISA調査の最大の眼目だろう。(中略)みんなちがって、たいへんだ。しかし、この「たいへんさ」から、目を背けてはならない。

「たいへんさ」から目を背けてはならない。

「みんなちがって、たいへんだ」と感じることはありますか。その瞬間は、どのような気持ちでしょうか。

「なんで自分を分かってくれないんだ」
「もっとこうすればいいのに、こうなればいいのに」

最初に感じる「面倒くささの根っこにあるものは何だろう」と考えてみると「自分のコンテクスト」の中に相手を押し込めようとしている部分にあるのかもしれません。自分のコンテクストの中に相手が入ってくれば、自分の想定の範囲内で相手とコミュニケーションがとれるかもしれない。

ですが、そう思っても相手には「相手のコンテクスト」があります。まずは自分を相手に重ね合わせてみる。それでいて自己中心でもなく相手中心でもなく。

こう考えてみても、多文化共生というのは、自分と他者との絶妙なバランスのもとで成り立つものなのだなと感じさせられます。

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