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身体感覚と共感〜落ちる感覚と恐怖のつながりを通じて〜

高い場所に登るのが怖い。ジェットコースターやフリーフォールなどの乗り物に乗ることが怖い。高い場所に感じる恐怖の源泉は何なのでしょうか?

その要因の一つは、高いところから「落ちる」という身体感覚。普段は地に足がついて身体が支えられていることによる安心感があるわけですが、落下している時間は支えが外れて自分の身体をコントロールできなくなります。

その「フワッ…」とした身体感覚が記憶され、高い場所に登ることが引き金となって内側から落ちている感覚が蘇ってくる。そのような蘇る身体感覚が落下する可能性のある状況を回避する信号として作用するのではないでしょうか。

実際に、発達研究において、自発的な移動運動の経験が多い幼児ほど高さへの恐怖から視覚的断崖(=崖だと視覚的に認知される場所)を横切ることを恐れることが示されているようです。

少し話は横道に逸れますが、だとすると人間のような生身の肉体、神経系を持たない人工知能が「人間と同様の恐怖の感覚」を持つことはないのかもしれないと思えます。その先にある深い共感も生まれないのかもしれない。

むしろ、人と人との間に生まれ得る「共感」というのは、共通の身体的経験や身体感覚に下支えられているのかもしれませんし、さらに言えば頭(脳)に偏った思考ばかりしていると「他者への共感」が閉ざされてしまうのかもしれないとも思えてきます。

発達研究も、幼児における知覚と行為との間に相互依存性があることを実証している。知覚と行為の相互依存性は、知覚的発達に対してだけではなく、高次の認知発達や情動の発達に対しても明確な影響を与える。(中略)受動的なネコと同様に、自発的な移動運動の経験が少ない幼児は、ハイハイの経験がある幼児よりも視覚的断崖を横切ることを恐れず、さらにこの効果は、年齢とは独立であることが示されている。

レベッカ・フィンチャー - キーファー『知識は身体からできている 身体化された認知の心理学』

発達的に、高さに対する(生存の観点から)健全な恐怖に移動運動が必要なのはなぜだろうか。その問いに対する答えは、奥行き知覚やそれに対する適切な情動的反応に身体が必要かどうかを判断することに役立つだろう。(中略)周辺的視覚情報を受容している幼児は、安定するように体位の変化を示す(身体の揺れ)。(端近くの移動運動から)周辺的オプティカルフローに変化があると、体位補正の減少を引き起こし、高さへの恐怖と深い視覚的断崖を横切らないという反応を媒介する。

レベッカ・フィンチャー - キーファー『知識は身体からできている 身体化された認知の心理学』

その代わりに、複数の実験から集約された証拠が示唆するのは、新生児や幼児の、初歩的な知覚的技能を組織化する移動運動の経験が重要であるということである。この経験は、意味のある知覚経験を得るために視覚の自己受容感覚などの技能を洗練し、劇的に調整する。

レベッカ・フィンチャー - キーファー『知識は身体からできている 身体化された認知の心理学』


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