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何もしないときを言語にする

一人で生活していますので、無為な時間というものはあります。ぼーっとして何もやっていません。「無為」という言葉は難しくて、ここで言っているのは老子の「無為自然」ではなくて怠惰の意です。例えば、キルケゴールの「単独者」という概念を思い出します。無為に会社に行って、無為に仕事をして、無為にお給料を貰い、無為に生活すると言う言い方もできるのではないか?別のアプローチですが、同じ事をフッサールも言っています。その以前にはイエス・キリストの「天の富を積みなさい」という言葉があります。無為に生活すると言うのは、天の富を積まない生き方ではないでしょうか?

さて、無為な時間にも自分の内に言葉は浮かんで来ます。喋り出さないとちりのように吹き消されていきますが、詩の言葉にすればいいのではないかと思いました。今は、とりあえず「完成した詩」というものは目指していません。断片として作っていくだけです。しかし、言葉の中に入ると、言葉というものもそれ自体存在者なので、言葉が生きて活動すると言うことはあります。英語で書いているときは、まず英語で考えています。何もできない時はその「何もできない」を詩の言葉にする。それはそれで、ありなのではないでしょうか?

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