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『生きる』について思うこと

畏れ(おそれ)


自分の人生を生きたい

「人生は一度しかない。
人生は戻れない。
いつ死ぬかわからない。」
(人生の3つの真実)

僕はこれに激しく賛同する。

いや、賛同しない人はいないだろう。

でも、これを理解している人は少ない。
僕も完全に理解しているかはかなり怪しい。

でも、これは言える。

誰かの人生を生きている時間はない。

誰かの価値観に寄り添う時間はない。

素晴らしい仲間の価値観。
それを真似して生きることは素晴らしい。

言いたいことは、畏れ(おそれ)を感じているなら、それはやめた方がいいということ。

例えば。
母親の価値観に寄り添いすぎる。
母親の期待に応えきれているか、不安を感じる。
それは畏れ。

会社の価値観に寄り添いすぎる。
やりたいことがあるのに。
上司や同期の目や期待にそうため、休みを取ることをやめる。
それも畏れ。

今日の夜に死ぬとしたら。
頂いた天寿が尽きるとしたら。

後悔する。

自分の人生を生きる。

そんな強さを持ちたい。

判断の軸を持つ。

自分の人生の指針を持って生きたい。

人生はもっと自由

もしも今日の夜に死ぬとしたら。

今、欲している肩書きは必要か?

今、欲しいものは必要か?

今、近くにいる人に投げかけた言葉は必要か?

今の延長戦上で生きていくことは必要か?

もっと、やりたいことがあるのかも。

もっと、ワクワクするようなことがあるのかも。

もっと、会いたい人がいるのかも。

やりたいことをやっていい。

やりたいことをやらないといけない。

もっと、自由でいい。

いや。
もっと、自由でないといけない。

それが、自分の命に感謝するということなのかもしれない。

自分の勝手さを正当化しつつ、今日も気ままに生きます笑

人生の舵


他人の価値観に沿って生きる。

他人の目を必要以上に気にする。

他人の期待や評価を必要以上に気にする。

言っておきたい。

そんなに他人はあなたに興味がない。

あなたが心配していることの95%は、取り越し苦労。
(このパーセントはイメージです)


自分の人生の舵を他人に渡してはいけない。

自分の人生の舵は、自分がしっかり握ること。

だって、人はあなたのことを気にしていない。

逆にいうと、あなたの人生に何の責任もとってくれないということ。

お互い、もっと、好きに生きましょう。

適度に適当に生きましょう。

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