【詩】ソーシャルディスタンスがわからない
ソーシャルディスタンスがわからない
コロナウイルスが鼻風邪の病原体を表す一般的な言葉だと知ったのは息子に口うるさく手洗いをするよう伝えるようになった何日もあとのこと。
息子には風邪にならないようにするために手を洗おうと僕は言った。もちろん。
するとソーシャルディスタンスがわからなくなった
人に風邪をうつさない距離というのは言いかえると
人につばをかけない距離というのは言いかえると
因縁をつけられても言い返せる距離
1mか1.8mを同じ言葉で言い表す不可解さが
言われだしたあとも満員電車は在った
そして一歩分の隙間も空けることができずに池袋の階段を下りた
医師も
看護士も
保育士も
薬局の販売員も
階段を下りた
人に余計なつばをつけたくなかったから
誰一人因縁はつけなかった
人のつばをみんなまとっていたけれど
誰一人警察になだめられる必要はなかった
ソーシャルディスタンスを守れなかった僕らは
ソーシャルを社会だと習っているので
社会人として人との距離感を保てなかった
それでもオーバーシュートしたウイルスを手渡さないように
知り合いに会うたびに手を二十秒ずつ洗った
人のつばをまとった服を着たまま
生き続けるために社会人から外れた僕にとって
ソーシャルディスタンスは使い捨ての言葉だった
いつかまた電車に僕たちを詰め込むために
日本語を考える気がなかったとしか思えなかった
そして僕は使い捨てられたように感じた
聞き覚えがない言葉があふれ
自分の好きな人の収入がなくなり
払った税金を自分のためにつかってほしいと申し出ることが
社会が僕に課している距離だとはわからなかった
だから僕は手のひらと甲と指の間と親指と爪と手首を石鹸で洗うようにと
手洗いを具体的に言い続けているのかもしれなかった
自分のいられる社会を定義づけるために
遺しうる習慣をつくるために
(2020/4/12 夜、詩情の夜での即興詩を改稿)